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第三十六話、青空と勇者 回想その4

「俺、天草光って言います」

「わしはドンゴロだ」


 自己紹介を済ませる光。名前を知ることは相手を知る第一歩だと考える。懐疑を内に宿しながらも、常に自らは自然に振舞うのが光の信条だ。


 ――取りあえず、老婆の話を鵜呑みにしたわけじゃないが……ここが異界である可能性はは捨てきれない……追いつけて良かった……


 実際のところ、光は老婆の存在すら疑っていた。ベッドの上で朧な意識の中、相手と会話が成り立ったわけでもない。ただ、一方的にぼそぼそと流れ来る預言のような声を耳にしただけだ。聞き取りにくい低い声を、勝ってに老婆だと思いこんだだけかもしれない。その姿を目にしっかり収めたわけではないのだ。だが、微かに体に残るベッドのシーツの感触は本物であると確信していた。実際に誰かに――老婆と思われる存在に、介抱されてたのは事実だ認めていた。そして――しばらくして、眠りに落ちた後、見た夢……

 

 森の前で目覚めた地点では、介護を受けた相手を老婆と認識し、夢の中の老婆と同一人物だと思い込んでいた。それは、夢の中で聞こえる老婆の話を鵜呑みにしていたからだ。

 しかし、よくよく考えると、所詮は夢の話である。都合よく自らが無意識のうちに、散在する記憶や思考、推測を繋ぎ合せ、老婆の夢としてみた可能性もないわけではなかった。

 だが、そんな懐疑心とは裏腹に、今も夢の中で会話した現実味のある老婆の声は光の耳にしっかり残されていた。とても夢とは思えない程、脳裏にこびり付く会話の断片の数々。その中で明らかにされた驚愕の事実。光は夢で片付けるには無理があるほど鮮明に覚えていた。

 ただ、夢の話だけを考えるなら、男を追いはしなかった。他にもここが異界である可能性を光に思わせるものがあった。

 

 森の前で男に声をかけられ目覚めた時、光の周囲にはあまり目にしたことのない風景が広がっていた。それはちょうど、日本の自宅のテレビでたまに映しだされていた、外国の自然の様子を、そのまま切り抜いたような風景であった。とても日本のものとは思えない自然が、光を取り囲んでいた。ペンションがある場所は確かに人里離れた山奥であったが、飽くまで日本であったはずだった。


 その事を思い合わせると、光の中で夢での会話の内容が奇妙な一致をなして繋がってくる。もし、夢の中の者が語ったとおり、ここが日本でも外国でもなく、地球でもない異界であるとしたら……? そう考えるとある程度辻褄が合う。ただ、それは光が考える全てを肯定した場合だ。ただ、ここまで一つの可能性が見えてくると、夢の話を否定するにも勇気が必要になる。万が一にも、今いる場所が日本ではなく、別の場所、老婆らしき声が夢で語ったとおり、異界であるとすれば、色々面倒な事が出てくることは疑いようがなかった。


「しかし、記憶喪失とはな〜……何も本当に覚えてないのか?」

「はい……」


 そういったこともあって、万が一異世界、つまり全く未知の世界に足を踏み入れたとすれば、便宜上、記憶喪失であることにしておいたほうが良いと考えたのである。ただ、そうする必要が起きたのにも訳があった。異界で出あった現地人と思われる存在と何故か、言葉が通じるるためだ。日本語が通じるのだ。ここが異界であるかどうか、確信がもてない理由もそこにあった。


  

 


 緑の草原を越えると、薄闇の先から水の流れる音が二人の耳に届く。


「ミール川が見えてきた、もうすぐじゃ」


 日が地平線に今にも消えていこうとしていた。辺りに夜の気配が勢いを増し始める。ドンゴロの言葉に、光は前を見据えると、青白い眼界に、闇に染められ黒ずんだ川が横たわっていた。


「助かったぁ……」


 思わず溜め込んだ思いを声に出す。光はここに至るまで、鬱蒼と繁る草花を掻き分け歩き続けてきた。既に疲労はピークに達し、無心で歩を進めてきた両足は鈍りのように重かった。しかし、目的地が近いことを聞かされ、俄然、体に漲る力が強さを取り戻す。


「ここを川沿いに北へちょっといくと、橋がある、そこを渡ればすぐじゃ、頑張れ!」


 ドンゴロはそう、光を見ずに励ましの言葉をかける。そして、川沿いを北に舵をとると、竹篭を担いだ背を微かに前に倒して、また黙々と歩き始めた。


 

 ひとしきり、二人が川沿いの夜道を歩き続けると、太めの木々を組んだ橋が姿を現した。


「この橋渡ればもう村は目と鼻の先じゃ」


 二人は木の橋をしっかりした足取りで踏みしめる。光は木の橋を渡りながら、川のせせらぎに耳を澄ましていた。


「ごくり……」


 水の流れる音に思わず喉を鳴らす。光は今、両手に何も持っていなかった。手ぶらだった。ペンションの山道を歩いている際は、家からペンション滞在用に色々詰め込んだリュックサックを背負っていた。しかし、森の前で目を覚ましたときには消えていた。それに気づいた時、すぐに周りを探したが、見つけることは叶わなかった。山道から転げ落ちた際になくしたか、或いは……。飲み水や菓子類の入ったリュックを失ったために、光は長い距離を飲まず食わずで歩き続けていた。


 ――喉からからだ……水くれ〜水……村……水……


 頭の中は水に関係するものに占拠されていた。村にあるだろう飲み物に思いを馳せる。といっても、光は妄想を膨らました誇大なものを頭に浮かべたりはしない。ドンゴロの貧しさを匂わす擦り切れた服装を見てると、大した村じゃないだろうと予測はしていた。

 せいぜい冷たい井戸水が、お茶が出る程度だろう――と考えていた。ただ、水に意識は傾きつつも、頭の端で言い知れぬ不安も感じていた。かなりの確率で今いる場所は異界であると確信し始めていたからだ。特に目新しいものを目にしたわけではない。ただ、光の第六感のようなものが、意識の深淵からそう訴えかけてきていた。


 大きな満月の下、青白い光が辺りを照らすが、電灯らしきものが一つもない。橋を越えた先には、月影を受けて微かに葉先が白く光る、膝丈ほどある草が繁っていた。


「ほら見えてきたぞ」


 光は指差す方へ視線を走らせる。青白い闇の中に、紅い光がポツリポツリ見える。その近くには建物らしき黒い影がいくつか連なっていた。だが、距離が縮まり近付くにつれて、期待で膨らむ光の瞳の輝きは失われていく。


 ――おい……これって……



「――着いたぞ……あ……ちょ、ちょっと、この木の陰で休んでてくれるか? 村のものに話してくるから」

「――はい……」


 光が頷くと、意気揚々とドンゴロは建物群の方へ歩いていく。木の陰から光は用心深く村の様子を眺め見ていた。呆然と建物の細部に目を凝らす。そして、しばらくすると、落胆の色を表情に刻み俯いた。


「あばら家の集合体じゃないか……」


 ぽつりと低い声で呟く光。


 


 ドンゴロが村に入ると、のそのそと建物から怪しげな男たちが3,4人出てきた。


「おう、ドンゴロ! なんか取れたか?」


 太っちょの男がドンゴロにぶっきらぼうに声をかけた。


「いや、全然じゃ……」

「な、なに!? 手ぶらで帰ってきたってのか!」


 ドンゴロがそう小さく呟くと、太っちょの男は怒号を飛ばして詰め寄る。


「お頭、ちょ、ちょっと待ってくれ……これには訳があるんじゃ!」


 巨大の二本の手で襟首を締め上げられ、ドンゴロは焦った様子でお頭に言った。宙に高々と持ち上げられ、足を地面より少し浮いた辺りでバタバタさせている。


「ち! つまんねー言い訳したら、平原の魔物のエサにしちまうからな!」


 お頭はそう言って、一旦ドンゴロを地面に降ろした。尻から無造作に降ろされ、尾骨を打ったらしく苦痛で顔を歪めている。


「――で?」


 お頭は苛立った様子で、間髪入れずに巨体を沈め、片耳をドンゴロに突き出す。


「は……えっと……話すと長いんじゃが聞いてくれ!」

「うむ……」


 …………




 その頃――

 

 光は村の外に生える一本の木に下で、ドンゴロを待ちながら何やら考え事をしていた。


 ――なんかおかしいな〜……


 足元の小石を拾って、少し離れた草花の茂みに投げいれる。それを光はずっと繰り返していた。何か深く物事を考える時に、つい近くのものを拾いあげ、投げるのは昔からの悪癖だ。家で勉強している際も、消しゴムをちぎっては、勉強机の奥によく投げ込んでいた。


 ――貧相な村だということは……外だけ見ても分かる……


 小石を投げながら、少し離れた位置に寄り添うように建つ、あばら屋のような家々に冷めた視線を這わせる。その家々を細部にわたって目でなぞる様に観察していた。


 ――……板を重ね合わせただけの、簡易な造り……とても長期間暮らすために作られたものとは思えない……


 妙な違和感に包まれつつも、頭の闇の部分を明らかにすべく、高速で積み重なった情報を処理していく。そのうち、村の上にかかる満月に、灰色の雲がかかろうとした時、俯き加減に垂れていた光の頭が、不意に弾かれたように天を指して持ち上がった。


 ――ま、まさか……だが、もし……この通りなら……


 光が焦燥に駆られ、立ち上がろうとした、その時――


「よ! 待たせたな……」



 

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