第九話『神判の時(リアルの攻略法、教えます)』
拳はルシファーの顔面を捉えていた。
首から上に力ずくで引っ張られ、彼の体はいくつもの建物を突き破った。最後の一つでようやく勢いを殺されると、力なく空転し半壊したマンションの給水塔に引っかかる。その姿はモズのはやにえのようだった。
俺は宙を舞った聖剣をキャッチすると、その対面のビルに降り立った。
確信があった。
ルシファーはもう戦えない。
対してこちらには聖剣がある。竜力も完全に使用できる上、大勢の仲間もいる。
勝利は確定的だった。
だが、俺は聖剣をルシファーに向けたまま、動くことができなかった。
「なぜ殺さない」
口から血を吐きながら、逆さ吊りとなったルシファーが問いかける。
「ヒーローの矜持ってやつかい? 命までは奪わない、って」
「ああそうさ!」
俺は半ばやけっぱちになって叫んだ。
「殺してやりたいさ、本当は。でも、そうしなきゃハッピーエンドにならないって分かっちまったから!」
こんな奴、生きてる必要はない。改心なんてするわけないんだ。
だけど。
だけど世界中の人間がヒーローになれると信じられなければ、本当のヒーローの勝利はない。
やっぱり俺、向いてないんだわ。
ルシファーは周囲を見渡すと、やがて何かに気づいたようにくつくつと喉を鳴らして笑った。
「なるほど、俺はよほど悪運に恵まれているらしい」
「生かしてやるって言うだけだ。相応の報いは受けてもらう」
「できないね。ヒーローのお前には」
最後の力だっただろう。
ルシファーは鉄棒を掴んで体をよじると、そのまま半壊したマンションのフロアへと身を躍らせた。
気がつくべきだった。ルシファーの視線の先にあるものを。
読だった。
撮影していた連中が逃げ出して、取り残されていたのだろう。剥き出しの鉄骨に拘束された両手が引っかかり宙吊りになっている。
ルシファーはそんな読を片手で引っ張り上げると盾にした。
「読っ!」
「動くなよ」
ルシファーは右手から青い炎とともに自分の剣を召喚した。読の喉元に押し当てる。
「まさかここに落ちるなんてな。念のため結界を張っておいたのが幸いしたか。安心しろよ。女は生きてる。もっともお前にとっちゃ不幸なことだが」
ルシファーの腕の中で、読はうう、と声を漏らした。
今の騒ぎで目を覚ましたらしい。
「ソード、くん……?」
「こっちの要求は分かってるよな」
聖剣だ。
しかしこの状態で聖剣を渡してしまったら、こちらにはもう打つ手がない。
「一人じゃないってのは大変だよな」
ルシファーが嘲笑する。
「俺は違う。誰にも付け込まれたりしない。世界中の誰にもな。だから俺は最強なんだよ」
否定したかった。
でも言葉が出てこない。
その資格があるだろうか、今どうすることもできないこの俺に。
「馬鹿なのはあなただわ、不破くん」
その腕の中から、読はルシファーを睨みつけた。
「一人より二人、二人より三人が強いのは当たり前じゃない。世界中を相手にしてあなたは勝つことができると思う?」
「ないね。世界の半分、いや八割はクソさ。変わらない」
「それにね、あなたはミスを犯した。それは今の私にだって……ヒーローの真似事くらいできるってことよ!」
「読……?」
読は小さく、俺に向かって笑いかけた。
崩れたフロアから一歩踏み出す。無論、そこには何もない。宙にその身を投げたのだ。刃が頬を切り裂くのも構いはしない。
慌てたのはルシファーだ。このままでは道連れになる。結果、読を手放す形になってしまった。
「読っ!」
読の姿がビルの谷間に消えるのを、俺たちはなす術もなく見つめていた。
この高さから落ちたらもう助からない。
足手まといにならないために――?
約束したはずだろう。
二人でハッピーエンドを迎えるって。
俺を幸せにしてくれるって。
こんなの、ヒーローのすることじゃ、ないぞ。
ルシファーもまた、切り札を失って途方に暮れている。
その時だった。
「だから言ったでしょう。一人じゃどうにもできないって」
幻聴ではない。読だった。
反王国の人達に抱きかかえられている。魔法兵団の人々もいる。
彼らだけではない。建物の裏から、路地裏から、次々と仲間たちが姿を現し、眼下は異世界の人達で埋め尽くされた。
「みんなが手招きしてくれていたのよ。飛び降りてこい、ってね」
結局俺はまた、人質を前にどうすることもできなかった。
勝算などないのではと疑った。
でも今は仲間がいる。
ここにいるすべてがヒーローだった。
「これからあなたは思い知ることになるわ。覚悟なさい。世界があなたの敵になる。あなたに勝ち目なんてないわ」
読が、皆が、俺が見つめる。
ルシファーただ一人を。
俺は聖剣を向けた。ルシファーの敗北は決定的だった。
「それがお前の選んだ道か、ソード」
ルシファーは俺を見遣った。
「お前は俺と同じだと思ったんだがな」
「…………」
一人で世界を変えられるつもりだった。
でもそれは思い上がりだった。
だから俺はヒーローになれなかったし、ルシファーは勝利することができない。
「確かにお手上げだよ。これだけの数を相手にしては」
ルシファーは肩をすくめた。
「でもお前たちがいなければどうなる?」
ルシファーは諦めなかった。
彼の背後に『門』が現れる。時代ががった、石造りの巨大な門。世界と世界を繋ぐ、王国と一部の人間にしか呼び出すことができない異界のゲートだ。
「貴様、いつの間に」
エルヴィラが声を上げる。
ルシファーが王国に与したのは、この門を召喚する秘術を得るためでもあったのだろう。
重い音を立ててゲートが開く。
「逃がすか!」
「待てソード、そこからでは門まで破壊してしまう」
そうなればここにいる人々が帰還できなくなってしまう。
俺は聖剣を止めた。
「いいんだぜ、ソード。どうせ壊しちまうつもりだからな」
「なんだと?」
「お前たちは置き去りだ」
ルシファーは門の中へと飛び込んだ。
「あばよ、ソード。お前たちさえいなければ、俺は――」
門に亀裂が走る。
ルシファーが最後の力で、向こうから石門を破壊したのだ。
「いけない!」
世界を繋いでいた力が漏れ出し、流出した光だけでも周囲の建造物を切断していく。
俺は皆のもとへ降り立つと、聖剣を崩れ落ちようとするゲートに向けた。
「ニムエ!」
『はい!』
巨大な爆発が起こる。
俺は聖剣の力をぶつけ、皆を守る障壁とした。
一度は光球に飲み込まれ、爆音と衝撃が過ぎ去った後に俺たちが見た光景は、削り取られた大地であった。
そこにはもちろんあのマンションも、ゲートも残されてはいなかった。
ルシファーはどうなっただろう。
これだけの爆発だ。あちらの世界とて無事ではすむまい。
これは感傷かもしれないけど。
ルシファーはただ、俺たちに復讐したかっただけなのかもしれない。
……勝ったのか? 俺たちは。
いや。
そもそもこれは始まりでしかなかった。
勝ちも負けもない。
ただもう関わることのできない向こうの世界のことだけが気になった。
「なあ」
俺はエルヴィラに尋ねた。
「なんで今更聖剣だったんだ。国王が侵略戦争でも始めたか」
「逆だ。お前がいなくなってすぐ、大陸から宣戦布告があってな」
リアルは相変わらずクソッタレだった。
これで全員がヒーローだとか、そりゃ夢物語にしか聞こえないわな。
ルシファーの言う通り、聖剣でも何でも使って、無理やりにでも平定してしまうのが世のためという気すらしてくる。
「何言ってやがる。お前ら貴族も俺たちを盾にして逃げたりひどいもんじゃねえか」
こちらは反王国の方々の弁。
はい。ダメですね。そもそもこいつ、邪神を置き去りにしようとしたような奴でした。ちょっと共闘したからってベビーターンとか無理なんですよ。
いい話にまとまりそうだったのに、なんか色々と台無しである。
「ラノベみたいにはいかねえなあ」
「ま、やるしかないわよ。ソードくんのハッピーエンドはそこにしかないんだから」
読が笑う。
「約束したでしょう、二人でハッピーエンドを迎えるって」
だからそれじゃプロポーズ……
と考えて、俺も大概恥ずかしいことを言ったんだなと思い知った。
気づかれてないといいんだが。今、多分俺の顔赤い。
先は長い。でも不思議と気分は晴れやかだ。
行く先が決まったからだろうか。もう一人ではないからだろうか。
これまでの霧の中で足掻くような無力感は消えてなくなっていた。
「やはりここだったか、ソード」
倒壊した建物の陰から佐竹山くんがひょいと姿を現す。
「佐竹山くん!」
無事だったか。
姿が見えないから心配していた。靴箱で切った手に包帯を巻いてはいるものの、ほかに目立った外傷はない。ふてぶてしい態度も普段のままだ。
「ソードくん」
安堵する俺に読が目配せする。
そうだった。
いまさらという気もするけれど、ここには向こうの世界の人々がいる。魔族の面々に至っては獣人だったり翼があったりともはやごまかしようがない。
「あのさ、この人達は、その」
「話なら後にしてくれ。今は彼らに用がある」
佐竹山くんはそう言うと、顔色一つ変えずに異世界の人々の前に歩み出た。
リアル猫耳娘萌え! とか言い出すつもりじゃないだろうな。俺はちょっと心配になった。
佐竹山くんは皆に告げた。
「私は多元世界情報集積機関ベクシルのベオーバハターです。あなた方のポータルが破壊されたことは我々も把握しております。しかしながらこれだけの異分子が混入しては、この世界のみならず、周辺世界全ての安定を揺るがしかねません。それゆえベクシルは特例として、超次元シフターを使用してあなた方をもとの世界に送り届けることを決定しました」
ここでいつもの中二病?!
少しは空気を読んでくれ……
そう思ったのもつかの間。
上空を覆う暗雲の中から、銀色の球体が降下してきた。
皆、呆気に取られながらその冗談みたいな光景を見上げる。
『未〇との遭遇』か『スターウ〇ーズ』か。
直径一キロはあろうかというそれは巨大な未確認飛行物体であった。
ガラスのような澄んだ駆動音が響く。
「あまり人目につきたくない。お急ぎいただけるとありがたい」
「佐竹山くん、君は、いったい」
佐竹山くんはいまさら、といった様子で応じた。
「だから最初から言っているだろう。お前を監視するために派遣された、ベクシルの観察者だと」
な、なんだってー!?
俺と読は酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせた。
確かに最初から、言っていた、けど。
「――時にソード」
佐竹山くんは銀縁メガネのブリッジを軽く押し上げた。
「この度の措置だが、お前とて例外ではない」
「……俺?」
「元の世界に戻れる」
帰還をどこか他人事のように考えていた俺は、その言葉でようやく自分がこの世界の住人でなかったことを思い出した。
俺は思わず読の方を見た。
読もまた、はっとしたように俺を見ていた。
佐竹山くんも俺たちの葛藤に気づいていたようだった。
「もちろんお前が望むならだが……どうする?」
次回完結です。
ここまでのお付き合い、ありがとうございます。
残り一回、よろしくお願いいたします。




