第十話、現実。
「あのへんにするか」
どこかの山間部の上空まで来ると、魔王はスピードを落として、青々とした木々が茂る山の中へ降りていく。
草木が生い茂る場所へ足から舞い降りると、目の前にある背の高い木に近付き、しばらくその木を眺めていた。
「うむ、いい木だ、丈夫そうだし、いい匂いもする」
木を右手でポンポンっと叩いて、揺らしている。
ウンウンと何度か頷くと、突然、手刀でその木の幹の部分を薄く切り取る。
それを繰り返し、10枚ほどの木の皮を箱に詰めると、上空を見上げその場を飛び立った。
「やっぱりこの国にも畑があるんだな、よしあそこだ」
山間部を越え畑が見えてくると、また魔王はそこへ降り、畑の土をしゃがみ込んで手に取り口に放り込んだ。
「うん、悪くない土だ」
魔王は人様の畑の土を適当に掴み込むと、箱に詰めた。
そういった魔王の何かの収集がしばらく続いていたが、やがて姫のアパートがある方へ上空で旋回して進路を取ると、疾風の如き速さで大気を貫いていく。
「ただいま〜」
魔王は姫のアパートまでやってくると、姫の部屋の窓の外からコンコンと手の甲で打った。
姫は開けっ放しだと風が吹き込み、寒かったので窓を閉めていた。
畳に寝転がっていたが、その音に気づいて窓に近付くと、横にスライドさせて開け広げる。
「おかえり〜、早かったね」
「うむ」
魔王は浮いたまますーっと部屋の中に入ると、泥だらけの木の靴を脱いでその辺に転がっているビニールの上に置き、座布団の上にふわっとお尻を置いて胡坐を掻いた。
「よし、じゃあ、ちょっと作業するかな」
魔王は姫に貰った箱を畳に大事そうに置いて、蓋を開けると中に入っているものを指を差しながら確認する。
姫は魔王の傍らに足を崩して座り、ぼーっとその箱の中身を見つめていた。
「うむ、揃っているな、あ! 姫コップ一杯に水おくれ」
「ん? はい」
魔王に言われるがまま、姫は立ち上がり水道場でグラスに水を注ぐと、それを持ってきて魔王に手渡した。
そのグラスの水を箱の中に注ぐと、魔王は顔を綻ばせ言った。
「よし〜いくぞ〜」
魔王は箱をテーブルに置くと、両手の平を組み、人差し指だけ揃えて伸ばして、何やら代わった言葉を口ずさむ。
「γαεαδβζ!」
魔王は謎の言葉の語尾に一際気合をこめた。
すると、箱が白く光り始める、思わず姫はその眩しさに瞼を閉じた。
「よし、できたぞ」
魔王の声にゆっくり目を開けると、テーブルの上に何ら変わらないさっきの箱が置かれていた。
「ただの箱じゃない」
姫は拍子抜けした様子で、魔王に低い声で呟いた。
「ふふふ、それが違うんだな」
魔王は箱の蓋に指の鋭い爪を突き刺して、一つ小さな穴を穿つ。
その穴に懐から取り出した、コウモリを模った黒い粘着性の紙を貼り付けた。
「できたー!」
魔王は両手をかち合せ、喜びを顕にする。
「じゃ姫、取りあえず行こうか?」
「どこへ?」
「いいから、いいから」
魔王は姫の右手首を左手で強引に掴んだ。
姫は思わず魔王の腹に蹴りを入れる。
しかし、そんな事を気にせずに魔王は、右人差し指をコウモリの紙に近づけた。
その先が触れた瞬間――
「うわ、なにこれ! ちょっと〜〜きゃああ」
魔王と姫の姿が箱の中に瞬時に吸い込まれる。
急激な自分を吸い込む力に、姫は驚いて目を閉じ悲鳴をあげた。
姫は宙を漂うよな尻がこそばゆくなる感覚に襲われる。
#
「姫目開けてみ」
魔王の声で我に返ると、姫は恐る恐るゆっくり目を開けていく。
最初に目に映ったものは、自分を覗き込む魔王の笑顔だった。
次に青い空、白い雲、眩しく光る太陽、足元に青々とした芝生、少し遠目に森林も見える。
どこからか水の流れる音も聞こえてくる。
姫は振り返ってみた。
すぐ後ろに幅10メートルはあろう透き通った綺麗な水が流れる川があった。
目の前で、楽しそうに跳ね回る魔王。
姫をそれをぼーっと見据えたまま、黙っていた。
#
「魔王ちゃんここ何?」
姫は放心状態が解けて、思考が正常に戻ると魔王に問いかけた。
「箱の中だよ」
なんとなく姫はそうだろうな〜って思ってはいたが、そのまんまの答えが返ってきた。
姫が聞きたいのはそこじゃなかった。
「箱の中は分かっているけど、どうしてこういうものが箱の中にあるのですか?」
当然の疑問だった。
まず、姫が思ったのは、調子が良すぎるって事だった。
箱の中に木のかけらや、泥、草が入ってたのを見ていた。
それが魔法の力だけで、ここまで再現されるものかと、姫は半信半疑だった。
「そら、ワシの魔法のなせる技だ、俺はここに棲むことにしたぞ」
予想は当たっていた。
魔王の魔法は絶大で、本当に都合がいいものだった。
しかも、案の定、住むつもりらしい。
こういった魔法は人間に使えない。
姫は不公平感を顔に滲ませていた。
魔王がその横顔を見て取り、不意に口を開く。
「どうした? 姫、何でそんなに機嫌が悪いんだ?」
「魔王ちゃんがずるいから」
「なんでずるいんだ?」
その質問に眉を潜めると、姫は面倒くさそうに語る。
話しても魔王に、伝わるわけないとすら思っていた。
「こんな簡単に魔法で住む場所手に入れちゃって、この国じゃ土地って高いのよ、それにアパート借りるのだってお金がかかる、そういったものを簡単に魔法で手にいれられる魔王ちゃんはずるいでしょ?」
更に姫は怪訝な顔で言葉を紡ぐ。
「私はこの世界で生きるため色んな事をしてきたわ、あのアパート借りるまでどれだけ苦労したと思ってるのよ」
魔王は姫の苦労というものを、分かりようが無かった。
絶大な魔力を秘める魔王と多少魔法は使えるものの、ただの人間でしかない姫。
分かりようが無いのも当然かもしれない。
それならせめて――その苦労の聞き役になるのが自分の役目では無いか?
魔王はそう思い、姫のブーを敢て導き出す事に専念し始める。
「姫、そういや、あのボロ家に済むまでや今までの苦労とやらを聞かせてくれないか?」
「ふ〜ん、そんなつまんない話聞きたい?」
「うむ、聞いてみたい気がするぞ」
「そこまで言うのなら、聞かせてあげる」
姫は瞳に力をこめ過去を振り返り、静かに語り始める。
〜〜
姫は元の世界に帰れないことを悟ると、諦めて空き地から出て、アパートの敷地内の傍を通りかかる。
見ると、その中に猫がいたので、思わずその白い猫に近付きしゃがんで可愛がっていた。
そこへアパートの大家さんが、出てきたので会話を交わした。
白猫の名前がジジという名前だと教えてもらった。大家さんの飼っている猫らしい。
色々話しているうちに姫は、この世界の基本的な知識を得たくなり、大家さんの不意をついて、『魅了』(放心状態にしたまま、操る魔法)の魔法を掛けた後、指先を大家の頭に当てて、『吸引』の魔法で、大家が持っているこの世界の情報を、自分の頭へイメージとして流し込んだ。
#
大家から魔法を使って、姫はこの世界の一般的な常識や知識を得る事に成功した。
色々な事が分かると、姫はやるべき事を知り、行動に移った。
まずお金がいる。
指にしていた宝石を質にいれ、この世界のお金を少しばかり手に入れた。
その後、役所に行き、魅了で操ったりして、この国で戸籍を取る事に成功。
住民票ももらった、保険書も手に入れた。身分を固めた。
そして、あのオンボロアパートを借りる事にした。
あのアパートを選んだのは、保障人無し、敷金礼金なしという大家の有り難い言葉も効いたが、それ以上にこの世界に現れた場所が近かったせいだ。
姫はあの場所を忘れないためにも、近くに住む事に決めた。
仕事も始めた。
働いた事がない姫は、まず簡単な仕事をしよう思い、コンビニでのアルバイトを始めた。
週6日、朝から夕方まで働いている。
ただ、その仕事で得たお金だけでは、暮らしていくには苦しかった。
家賃もあれば、光熱費もいる。食費も〜etc……とても足りなかった。
そこで、手放したくなかった純金製の王冠も質にいれた。
そのおかげで銀行に今800万ほどの貯金がある。
今はバイトのお金と、その貯金を減らしながらギリギリの暮らしをしていた。
〜〜〜
「大変だったんだな〜、でもさ〜、ここの人間は魔法使えないんだろ?」
「うん、使えないけどそれがどうしたの?」
「なら、多少なりとも魔法を使える姫の方が上じゃないか」
「ぶちのめして金を奪ったり、操って金を盗み取ったりすればいいだろ?」
魔王なら当然の選択だった。
姫は流れる雲を目で追いながら、やんわりとした口調で言葉を紡ぐ。
「最初は確かに魅了とか使ったけどね、あれは本当にどうしようもなかったから、仕方なく使ったの、この国じゃ身分を整えないと何もできないから」
姫は一呼吸置いて更に言葉を連ねる。
「だけどね、ゼームス大陸に帰れない今、この国が私の生きて行く舞台なわけ、一生涯を送るかもしれないこの国で、反則めいた魔法を頻繁に使って、生きて行く事はしたくないの。この国の人たちと同じ土俵で生きていく。自分の力で道を切り開いていく。それが楽しいんじゃないの?」
姫はそこまで言うと、ぼーっと空を眺めて目を虚ろにしていく。
魔王が姫に目を向けると、気持ち良さそうな顔で眠りについていた。




