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第二十九話、魔王の決断。


 魔王と彩は食事を終えると、レストランを後にした。

 彩は空腹を埋めた満足感に、終始明るい笑顔を浮べ、レストランで食べた料理の感想や大学であった事柄を淡々と魔王に話して聞かせる。それに魔王は相変わらず、セメントで固めたような変わらない笑みを浮かべて相槌を打つも、頭の中は姫の事で一杯だった。

 

 ――あの後、結局、姫と接する機会がなかったな……

 

 アーケードが長く伸びる繁華街の通りを、彩と魔王はゆっくりと歩いていく。

 はたから見れば、仲良さそうに腕を組み、二人だけの世界に浸って歩く恋人そのものだ。

 だが、実際は、話しているのはほぼ彩であり、魔王は相槌と気のない生返事のみである。


「それでね〜、大学の先生がね、黒板に書くんだけどさ〜」

「うむ……」

「字が達筆すぎて、何書いてるのか読めないんだよ〜!」

「ほーほー……」

「…………」


 ずっとマイペースで話してた彩だが、さすがに気のない返事の連続に嫌気が差してか、不満を顔に滲ませ始める。魔王の横顔を不機嫌そうに眼を細め見つめると、急に押し黙ってその場で足を止めた。魔王はそれに気づかず尚も、無造作に歩を進める。だが、左腕はしっかり彩の右手が巻きついているため、彩の急停止に腕を引張られ、初めてその時、彩に意識が向いた。


「ん? どうしたんだ?」

 

 平然とした顔で魔王が尋ねる。彩はその魔王の無神経にも映る態度が気に入らなかった。累々と積み重なった小さな不満は、大きな憤りの波へと変わり、彩は当等、魔王に燻っていた不満をぶちまけてしまう。


「それは……こっちの台詞よ! 卓、何でそんなに素っ気無いの!?」


 その勢いのある甲高い悲痛な声に、魔王は思わず両肩をびくつかせた。

 眼を白黒させながら言葉を失い、ただただ、彩の異変に驚くばかりだ。


「なんなの……あまりになんか……ほったらかしすぎだよ!」


 魔王はその鬱積した気持ちを零す彩を、観察するかのように覗き込む。彩は顔を逸らして薄っすら目尻に涙を溜めていた。その彩の様子を見ているうちに、魔王はその不満が今日の自分の態度だけに向けられたものでない事に、薄々気づきはじめていた。


 ――飯食ってる時と言い、今といい……恐らく……


 長い睫の下から魔王を不満そうに見つめる彩。しかし、魔王はそれに動じず、彩に柔らかく二重の眼を向けて、彩の右手をそっと握った。


「すまん……ちょっと悩み事があってな……その事で今頭が一杯なんだ」

「やっぱり……」


 彩はそれに気づいてたとばかりに、眼を伏せて溜息交じりに言った。

 だが、すぐに眼を見開いて魔王に顔を接近させると、


「……何でも私に話して……お願い……卓とはどんな悩みも共有したいと思ってる、だから……」


 そう言い放った彩の瞳の奥は、なぜか不安で揺れているように見える。

 その哀願的な言葉と不安で揺れる瞳に、さっき抱いた疑問が魔王の中で確信へと変わっていく。


 ――これは……俺が変身している卓って奴が普段から…………ふむ……しかし、俺の知った事ではないな……だが……


 魔王は実のところは、体良くこの場を切り抜けて、彩から立ち去りたかった。彩と離れたら金輪際この姿に変身するつもりも無かった。だから、その気になれば、突然猛ダッシュをして、人混みに紛れ彩と強制的に別れる事もできる。魅了を彩にかければ、彩が思考を閉ざしている間に静かに立ち去る事もできよう。それで彩との奇妙な縁を断ち切る事は可能だった。

 だが、そうした別れ方をすれば、彩と卓の今後に大きな溝を作る事になる事は必至だ。それくらいの事は魔王にも予想がつく。一飯の恩を仇で返すことを魔王は避けたかった。

 そこで急遽、魔王はこの場を穏かに切り抜ける、良い案が無いか考え始める。

 その間、ずっと黙っていては、彩の不信は募るばかりだ。魔王は早急に何か彩に伝えなければいけなかった。


 ――……むぅ、こりゃどうしようもないな……えーーーい、仕方ない!


「彩! こい!」


 彩に強い口調で叫び、その手を引っ張ると、魔王は突然、人混みを掻き分けどこかへ走りだした。

 

「ちょ、ちょっと、どこ行くのよ……」

 

 その魔王の行為に気後れしながらも、たどたどしい足取りで付いて走る彩。

 繁華街の出口を潜り抜け、魔王は彩と伴にひたすら走った。彩がそのうち疲れてきて、立ち止まろうとすると――彩の背中に手を回し、その体を軽々と両手で抱え上げた。


「ちょ、ちょっと〜!」

「…………」


 彩が人前で抱え上げられる恥ずかしさに声をあげるが、それを意に介せず、魔王は彩を抱えて歩道を走り抜ける。そうしているうちに、人気のない路地を視界にいれると、魔王はそこへ滑り込んだ。


「い、一体、な、なん……」


 彩が魔王が立ち止まると、声をかけようとする。しかし、それを最後まで言い終えるまでに、魔王は無言で人攫いのごとく彩を抱えたまま、不意に空へ舞い上がった。


「きゃあああああ……」


 突然の思いもしない出来事に、彩は甲高い悲鳴をあげて両眼を強く閉じた。その際、無意識に魔王の首に両手を強く巻きつけていた。




「着いたぞ……」


 彩は眼を閉じてる間、感じた事のない浮遊感に足をバタつかせて、魔王の首に必至にしがみ付いていた。そして今、その浮遊感が途絶え、魔王の声を耳にするが、まだ悲鳴をあげ続けて、足をばたばたさせている。


「こりゃだめだな……」


 仕方ないので魔王は地面に彩をそっと置くと、しばらく地面でばたばたしている彩を静かに見下ろしていた。



 少しして、彩はお尻に当たる堅い地の感触に気づくと、足をばたつかせるのを止めた。


「…………」


 そして、平坦な地が続いている事を確認するかのように、手でその周りを隈なく触り始める。彩は低く唸ると、恐る恐る眼を開いていく。彩は眼を開ききると、最初に黒いズボンが視界に入る。そのまま視線を上に這わせていくと、呆れた顔で卓が立ったまま自分を見下ろしている。


「え……卓……あれ、ここ、どこ?」


 冷静さを取り戻しつつある彩が、辺りを見渡して卓に尋ねる。だが、まだ思考は混乱気味にたゆとい、場所を把握するには至らなかった。


「ここはどっかのビルの屋上だ……」

「ビルの屋上? どうやって……あぁ、空……飛ぶ……あれ……?」

 

 彩は尚も頭の中は混沌として定まらない。きょろきょろ視線の先を変えては、魔王にそれを戻していた。それを三度ほど繰り返した後、魔王の顔に視線を置きざりにして口を開いた。


「す、卓? 一体何がどうなったの?」

「……知りたいか……?」


 彩の問いに魔王は神妙な面持で、確認をとるかのように尋ねた。彩は魔王をきょとんと見つめながら、無言で首を縦に三度振った。彩の首肯を確認した魔王は、一つ大きな息を吐くと、


「まず、最初に言っておく……俺はお前の彼氏、卓ではない」

「ええ……!?」


 彩を震撼させる事実を、釘を刺すように最初に口にした。

 それを打ち明けられた彩は、眼を大きく見開いて、しわがれた声で驚きを顕にした。


 

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