第三十二話、青空と勇者、プロローグ。
勇者は両親に画家修業をしていると大嘘をつき、外国から連れてきた日本語ペラペラのアイルランドの師匠と弟子、そして自分を合わせた三人が住めるマンションを徹に要求した。徹はそれに快く応じこのマンションを勇者達に貸し与えた。光熱費、水道費、その他諸々かかる費用は全て徹が肩代わりし、その上、生活費月々50万円が勇者の銀行に振り込まれる事になっていた。
勇者は無理な嘘をついて、ここまで父親の厚意を受ける事は実のところ本意ではない。元々父親の過保護さに嫌気がさして家を飛び出したのだ。二年家を空けておいて、ひょっこり帰ってきたあげく、三人もの人間が住む住居、生活費を要求するなど、恥の上塗りも良いとこだった。だが、その恥辱を甘んじて受け入れてでも、安定した生活を確保する必要があった。
勇者はゼームス大陸である出来事をきっかけに、魔王をも遥かに凌ぐ力を手に入れた。そして、一人旅をして村々を伝って放浪生活をしていた時もある。そんな経緯を経て、ほぼ別人のようになってこの世界に帰ってきた勇者。自分一人だけなら、野宿をしようが、なんとでも生きていける自信はあった。だが、問題はルージュとドンゴロである。知己も寄る辺も礎もこの世界に全くない二人。文化も社会もまるで異質なこの世界で、二人が生きていく事が過酷なのは火を見るより明らかだった。ゼームス大陸で勇者とパーティを組んだ際も、ほぼ勇者の力と知恵に頼って苦難の旅を乗り越えてきた。だが、それはゼームス大陸だからの話で、この世界であちらと同じように、三人パーティで放浪するなど不可能に近い。世界観も常識も全てが異なる国にいるのだ。そういった事を踏まえると、元々この場所に住んでいて、家が裕福な勇者が取り合えずの生活を確保する必要が早急にあったのだ。ただ、それも勇者の特殊な親子関係がなければ実現するものではなかったが……
仕方がないにせよ、父徹の過保護なまでの豪奢な計らいを受けてしまっては、嘘が嘘とばれないように、その痕跡を部屋に残しておく必要がある。そんな後ろめたい理由から、勇者は写生をしようと三人に持ちかけた。
勇者達は大きめのキッチンの窓際で、三人並んで座っている。
木張りの床に座布団を敷いて塩梅をよくし、足を折りたたんでそこに尻を沈めていた。
折りたたんだ足の傾斜にスケッチブックを立てかけ、左手には白いパレットを持ち、右手には筆が握られている。画材一式は徹が気を利かして倉庫に用意していたものだ。他にイーゼルやら、油絵の具、その他、絵に関係するものが倉庫には所狭しと積まれてあった。
三人は窓を開け広げ、昼下がりの白い雲が点在する青空を、水彩絵の具でスケッチブックに描いていた。
題材の『空』、それを選んだ理由に深い意味はなかった。
外へ写生へ行くのが億劫なので、部屋で何かを書こうという勇者の鶴の一声で決まった。最初は、リンゴ、食べ物、部屋の内装など、対象選びに意見は分かれた。だが、勇者は窓に映る青空を選んだ。そして、勇者がそれだと決めた地点で反論を述べるものはいない
「しかし、勇者よ、このマンションとやらは広いなぁ……」
「あたりまえだよ……5LDKの高級マンションだぞ……普通住めないぞ」
勇者達の居住空間は閑静な住宅街にある、高級マンションの3階にある。
その2階建ての空間は三人が住むには贅沢すぎる内容だった。――玄関を入ってすぐに、広いフローリングの廊下が横たわる。温かみのある明るい木張りの廊下の前方には乳白色の壁が続き、それぞれの部屋に繋がる扉が壁に備え付けられている。玄関の正面には木の格子枠の硝子扉がある。そこを開けると、18帖ものキッチンが姿を現す。その中にあるシステムキッチンは真新しく、廊下と同じ色のフローリングの上にアンティーク調のテーブルと高級そうな木材を使用した椅子が置かれている。そのキッチンには引き戸式の大きな窓があり、外の広いバルコニーへと出ることができる。一階には他にも8畳ほどの洋室、和室がある。そして、廊下の階段を上がって2階には、10畳の洋室2つ、8畳の洋室一つと、とにかく広い造りになっていた。
「はぁ……だるかった……」
勇者は元々絵心がない上に、絵を描く理由が陳腐なためか、書き終えた絵もお粗末なものだった。最初に青と白を混ぜ合わせて作った水色を白紙全面にに塗りたくり、雲と太陽を白と橙色の絵の具で空に描いただけだ。
「絵を書くなんていつ以来だろ、楽しいな〜♪」
ルージュだけは、住んでいた村で絵を描く事を趣味にしていたらしく、その話を持ちかけられると、満面の笑顔でやる気を垣間見させ、黙々と窓に映る青空を描いていた。
「中々難しいの〜……」
「頑張れじいさん……」
ドンゴロにだけ、勇者は絵の書き方に注文をつけた。一応、勇者のアイルランドで世話になった師匠という設定だ。それ故、生半可な絵を書かれては、嘘がばれてしまう。だが、ドンゴロは勇者と同じく絵心というものを持ち合わせてはいない。そこで勇者は、ドンゴロに手を使えと命令をした。様々な絵の具を手の上に落として、その上でグチャグチャに混ぜ合わせ、好きなように『手』を使って書けとだけ伝えた。
「う〜む……」
最初はドンゴロも戸惑いを見せたが、元々の気性の荒さゆえか、書き始めると大胆、且、豪快に手を動かし続け、ほんの数分で『何か』を描ききる。
「こんなもんでどうかの……?」
勇者に自信なさげにドンゴロは呟いた。
「どれどれ……お、おぉお!?」
「え……?」
だが、ドンゴロが描いた不可解な曲線の集合体は、不思議と芸術的な『らしさ』を醸し出しているように勇者には見えた。ドンゴロはその勇者の大袈裟にさえ映る反応にきょとんとしている。
「おぉ、ドンゴロ、ナイスだ……いいよいいよ〜」
「ハハハ、そうかそうか、それは何よりじゃ」
勇者はその訳の分からない絵を見て、ドンゴロを褒め称えた。勇者はその絵の不可解さ、曖昧さに満足していた。その絵を眺めながら、笑顔を浮かべ何度も首肯した。絵なんてものは、他人が見て一目で何書いてるか分からないくらいが丁度いいし、上手いか下手か見訳が付きにくい――と勇者は軽く考えていた。ある意味、芸術自体、軽んじていた。
「書き終えた〜ねね、勇者様みて〜!」
ルージュは顔に自信をありありと覗かせ勇者に絵を見せる。色彩豊かに優しいタッチで描かれたルージュの絵は、インパクトはないものの、不思議な魅力に溢れていた。その絵の両端を軽くつまみ、目を凝らしたまま、感慨に耽った様子で佇む勇者。
「……うん……いい……」
「有難う〜〜〜♪」
少し呆けた様子で感想を述べる。勇者に褒められルージュは満足げに、感謝の言葉を返した。そして、褒められたことに気を良くしたのか、スケッチブックを捲り、新しい絵を腰を据えて書き始める。その隣に腰をゆっくり下ろし、勇者はさっきのルージュの絵に視線を置いたまま、見入っている。勇者はその絵に描かれた青空を眺めていると、何故か、ゼームス大陸を訪れたあの日を郷愁深く思い出してしまい、その頃の回想に自然と意識が吸い込まれていく。
――確か、あの時も……この絵のような、優しい光に満ちた青空だったよな……
勇者の回想が次から入っていきま〜す。過去入りま〜す。




