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第三十話、魔王の品格。

 魔王が吐露した事実に、困惑気味に瞳を震わせる彩。後ろ手をコンクリートの地面について、卓の姿をした魔王を見上げる。自分の前に佇む卓は、姿かたちは彼氏である卓そのものである。だが、確かにさっき彩を抱えて卓は空を飛んだ。今こうして、高いビルの屋上にいる事が、それを如実に物語っている。卓が、人間が空を飛ぶ事などできるわけがないのだ。それに加えて、さっきの魔王の発言である。よくよく考えてみると、今日の卓の雰囲気と口調が、彩はいつもと何か違うような気がしていた。彩は前に立つ卓を眺めながら、今日の卓の今までの印象を顧みる。そうして、今日の卓の様子を細部に渡って分析していると、魔王の発言の信憑性が、自然と心の内で色濃くなっていくのを感じていた。


「今から変身を解いて本来の姿を見せるが、俺の姿を見ても慌てるなよ……」


 今いる場所は欄干もないビルの屋上だった。魔王は自分の姿を初めて見た人間が、どういう反応を起こすか嫌というほど分かっていた。大抵の人間は、その禍々しい姿を見ると、衝撃を受けてパニックを起こす。イクゾーのようなタイプは例外中の例外だ。いきなり本来の姿を彩に披露して、彩がパニックに陥り、屋上から落下して死なれては後味が悪い。なので、彩の様子を観察しながら、慎重に言葉を連ねて変身を解くタイミングを探る必要があった。


「で、俺の姿なんだがな、ほぼ漆黒のローブに包まれてるから、お前たちに怪しくみえるだろうが、そんなに驚くほどでもないと思う……」

「はい……」


 彩からそれほど緊迫した雰囲気は感じられない。既に女座りで魔王の話に静かに耳を傾けていた。魔王はこれなら大丈夫だろう――と判断した。


「じゃ、解くからな〜!」

「はい……」


 魔王がそう言った瞬間、体全体が燦然と輝き、本来の姿へと変わっていく。しばらくすると、眩い白光が次第に薄れて完全に消え去り、彩の前に魔王本来の姿を現した。


「どうだ……?」

「えーっと……」


 一瞬で卓の姿が様変わりし、黒尽くめのローブで覆われた怪しい男が眼の前に立っている。

 だが、ほぼその体は漆黒のほっかむりのローブに覆われ、ただ、怪しいとしか彩には感想が浮かんでこない。だが、それでも普通の人間ならこの姿を眼にすれば、魔王の体から発する瘴気や威圧、不気味さに慄き、平然とはしていられない。それに比べると彩は異様なほど落ち着いていた。


「あの〜……」

「どうした……?」

「ローブ脱いでもらえませんか?」

「――なに……!?」

「もっと姿を良く見たいので……」


 魔王のローブに覆われた姿に怯えるどころか、彩はその下に隠された魔王の姿をよく見たいと要求してきた。魔王はそんなことを一度も初対面の人間に言われた事がない。漆黒のローブに覆われた姿のままでも、相対する大抵の普通の人間はその圧倒的な威圧感に、気圧され言葉すくなに俯くか、黙ってしまう。まして、更に踏み込んで魔王に対して要求など普通はないことだ。

 

「お前本気で言ってるの?」

「はい!」


 彩は好奇心に満ちた眼で首肯した。その迷いのない返事に、何だか魔王の方がローブを脱ぎ捨て、肉体を彩の目に晒すことが恥ずかしくさえ思えてくる。


 ――何か調子狂うな〜……


 魔王はそう思いながらも、自分の肉体美に自信はある。見たいと言われて拒む道理はなかった。


「じゃ脱ぐからな……」


 そうはいっても、好奇心の眼差しを一身に浴びて、脱ぐのはなにか裸を晒すような、得もいわれぬ恥ずかしさが付きまとう。それでも話の成行き上仕方なく、頭のほっかむりを上に引き上げて、勢いよくすっぽりとローブを引き抜いた。

 ローブが覆っていた魔王の肉体の一部が白日の下に晒される。瞬間、彩は眼を見開き、口を驚いたようにO字型にしてその姿に見入っていく。

 灰色の武道着から伸びる漆黒の逞しい太い両腕……大きな横幅のある口、その口の隙間から覗く、鋭い尖った牙が幾重にも連なり、日の光を浴びて煌く。頭部の黒い地肌から逞しく後ろに反りかえるようにして生える二本の角、それら全てが独特の存在感を放ちながら、彩の目に飛び込んできた。

 魔王は腕を組んで、足を開き気味にふんぞり返っている。どうだ――と半分開き直って、彩にその姿を見せ付けていた。彩は女座りしていた足を崩し、地を這いながら角度を逐一変え、その姿に隈なく視線を注いでいた。


 そして――


「うわ〜、すんごい格好良い! この姿本物ですよね!?」

「失礼な事いうな……なんならあちこち触っても構わんぞ!」

「ええ、じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて……」


 彩は立ち上がると、魔王の肉体を銅像にでも触れるかのように、撫でたり指先で突付いてみたりしていた。跳ね返ってくる筋肉の弾力が彩の指先に伝わっていた。何やら首を縦に何度か振りながら、驚嘆の声を交えて見入っている。彩の触診のような観察が、しばらく続いていた。


「特殊メイクとかでもなさそうだし、チャックも見当たらないし、それに筋肉から伝わる温かみ……本物としか考えられない……それにしても……すごい筋骨隆々ですよね……」

「当たり前だ! 俺はこう見えても、ゼームス大陸に君臨する魔族の長、魔王様だぞ!」


 魔王は物珍しそうに観察しながら、どこか煮え切らない発言を呟く彩に、業を煮やしてか、自分の素性を威圧の篭った口調で吐き出した。


「ま、魔族! 魔王!?」

「そうだ、俺はゼームス大陸を圧倒的な力で手中に収め、支配し人間達、魔族の頂点にたつ魔王様だ、本来なら、お前のような小娘が馴れ馴れしく語れる相手ではないんだぞ?」


 それに呆然としながらも、気になった言葉を掻い摘み聞き返す彩。

 魔王はそれに重ねるように、厳かな威圧を含んだ言葉を彩に投げかけ、自分がいかに威光ある地位に就いているかを強調した。彩にその凄まじさを植えつけるために、説明は若干長めになっていた。だが、彩はそれを聞いて、益々好奇心に眼を輝かせ、胸元に置く両拳に微かに力が入り震えていた。


「すごいじゃないですか……わぁ〜〜何か私、嬉しいなぁ〜!」


 魔王は彩の反応に若干、照れ臭そうにしていた。そして、やり難そうでもあった。ちょっと変わった人間の女だな〜……と内で呟く。その姿が不思議と姫と重なるような錯覚さえ覚えていた。

 彩は確かに変わってはいた。だが、それは彩の嗜好が多分に影響しているせいもある。彩はふだんから、オカルト話や、ファンタジー、中世の魔女裁判など、そういった架空の存在や非日常的なものを専門に書いた小説や伝記、民俗学などを読むのが大好きな女性だった。そして、そこに出てくる架空の存在に平生から、憧れを抱き、実際に存在していたらな〜――と仄かに夢見て、想像の世界でその存在を思い描くほど傾倒していた。

 そんな彩の前に、架空の世界からひょっこり抜け出たような姿で現れた魔王。彩が強い興味を抱き、好奇心に打ち震え、嬉々とした色をその顔に湛えるのも必然なのかもしれない。


「さてと……俺が正体を晒したことで、お前の彼氏への誤解も多少は解けただろう」


 魔王は彩のしきりに続く驚喜の声を振り払うかのように、会話の舵をとり話題転換を図る。


「……えっと、まぁ〜……でも、彼……いつも、自分の内に悩みしょいこんで……彼女の私にすら……悩みを打ち明けてくれないんです……」


 彼氏の話題を振り向けらると、架空の世界から一気に彩の心は現実に戻される。

 足早に流れてくる雲に太陽が不意に隠されたように、彩の顔にも一転して影が差し、さっきまでの陽気な雰囲気が消え去っていた。


「そんな事は俺のしったこっちゃないな……」


 魔王にそう言われ、彩は益々悄然として頭を力なくうな垂れた。

 自分の与えた誤解だけは払拭されたので、魔王はもうそれほど彩に気遣う事をしない。

 しばらく、諦念を顔に浮かべて、力なく背を丸める彩の姿を眺めていた。だが、すぐにある事に思い出だして、魔王は口を開いた。


「そうだ、飯を驕ってもらったからな、何か礼をしないとな!」


 手の平をポンと拳で打つと、魔王は彩に一飯の礼をする事を告げた。

 彩は尚も、卓の事で頭が一杯なのか、溜息を何度も漏らしながら魔王を見やった。一度彼氏の事を頭に入れると、彩は早々頭を切り替える事ができなくなるようだった。

 

「えーっと……礼なんて……」


 彩は遠慮気味に魔王に訥々と返す。その目は虚ろで生気が体から、抜け落ちたようにさえ映る。魔王はその様子を見るや、よっぽど彼氏の事が気にかかるんだろうな――とは、思うが、こればっかりは本人達がどうにかする問題だし、魔王も姫の事で悩む身、人の恋愛沙汰にかまけてる余裕は微塵もなかった。だが、一飯の礼は必ずしないと気が済まない。正体を晒し、多少なりとも彩に好感を持つ現状においては尚更だ。今まで魔王が世話になり、お互いを認め睦んだ人間、魔族には必ず何かを返してきた。イクゾーにも一飯一宿の礼として、あの魔道アイテムである、『転生バッジ』を分け与えたのだ。彩にだけ何も与えないわけにはいかない。魔王の律儀な性格がそれを許さないのだ。

 

 魔王は漆黒のローブに手を突っ込み、何かないか探り始める。しかし、何も持ってはいなかった。

 ――困ったな……


 魔王は腕を組んで空を仰ぎ見た。青空に一筋の飛行機雲が白い線を横長に引いていた。しばらくして、コンクリートの地面を黒い木靴で打ち鳴らし始める。ぼんやりその音を彩が耳で拾っていると、


「あの〜、一つだけいいですか?」


何か思いついたのか、表情に少し明るみを加え、薄っすら微笑みをうかべて尋ねる。


「うむ、何でも言ってみてくれ……」

「じゃあ、えーっと……」


 彩は持っていたカバンから紙片とボールペンを取り出した。そして、何かさらさらと紙片の上に書き連ねた後、それを魔王に手渡した。魔王がその紙片を見ると、何かの数字が羅列されていた。


「それ私の携帯の番号です、よかったら時々お話したいです……」


 彩は頬を桃色に染めて、魔王に照れ臭そうに言った。魔王は吸引の情報から携帯の情報を即座に認識した。それが何であるか分かると、魔王は少し困ったように顔を歪める。


「そんな事でいいのか……?」

「はい!」


 魔王はそう言いながらも、内心、その要望に当惑していた。彩は輝くような笑顔を魔王に向け、期待で胸を膨らませている。その視線を浴びながら、腕を組んで取り済ました顔で、思案気に佇む。魔王は実のところ悩んでいた。姫以外の人間の女性と交友を持つ事に、内心後ろめたいものがあるのは事実だ。だが、直接会うわけではない。それが魔王の中にある姫への背信行為に対する嫌悪感を幾分薄めてはいた。ただ、そうは言っても、魔王は携帯など持ってはいない。彩の携帯の番号を知ったところで、自由に気兼ねなく電話を掛けられるわけではない。掛けるとすれば、姫の部屋にある電話か、外に設置された電話機や電話ボックスから掛ける他なかった。そして、それは魔王にとって面倒な事でもあるし、あまり都合の良いものではない。

 魔王は承諾する前に、彩にその要望の真意を聞いてみたくなり彩を見やった。


「何で俺と話したいんだ?」


 それに彩は朗らかな笑みを湛え即座に答える。


「だって、魔族の知り合いなんてすごいじゃないですか! しかも魔王さんですよ! 物語や架空の存在だと思ってた人と、このまま別れるなんてもったいないって思ったんです!」


 両拳を胸元で握りこみ、好奇心に震える瞳で熱く語る彩。その瞳から溢れんばかりの熱意のようなものは、魔王の心に十分伝わってくる。


「分かった……」


 と、仕方なく、不承不承ながら細く呟くと、携帯の番号が記された紙片を懐にしまいこんだ。


 ――まぁ、いいか……直接あうわけでもないし、少し話すくらいなら……


 魔王はそう心の内で言い訳するように自身に聞かせる。そして、ある程度踏ん切りがついたのか顔をもたげると、最後にもう一度彩の彼氏の姿に変わった。その姿で彩に近付くと、彩の体をいきなり両手で抱えこむ。小さく悲鳴を上げる彩だが、全く抵抗はしなかった。抱え上げる意味に薄々勘付いていたからだ。次の瞬間、魔王は屋上の端から、彩を抱えたまま、ビルの前にある道路へ飛び降りた。


「わぁ……すごい」


 彩は上がってきた時と違い、落下中に周りの景色を目に入れる事ができるほど、落ち着いていた。ふわっとビルの前の道に舞い降りる二人。壊れ物を扱うように、魔王は優しく彩を地面に立たせた。


「じゃあな……」

「はい、魔王さん、きっと電話くださいね……」

「うむ……」


 魔王はまた生返事をしてしまった。しかし、それに彩は満面の笑顔で応える。魔王は口元に薄っすら微笑みを含むと、空に舞い上がり、澄み渡った青空にその体を溶け込ませていった。


 

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