第二話、魔王異界に降り立つ
「ここは……」
吸い込まれた先で、魔王は微動だにせず佇んでいた。
――なんなんだこの狭い空間は
自分を覆うように立ちはだかる白い壁が、天井にまで延びている。
前の壁には取ってのような物が付いていた。
「ん? 」
魔王が下に視線を落とすと、なんとも形容しがたい形の容器に水が少したまっていた。
その容器は……ひどく薄汚れていて、鼻がひん曲がるほど臭い。
「こりゃたまらん、魔光波! 」
魔王はその狭い空間から脱するため、前の扉に手の平を翳したかと思うと
弱めの光球を放つ。
光球は扉を焼き払い、その先の壁をも突き破っていった。
周りの白い壁には今の衝撃により、火がついて赤く燃えていた
前の壁が崩れた事により外の風景が魔王の目に飛び込んでくる。
「宵闇? 」
体を少し地から浮かすと、魔王は光弾がつくりし道を、滑るように移動して外へ躍り出た。
――ここは……
外はすっかり日が落ちていて、闇が辺りを包んでいる。
近くに点在する外灯と雲から差し込む月明かりだけが、薄っすらとその場所にあるものを浮かび上がらせていた。
土の地面が広がる広場には、変わったものがいくつかあった。
歪な外枠から垂れ下がった鎖につながれた椅子。
砂が溜められた一帯。
丸い籠のような大きな球体。
魔王が初めて目にするものばかりだ。
――うーん、取りあえず飛ぶか?
浮いた状態から、夜の空へすーっと上昇し始める。
「な、飛んでる?」
高く上がりきらないうちに、魔王の耳に誰かの声が聞こえてきた。
声のする方を振り向くと、広場の隅に黒い影が見える。
「何者だ? 姿を現せ」
魔王の声に促されるまま、その影は外灯の近くまでやってきて、光のさす一帯に姿を晒した。
薄汚れた白い服と茶色の履物を纏った白髪の男。
袖が擦り切れ、汚い染みがあちこちについている。
魔王はその男を見据えると、彼の前に静かに舞い降りた。
着地場所の土が一塵の風により舞い上がる。
「あんた、大道芸の人かい? 」
その男は魔王の怪しい外見を意に介せず、落ち着いた様子で話しかけてきた。
「貴様、俺を知らないのか? 」
魔王はそう男に言うと、彼を睨みつけながら考えていた。
――ローブを被っているのと暗闇のせいで、この男に俺の本当の姿が見えていない。だから、怯えずに易々と声を掛けてくるんだな――
魔王はそう結論付けると、ローブのほっかむりを後ろに払い、その異形の姿を彼に堂々と見せつけた。
青いスキンヘッド頭にバッファローのような角が、二本後方に反る様に前頭部から生えていて、口からはみ出た鋭い牙が明かりに照らされ鈍く光っている。
「ほぉ、これはこれは、妖怪さんかな? 」
その姿は確かに外灯に照らされ、男に見えているはずだ。
しかし、まったく身動ぎ一つみせず、その皺くちゃの顔に微笑みを浮かべて、その男は気さくに声を掛け続けてくる。
「おかしな、人間だ……」
魔王はその男といくらか会話を交わし始めた。
話しているうちに今いる世界が、元いたゼームス大陸でない事を理解した。
今いる場所は日本という国にある、公園という所である事も分かった。
「なるほど」
男に誘われてやってきた青いテントの中で、座して話を交わす魔王。
「あんたはどうやら違う世界から来たお人のようだ」
「うむ、俺はゼームス大陸を支配する魔王、人間が容易く声を掛けれる存在ではないんだぞ。今日は特別だ、お前の物怖じしない態度に免じて、口を聞いてやっているんだ」
魔王はテントの中を見回しながら、強気な発言を男に飛ばしていた。
――臭くて狭くて汚い場所に住んでいやがるな、こいつも何やら臭うし
「ところで、お前名は何と言う?」
魔王が人間に名前を尋ねるという事はあまりなかった。
大抵、相手が逃げるか、すぐに殺してしまうからだ。
しかし、この男は自分の姿を見て逃げるどころか、全く恐怖すら顔に滲ませることなく、自然な態度で自分と話し続ける。
魔王はそんな彼が嫌いでは無かった。
「ワシの名前なんぞ……聞いてもあんたさんには……」
公園で乞食生活が長い男は、もう何年も自分の名前を口に出した事が無かった。
ましてや、異界の魔王という役職につく偉い人に、自分の名前を聞かせても意味がないとすら思った。
「いいから言え」
魔王は多少凄んで聞いてはいるが、彼に敵意は一切ないようだ。
「幾三……」
幾三は罰が悪そうな表情を浮かべ、自分の名前をか細い声で呟いた。
「イクゾーか、いい名前だ」
「…………」
イクゾーは魔王の言葉を聞き、一瞬目頭を熱くした。
――いい名前か……褒められた事なんぞ、いつ以来やろ……
その日魔王はイクゾーのテントで寝る事にした。
多少臭かったが、雨が急に降ってきたので移動する手間を考えると、ここで朝を迎えた方が楽だと考えたからだ。
◆◇◇◆
太陽が昇り始め、公園を日の光が照らし始める。
公園の端に植えられた木の傍に青いテントはあった。
そのテントの中にも平等に、眩い光が中へ差し込んできた。
「む……朝か……」
魔王は胡坐を書いた状態で腕を組んで寝ていた。
彼は眠る時目を瞑らない。
それはすぐに敵に対応するためだというのが、彼の部下の魔物達に広がる噂だったが、実を言えば、唯の習性、生まれ持ったものだという事は彼だけが知る事実であった。
「ふぁ〜あ、良く寝た」
魔王は大きな欠伸を一つすると、テントの中に視線を巡らしたが、イクゾーの姿が見えなかった。
――どこ行った……
ゆっくりテントの出口から、比較的大きな体を屈ませ外に出る。
辺りを見回すと、公園の端っこに何かを拾って袋にいれるイクゾーの姿があった。
魔王はその姿を目で捉えると、勢いよく空へ舞いあがり、弧を描くように飛んで、彼のすぐ横に舞い降りた。
「なにしてるんだ? 」
魔王の突然の姿に目を丸くして驚いたが、一息つくと魔王に笑顔を向けた。
「おはようさんです、ああ、空き缶拾いですよ。これ拾ってあるところに持っていくと、金を貰えるんですわ」
イクゾーはそう魔王に説明すると、また額に汗を滲ませながら、空き缶をせっせと袋に詰めては歩くの作業を繰り返していた。
「金か」
魔王はどこの世界も同じだな……と心で呟いた。
「イクゾー」
魔王は一際大きい声でイクゾーに声を放つ。
「はい? 」
魔王は彼に何かを放り投げた。
イクゾーは反応が追いつかなくてそれを受け損なったが、すぐに慌ててぬかるんだ地面から拾い上げる。
「なんですかこれ? 」
イクゾーは受け取った物を手のひらに載せ、目を凝らして覗き見る。
青く丸い円状の金属の板に、何か不思議な文字が浮き出ていた。
「それは礼だ、どうしようもない困難にぶつかった時、そこに書かれた文字の表面を額に当ててみろ。面白い事が起きるはずだ……」
魔王は薄笑いを浮かべると空を見上げた。
そして、視線を上に向けたまま静かに呟いた。
「達者でな……」
そう言い残すと、魔王は地を強く蹴り、風を辺りに撒き散らせながら
轟音と共に空彼方へ飛んでいった。
「…………」
「不思議なお方だ……」
イクゾーは貰った金属の板を、汚れた服の内ポケットにしまいこむと、魔王の飛んでいった先を眩しそうにいつまでも眺めていた……




