第三十七話、青空と勇者 回想その5
ドンゴロに手を引張られ連れてこられた一軒の家――というよりはあばら屋。
内部には松明が壁板に一つ掛かっていて、その明かりが中にいる者を薄っすら照らしている。
「まぁ、座ってくれ……」
そこにいた一人の大男が支柱の向かい側から言った。
顎下に茫々と黒い髭をたくわえた眼光鋭い大男。
頭にバイキングのような金属の兜を被り、鈍色の毛が生え揃う獣の皮のようなものを上半身に巻きつけている。その隙間から覗く腹筋は見事に割れていた。
――……な、なんだ……この感覚は……?
その大男と目が合った瞬間だった。
光は体中の筋肉が硬直し、全身が粟立つのを感じた。
「――俺はミリガンだ…………この行商一座の頭をしている……」
顎下の黒い髭を大きな手で摩りながら言った。
金属のヘルメットの下にある禍々しい双眸は、光の顔をがっちり捉え離さなかった。
体の自由を奪われたかのように、身動ぎ一つできない光。
「…………」
光の思考は硬直していた。
初めて感じた得体のしれない威圧に、沈黙を余儀なくされる。
あばら屋内に凍てついた静寂が流れようとした時、光の隣に座るドンゴロが不意に光に囁く。
「――おい……どうした……?」
「――え……あ……」
その声に呪縛が解かれたかのように体を軽く弾ませ、ようやく我に返る。
――そうだ……何か……言わないと……
光は上から圧し掛かる力に抗うかのように、ミリガンの顔付近に視線をあげていく。
そして、何とか黒い顎鬚の先あたりでそれを置き止めた。
気持ちを整え、深い澱んだ息を吐き出す。と同時に、
「……天…草……光と言います……」
覚束ない口調で言葉を搾り出した。
「ん……?」
しかし、名を受けたミリガンは不意に眉を潜めた。
縦皺が眉間に数本刻まれた顔は、迫力ある顔を更に際立たせる。
「ど、どうしましたか……? 」
ドンゴロはミリガンの変化に気づいて慌てて言った。
「――確か……」
ミリガンは首を傾げると、ドンゴロを睨んで指を打ち鳴らす。
それに素早く反応したドンゴロは、青褪めた表情で傍に駆け寄った。
光の目の前で二人はぼそぼそ話し始める。
――ん……どうしたんだ……
光は息を呑んでその様子を見守っていた。
――なんか……ミス……したかな……
不安に苛まれながらも、ただただ状況の変化を待つしかなかった。
こめかみに冷たい汗が滴る。
光は居た堪れなくなったのか、床板に視線を落した。
そして、落ち着かない様子で、床のひび割れた場所を指先で擦り始めた。
――――――しばらくして、不意に耳もとで気配を感じる。
「――あのよ……光……」
「び、びっくりした……な、何ですか……」
弾けたように体を横に逸らし、床に左手をつく光。
気がつくと、ドンゴロがすぐ傍にいて耳打ちをしてきていた。
低い声でドンゴロは続けた。
「お前、記憶喪失なんだよな……確か……」
「そうですけど……」
「それなら、何で名前だけ覚えているんだ……?」
それを聞いた光は呆然とした様子で言葉を失う。
――……しまった……
光は背中に冷たい水滴がおちたような感覚を覚えた。
それと同時に、屋内に広がる空気が変わった原因を瞬時に把握する。
「あの、えっとー……」
頬を掻きながら、語尾を引き伸ばし考える時間を作る。
――………………ヤバイ……
相手がただの行商人ならここまでうろたえはしない。
しかし、光がここに連れてこられる前に浮んだ推測は確信に変わっていた
――……あんな目を……行商人ごときが……できるわけがない………………
光がそう確信めいたいものを抱くのは、昔の経験からくるものだった。
学生の頃、父徹が家にヤクザの親分を招待し、接待したことがあった。
大きな会社を経営すると、そういった類の人間と関係を持つことがある。
光は同席させられていた。『社会の闇の部分を子供の頃から目にしておく』――徹の教育の一貫であった。
その時、対面したヤクザの親分の目から受けた威圧――それに近いものを光はミリガンにも感じていた。
――……こいつら絶対真っ当な人間じゃない……たぶん、犯罪者かなにかの類の者達…………
焦りを隠しきれない。その焦燥はさっきのミリガンの反応に根ざすものだ。
光が記憶喪失であるかないかに固執しているをさっきのミリガンの様子から悟った。
その理由は分からないが、ミリガンにとって、自分が記憶喪失か否かは重要事項なのだと光は思う。
記憶喪失でないと疑われれば、態度を豹変させる可能性がある。
真実をしゃべらせるために口を割らそうと拷問されるかもしれない。
「どうした……?」
光の返答が鈍っていると、ドンゴロが怪しんだ目つきで顔を覗き込んでくる。
「言葉に言い表しにくいんですが……その……」
言葉を濁しながら時間稼ぎをする。
――……拷問は嫌だ……それだけは……『絶対イヤダ!』
背水の立場に身を置いて、初めて光の生き残るための本能が重い腰をあげる。
――お、落ち着け、俺!……俺は賢い……出来る奴だ…………何でもできる……できる!
呪文のように内で啓発の言葉を繰り返し、自らを落ち着かせる。
固まった笑みをドンゴロに向けている間に、頭の中で滔滔と浮かび上がるピースを急いで掻き集めていく。
それが一定の輪郭を伴って形となった直後、光は深く息を吸い込んだ。
――……よし……一か八か……!
「なぜか……名前だけは覚えています……」
決死の重いで言葉を吐き出した。
「ふむ~……」
ドンゴロが首を傾げ、納得していない表情を浮かべる。
光は薄笑いを浮かべて俯いていた。
記憶障害の人間が名前だけは覚えていた――テレビドラマや映画でよく見る一こまだ。
それを光はぎりぎりで思い出した。
しかし、実際そういうことがあるかまでは詳しく知らなかった。
確信がもてないものを吐露して、内心受け入れられるか不安はあった。
「――そうか……そういうことはままある……さてと……」
だが、ミリガンはあっさりと納得した。
そういう人間と会った事があるのか、本人が経験したのか――
理由は分からないが、取りあえず、ほっと胸を撫で下ろす光。
正座をしていた足を崩して女座りになる。
あばら屋の入り口から外の様子が窺える。
光がそちらを見やると、漆黒の闇のなかにぽつりぽつり松明の明かりが浮んでいた。
おもむろに視線を足元に下げる。
暗い床板には光が村に来るまで切望し続けたものが並べられている。
皿に載った何かの川魚や獣の肉。
紫色をした歪な大根のような植物。
白い陶器の入れ物には黒っぽい液体。
それぞれが独特の匂いと存在感を放っている。
全てドンゴロが用意したものだ。
「さぁ、遠慮なく食べてくれ! 」
「はい、頂きます……」
光はミリガンとドンゴロに饗応を受けていた。
用意された木製の尖った棒を肉に突き刺して口に運ぶ。
見かけはグロテスクだが、味はまずまずだった。
その勢いで、他のものにも手を出すが、川魚の身の臭みには顔が歪みそうになるが、なんとか堪える。
それでも総じて見かけほど味は酷くなく、光は安堵していた。
「ハハハ……ドンゴロはドジだからだな! 」
「それはないですよ……お頭……」
「すまんすまん! ハハハ! 」
意外にも鷹揚で明るいテンポで話すミリガン。
その話し振りに凍てついた光の心は、徐々に温められ安心感が広がっていく。
「この間は一つ向こうの村で、金の女神像を1000ジルで売りさばいたよな」
「あれは美味しかったですよね、頭!」
「へ~……1000ジル、すごいな~」
貨幣価値は分からなかった。しかし、取りあえず、相槌を打ち相手を持ち上げる。
「何言ってんだ光。1000ジルなんてあっという間よ、お前なら少し勉強すれば目利きが効くようになるだろう、そしたら、すぐに大金稼げるぞ、ガハハハ」
「そんなうまくいくかなぁ? ハハ」
後ろ頭を左手で摩りながら、苦笑いを浮かべる。
完全に打ち解けて見える三人。
しかし、光は饗応を楽しむ振りをしながらも、冷静に二人を観察をし、そして周囲の様子を気にかけていた。 ――……おかしい……他にも人がいる気配があるのに……なぜ二人だけ……?
人の気配は外に複数あるのに、饗応に参加するのはミリガンとドンゴロだけだった。
だが、その疑問はすぐには浮かばず、頭の隅に残したまま保留する。
光は二人と適当に話をあわせながら、出された飲食物を平らげていく。
その最中に、また別の疑問が頭をよぎる。
――…………ミリガンたちが俺をもてなす理由はなんだ……?
饗応を受けてからずっと燻っていた疑問だ。
光がその意味を頭の中で掘り下げようとした時――不意に誰かが饗応の席に割り込んできた。
「お頭! ちょっと話が……!」




