第十七話、イクゾー編、静けさ。
西の空が橙色の帳を覗かせた頃、イクゾーはあちこちで空き缶を拾い終え、公園に落ちている空き缶拾いにも着手していた。
発見した缶を拾ってはビニール袋に詰めていく。イクゾーは程よく汗を掻きながら、孤独だが充実した作業に没頭していた。
「イクゾーさん」
「ん? 隆君か、学校終わったのかい?」
イクゾーの傍らにいる高校生は佐川隆。彼はここ半年ほど暇があれば、この公園にやってくる。イクゾーとは年齢も、境遇も全く違うが、いつしかちょっとした会話を交わす仲になっていた。一時期公園のベンチで、俯いて座ってた頃、缶を熱心に拾い続けるイクゾーを見てある種の疑問が浮び、思い切って話しかけてみたのがきっかけだった。
――4ヶ月程前
『あの〜、おっちゃんは乞食だよね』
イクゾーは突然の声に缶拾いを中断すると、顔を声のするほうへ向けた。
制服姿の高校生が目の前に立っていた。イクゾーは戸惑いをみせる。
しかし、それも一時の事で、直ぐに気持ちを整えて穏やかに答えた。
『そうだよ』
佐川はイクゾーが恥ずかしげも無くそう答え、更に微笑みを浮かべて自分を見つめてくるのに愕然とした。
普通なら知らない高校生に、そんな事を突然問われれば、俯いたり、不審な目を向けてきたり、逆に怒りを顕にして罵倒を浴びせてくるもんだと思っていたからだ。
だが、イクゾーはとても穏やかに頬を緩めて笑っている。イメージとの落差に、佐川は気勢を殺がれ、自分もまた頬を緩めた。元々馬鹿にし、からかって鬱憤を晴らそうというのが本来の目的だったはずなのに――
『おっちゃん、生きてて楽しいかい?』
『そりゃ、楽しいさ』
『例えば、どんな事が?』
ベンチで二人は腰掛けながら、奇妙な会話を続けていた。
佐川は忌憚ない言葉を、イクゾーに浴びせていた。しかし、その言葉には、もうからかってやろうという気持ちは無くなっていた。純粋な興味から浮ぶ言葉をイクゾーに投げかけていた。
『そうだな……今日君とこうして話せているだろ? とても楽しいよ。生きていたからこうして出会えたんだ』
『ふ〜ん……』
佐川は少し顔を下に向けた。元々、佐川はイクゾーをからかおうと話しかけただけだった。
だが、イクゾーはそんな自分と話すことを、楽しいとさえ言ってくれている。佐川の心の中に何か後ろめたい気持ちさえ漂い始めていた。イクゾーは佐川が沈黙しはじめると、夕焼け空をほとんど目を閉じたような細い目で見上げた。
そして一言――
『楽しい時間を有難う、またいつでも声を掛けてください。僕は夕暮れにはこの公園にいます』
と、佐川に静かに言うと、優しい微笑みを浮べお辞儀をし、また缶拾いの作業に戻っていった。
それからというもの、佐川は度々、時間が空くとここへくるようになったのだ。
イクゾーと静かな一時を共有する、ただそれだけのために。
「イクゾーさん、俺さ、今日英語で90点とったよ、学校の奴等、すんごい驚いちゃってさ、すげぇとか言われちゃって、なんだか俺勘違いしそうだよ、たまたま英語得意なだけなのにさ」
「いや、得意な事があるってことは良いことだ。ワシもすげーって言わせてもらうよ、ハハハ」
「アハハ、何かそれ変、全然似合わないよ!」
イクゾ−はそう言われて、頭に手を当て照れ臭い笑いを浮かべる。
しばらく二人は談笑を弾ませていた。笑い笑われ、お互いの内を曝け出して、交情を深めていく。
そんな中、佐川は腕時計にふと目をやると、少し驚きの声をあげて立ち上がった。
「ごめん、時間だ、帰ります〜また〜」
イクゾーに手をふって、公園の出口へ向って歩いて行く。
冷たい空気の中、夕日が佐川の後ろに長く黒い影を落としていた。
イクゾーは微笑みながら、彼に手を振るも、どことなく寂しさすら漂うその後姿に、自分を重ねていた。
――彼もまた、孤独なのかもしれないな……
そんな佐川との交流が続く中、イクゾーは魔王と出会った。
不思議だが、有意義な一晩を魔王と過ごした。明くる朝、魔王はイクゾーに奇妙な金属の丸い板を渡し、言葉少なに飛び去っていった。
ぶっきらぼうだが、自分を一人の人間として、対等に接してくれた魔王。イクゾーにとって魔王の存在は心に深く刻み込まれていた。この世でイクゾーの知るかけがえの無い存在の一人である事は間違いない。
その日、缶をあちこちで早めに集め終えて時間が余っていた。イクゾーは公園のベンチに腰掛け、昼間空から降り注ぐ温かい光を体一杯に受けて、夢現を心地よく彷徨っていた。
――いい気持ちだ〜……この青い空の下、今頃魔王さんは何をしているんだろうか?
陽光を受けたぼんやりした頭で、そんな事を考えていると、ふと魔王に貰った金属の事を思い出し、現世に意識を取り戻した。
そして、おもむろに内ポケットにしまいこんだそれを取り出し、手の平に載せた。
――これ、なんなんだろうな? 変わった模様が掘り込まれているな。
手の上で転がしながら、イクゾーはぼーっとそれを見つめていた。
「イクゾーさん!」
突然、後ろから耳に届いた声にはっとして、金属を内ポケットに素早くしまいこんだ。
声のした方へ振り返ると、佐川が立っていた。
「あぁ、びっくりした」
「ごめん〜」
「ははは、いいよ、ところで今日はどうしたんだい? 昼間だけど、学校は?」
「今日は学校は休み、だけど、この後、野球部で他校と試合があるけどね」
それを聞いてイクゾーは納得した。佐川は清潔な青いユニフォームに白いズボンを身に纏い、白いツバのついたキャップを頭に被っていた。その両手には大きなバッグと小さな細長い袋が握られている。
佐川は腕時計を見て、焦りを表情に現す。
「あ、もう時間だ、じゃ行って来ます〜!」
「はい、いってらっしゃい」
イクゾーは微笑みを湛えた細い目を向けて、佐川に軽く右手を上げて送り出した。
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夕闇が迫る頃、イクゾーは自分の青いテントに戻ってきた。
ふーっと息をつくと、近くで買った温かい緑茶の入った缶をゆっくり飲み干していく。
「今日は冷えるな〜……」
夜の帳は完全に辺りを闇で侵食し、元々人気のない公園は寂しさを一層深めていく。
イクゾーはあちこちで集めた缶をある業者の元へ持っていきお金にし、それを元手に近くのコンビニで食べ物を調達していた。
ちょっとした惣菜にオニギリ一つといった粗末なものであるが、イクゾーはこれで満足だった。一日汗して得たお金で買ったものだ。その食べ物に感謝の念を抱きながら、口に運んでいく。そんな落ち着いた雰囲気を、テントの外から聞こえる騒がしい声が切り裂いた。
「おい! ちょっとこい!」
公園の中心部から離れたテントの中にいるイクゾーにも、しっかりその怒声は届いていた。
自分に向けられたものではない。テントから少し顔を出して覗き見る。
すると、数人の影が視界に入った。イクゾーはもっと近くで確かめようと、テントを出て行く決意をした。




