第三十五話、青空と勇者、回想その3
ご無沙汰してます。なんとか一話更新しました……工房で完成したら、また。
光は何度か森の中へ踏み込もうとした。
だが、尖った木々の枝や、太い幹、棘のある蔓のようなものが行く手を阻む。阻むというより、複雑に絡み合って外界との接触を頑なに拒んでいるようでもあった。
「やめときなされ、怪我するぞい」
「そうするよ……」
無理に分け入っても、男の言うとおり傷だらけになるのは目に見えていた。
そこまでして婆さんに会う必要も無いかと思い、森に分け入るのを諦めた。
森の前に広がる、草花の自然の寝床に大の字になって、しばらく空を静かに眺めていた。
「じゃあ、おら行くでの……」
男は光の無茶な行動が一段落したのを見咎めると、背を向けてどこかへ向かって歩き始めた。その姿を何気なしに横目の視界にいれてはいる。だが、今置かれている状況が今ひとつ飲み込めない。確かなのは、甘い香りを漂わす草花のベッドが心地よいということ、そして、このまま寝てしまいたいという欲求だけだった。
視界に映る男の背中がみるみる小さくなっていく。
光は無意識な焦燥を感じていた。
――待てよ、夢の婆さんの話…………
光は立ち上がって辺りに目を向けた。周りの風景の細部にゆっくり視線を流していく。
だだっ広い草地、その先には何も映り込んで来ない。ただ青空と草地をわける地平線があるのみだ。足元に生える見たことがあるようでないような黄色い花。そして、極めつけは……光は森に再度向き直る。呆然と雄大な森の姿を眺め見ていた。だが、さっきまでの光の様子とは違っていた。ただ、見つめているだけではない、頭の中で何かが組み立てられ始めていた。
その間にも、男の姿は黒い点になり、地平線に今にも溶けようとしていた。
――うわ、ちょ! やば!
やっと光は恐怖した。
自らが置かれている状況に最大級の危機感を覚えたのだ。
――あのおっさん見失ったら完全に迷子だ!
光は猛然とダッシュした。
それこそ、得体のしれない化け物にでも追われるような、冷たい感覚を背に感じながら。
「ほぉ、全ての記憶がないのかあんた」
「そうなんですよ……頭打ったらしくって」
男に追いついた光は、おろおろした様子で男に今までの経緯を語った。
「そしたらおめ〜、自分が何者かとか、この世界の成り立ちや一般常識すら飛んじまったって事か?」
「…………」
光は額に手を当てて虚ろな眼差しで、押し黙る。相手に重度の記憶障害だと思わせる苦肉の策だ。だが、その迫真の演技に騙された男の表情に、同情の色が浮ぶ。心なしかごつごつした頬が緩んで見える。
「そういうこったら、おめ〜、オラの村くるか?」
「え……?」
期待通りの言葉が男から返って来ると、暗然とした表情を保ちつつ、男の顔に眼をやる。口周りの無精ひげに、無骨な笑みを湛えて光を見下ろしていた。
「おめ〜はついてるよ、ほんと」
「そうですか?」
「うんだ、あの辺はおらもめったにいかねーんだ、たま〜たま、あの森の近くの木々に群生する茸を取りに来ただけだからな。そんな状態でずっとあの辺うろうろしてたら、あんた魔物に食われてただよ」
男は多少得意そうに語っていた。その隣で、後頭部を手で掻きつつ、俯いたまま歩く光。しかし、ぼ〜っとした外見に似合わず、内では様々な念が渦巻き、男をあらゆる方向から観察していた。
――このおっさんは……たぶん……大丈夫そうだ。少なくとも、親切を装って近付く人攫いでも、人売りの類でもないはずだ……まだ分からないけど……
光は慎重に男の性情を見極めていた。自分から後を追って話を親身に聞いてもらい、こうして村に連れていってもらっているのに、まだ半信半疑の状態だ。
今までもそう簡単に他人を信じる事をしてこなかった。学校生活でも、ある一定期間気になった相手を観察し、信頼の足ると判断したものだけにしか心を開かなかった。そのためか、友達の数はどちらかと言えば少ない方だ。
こうした極度なまでの他人への懐疑――それは過去に、父徹に植えつけられたものだった。
子供の頃、光は事あるごとに、徹にこう語りかけられていた――
『光ちゃん、決して無闇に他人を信じちゃだめだよ』
『なんで?』
『他人はね、常に相手を落としいれようと考えている生き物だから、信じるのはお父さんと家族だけでいいんだよ』
『じゃあ、他人を信じなければいいんだ?』
父の言葉に割り切った自分なりの極論を返す光。
これには苦笑いを浮かべる徹だったが。
『いや、全く信じないのもそれはそれで大変だけど、父さんが言いたいのは、他人を頼るなら、とことん疑ってから、それこそ犯罪者のなかから、使えそうな人間を選ぶくらい慎重にやりなさいって事だね、分かる?』
『分からない……』
説明が長すぎて、途中で考えるのを放棄した幼い光。
『ハハハ、光ちゃんはまだ子供だから、大人になればいつか分かるよ』
この時は幼さゆえに、理解に至らなかったが――
現在は、徹の執着にも似た努力が実ったのか、光の身にしっかりと父の教えは刻み込まれていた。




