第十八話、イクゾー編、決死の逃亡!
イクゾーは鬱然と茂る木々や藪の中を伝って、声のする方へ歩いていく。
曇天の空模様で月明かりは期待できず、公園内部にまばらに設置されている外灯だけが、所々照らしていた。
数人の影を見咎めた場所までやってくると、イクゾーは木の幹の影に寄り添い、その様子を覗きみていた。
「お前な、もっと真面目にやれよ!」
「いや、俺ちゃんとやったよ、ただ打てなかった……」
「練習真面目に来ないからだろ!」
ドカ!
「痛いって……」
外灯が白い光を落とす一帯に、青いユニフォームにキャップ、バット、野球でもした帰りといった身なりの少年達が数人集まっていた。イクゾーはその姿に見覚えがあった。そして、数人に囲まれ地に伏している少年は、昼間見送った佐川隆だという事にも気づいた。
――彼等は隆君の属する野球部の子達だな……しかし……一体……
暫くイクゾーは様子見をすることにした。
「隆〜、やる気ないなら、辞めちまえよ!」
一人の少年が、地面に座り込む佐川の尻をバットで叩いた。
思わず呻きを上げ、顔をしかめる。
それを見ていたイクゾーも一瞬目を窄める。
「ごめんよ〜、次からちゃんと練習も出るから」
「お前のごめんは聞き飽きたわ!」
今度は周りを取り囲んで数人で、佐川の腰、足、尻を蹴りこんだり、バットの先で突いたりして痛めつけ始めた。悲痛なうめき声を佐川は上げ続ける。
イクゾーはもう我慢が出来なかった。内に秘める憤怒を抑えきれなくなり、低い藪を飛び越え、彼等の前に躍り出た。
「君達! 何してるんだ? 数人で寄ってたかって!」
「なんだ、このおっさん?」
「イ、イクゾーさん……」
佐川はイクゾーを見上げて弱弱しい声で言った。
イクゾーは地面に蹲る佐川に歩み寄ると、
「大丈夫か?」
「う、うん、」
佐川の肩を揺さぶって、安否を気遣う。
イクゾーは佐川の、あちこち擦りきれ赤く張れた肢体を見て顔を歪めた。
そして、肩から手を離して握り拳を作ると、立ち上がって少年達に向き直り、少し語気を荒げて口を開く。
「理由は知らないが、君達もう気が済んだろう! これ以上やる必要はないはずだ!」
「うるせ〜な、関係ないだろ! それによく見たらなんかボロイ服きてるし、臭いし、乞食のおっさんか?」
「本当だ、乞食が偉そうに俺達にごちゃごちゃうるせーんだよ! おっさんもやったろか?」
イクゾーと佐川は一人の少年の言葉を皮切りに、周りを囲まれる。イクゾーは弱った佐川の前に立ち塞がり、少年達を睨みつけた。
辺りの木々が冷たい風に揺すられざわめく。一触即発の緊迫した雰囲気が辺りを包んでいた。
だが、その重々しい空気が突然、呻き声によって切り裂かれる――――
イクゾーを囲っていた少年の一人が、急に口から血を吐いてその場に崩れ落ちたのだ。
「え? おい、どうした……」
狐につままれたような顔で、倒れた少年を一斉に見やる。
うつ伏せに倒れた少年の背中が赤く染まっていた。
「血? え、なんで……おい! 大丈夫か!?」
少年達はそれを目にして、一斉に騒ぎ始めた。突然起こった出来事に思考がついて行かない。だが、だんだん恐怖の影が顔に刻み込まれる。
「何が起こったんだ!? どうなってんだ!」
「誰がこんな事を!?」
少年達はパニックになり、慌しくわめき始めた。
落ちつかない様子で辺りを見渡す。イクゾーは公園のベンチの後ろに何者かの影を先に目で捉えていた。しばらくして、少年達も気づいたようで、その影を見やって息を呑んだ。
その影はその姿を大きくすると、こちらにゆっくり歩み寄って来る。
獲物を狙う肉食獣のような静かな足音を立てて、外灯下の光の一帯にその姿を現した。
少年達はそれを目にした瞬間、否応なしに声を失い体躯を凍てつかせた。
イクゾーも細い目を震わせながら、その姿に半ば強制的に見入ってしまっていた。
「お前たち人間だよな……しかし……どうなってるんだ……」
黒い剛毛に覆われたその者の姿は、この世のどんな生物とも違っていた。
一見犬のように見えるが、艶かしい朱色の目が四つ光っていた。それはよくよく見ると、二つに分かれている。双頭とでもいうべきか。
どこか腑に落ちない様子で、双頭を彼方此方に振り向けていた。
イクゾーはその姿を目にした時、一つの言葉が頭を支配していた。『死』……この場に居る少年達も同じ物を思い浮かべているに違いない。
そのうち、少年たちの一人が、小さな悲鳴とも呻きとも言えない声をあげ、足をもつらせながら、双頭の犬と逆方向に逃げていく。
「お、おい! 待てよ! 孝雄おいてくのかよ?」
背の高い少年が地面で、冷たくなっている孝雄を気遣う素振りを見せた。
だが、逃げていった少年と他の少年達の耳には、それは届いていない。
一人が逃げた事に端を発して、他の少年も一斉に同じ方向へ、悲鳴や嗚咽をあげて走り去っていく。
「だらしね〜な〜……人間ってのはよ……かわいそうになこいつも」
双頭の犬は倒れている少年を見て、流暢に言葉を並べたてた。後ろ足を上げ胴の辺りを二、三度掻いている。足から伸びる数本の鋭い爪が、光に照らされ黒光りしていた。
そのうち、立ち尽くしていた背の高い少年と、イクゾーたちを見て――
「お前たち逃げないなら、殺しちまうけど?」
と、ぶっきらぼうにそう言い放った。それを聞いた背の高い少年は、地面に倒れる孝雄を何度か見た――が、当等恐怖に耐え切れなくなったのだろう、踵を返すと、先に逃げた少年達と同じ方向へ無言だが、物凄い勢いで走り去っていった。
その場に取り残された佐川とイクゾーは動けなかった。
双頭の犬の燃えるような朱色の瞳に見据えられ、金縛りのように体が麻痺していたからだ。
――このままでは二人ともやられる……
イクゾーは佐川に目を向けた。鼻水を滴らせ、恐怖で顔を引きつらせていた。
「じゃ、お前たちはこいつと同じように死んでもらう事にするか」
イクゾーは覚悟を決めたのか、麻痺した体にムチをうち何とか立ち上がる。
そして、佐川の右手を掴みあげると、無理矢理立たせた。
「隆君! 逃げるぞ!」
佐川は声が出てこない。イクゾーはそんな佐川を思いっきり、引っ張り走ることを強制した。最初、佐川はイクゾーに引きずられるように引張られていた。しかし、佐川もだんだん、今の鬼気迫る状況を把握し始めたのか、我に返るとイクゾーの手を自ら掴み、前へ前へと地を強く蹴り始る。
二人の姿が離れていくのを双頭の犬は、最初はぼーっと眺めていた――が、やがて、低く唸りながら後ろ足で地を二三度叩いた後、
「狩りを始めるか……」
と呟くと、両の前足を一度高くもたげた後、とてつもない瞬発力で地面を蹴った。
双頭の犬は地響きを立てながら、風を巻いて公園の内部を走りぬける。
藪を飛び越え、木々の合間を縫って最短距離を移動していく。
「頑張れ、もう直ぐ出口だ」
「うん……」
二人は肩で息をしながら、公園の片方の出口へ手を繋いで走っていた。
しかし――その前方には既に先回りをした、双頭の犬が待ち構えていた。
「うわ……イクゾーさん……」
「く……」
双頭の犬の姿が視界に入ると、驚いて二人は立ち止まった。
イクゾーは佐川の肩を後ろに押し込むと、前に立ち双頭の犬を強く睨みつけた。
――ここまでか……だが、佐川君だけは絶対逃がすぞ! ワシの命に代えてでも!




