第八話『彼方の待ち人(本当のヒーロー)』
街が低い唸りを上げている。
限界を迎え倒壊しようとする建築物が立てる破断音なのか。
それとも廃墟を吹き抜ける風の音なのか。
俺は立体駐車場の入り口に身を潜めている。
見つかれば殺されるだろう。
だが見つからなければルシファーは、やはり辺り一帯ごと俺を薙ぎ払うだろう。
「そうそう、お前、魔族の子を助けてこっちに飛ばされたんだってなあ」
ルシファーはかくれんぼでも楽しむようにゆっくりと、そこらを覗き込みつつやってくる。
「なにかお礼をしなくちゃな。そうだ、世界の半分をお前にやろう。いっしょに人類を支配しようぜ」
『出るな、勇者よ。殺されるぞ』
「分かってる」
なにが礼だ。
一族を見捨てて生き延びた男が。
「気持ちは分かる。考える時間が必要だよな」
ルシファーは軽い足取りで近くのビルに飛び乗ると、仄暗い街を見渡した。
「五秒待つ」
現実は物語のようにはいかない。
弱者の逆転にはそりゃカタルシスはあるだろう。
だが実際は、強大な力を覆すには、その二倍、三倍の知恵や努力、幸運が必要になる。
全く理にかなっていて、残酷な真実だ。
ジャイアントキリングってのは、相手と同等以上の力を別のベクトルから引っ張ってくることに他ならない。
五秒でそれを用意する?
それができるのは、本物のヒーローだけだ。
「ごぉー……よん……」
追い詰めたネズミをいたぶるように、ルシファーがゆっくりとカウントを始める。
代用品のヒーローである俺は決めなくてはならない。
玉砕か、緩やかな死か。
「さん……にぃ……」
選択するしかないのであれば。
まだ街に人がいるかもしれない。
それを巻き込むことはできない。
仮にも俺は、ヒーロー代理なのだから。
心は決まった。
これくらいが、偽物の俺にできる精一杯だ。
「いち」
俺は踏み出そうとする。
その時だった。
予期せぬ攻撃がルシファーを襲った。
魔法弾、それも明後日の方角からである。
ルシファーも刀身で受けるのが精一杯であった。
「貴様の思うようにはさせぬ」
どこかで聞いた声。
それもつい最近に。
「貴様のような逆賊を、王国に行かせてなるものか」
白銀の甲冑に身を包んだ女騎士が、廃墟の上から気焔を上げる。
周辺には魔法兵団が配置についていた。
「これはこれはエルヴィラ殿。見てください、この通り聖剣は手に入れましたよ」
「おとなしく渡すなら見逃してやる。渡さぬのであれば容赦はしない」
「ご冗談を」
『勇者よ』
竜王の声で俺は自分を取り戻した。
千載一遇のチャンスである。
俺は渾身の力でアスファルトを蹴ると、己が体を宙に放った。
「ルシファー!」
「ソード?!」
重力から解き放たれたような空中から放つ固めた拳。
ルシファーも宙に逃げ場を求めた。
もう一度、今度は奴がいたビルを踏み砕いて後を追う。
もう距離を離されるわけにはいかない。離された途端、今度こそ完全に勝機はなくなる。
だがその追撃に加わる者がいた。
エルヴィラだ。
俺たちのような力はないが、ビルからビルへ小刻みに飛び移りつつ追ってくる。
「下がってろ。お前じゃ聖剣の相手は無理だ」
「貴様の指図は受けん」
「ははっ!」
その隙を見逃すルシファーではない。
聖剣の波動による一撃。
俺たちは慌ててかわしたが、結果としてまた少し距離が開いてしまう。
十メートルの隔たりが、遠い。
どうすれば埋められる。
どうすれば。
「私に合わせろ」
エルヴィラが叫ぶ。
「まだそんな」
「指示するのは私だ。私が先に出る。貴様はあとだ」
エルヴィラとて、この実力差が分からぬはずはない。
なのになぜ、この期に及んでこんな意地を張る。
騎士だからか、忠義のためか。
その答えに思い当たった時、エルヴィラはすでに飛び出していた。
魔法兵団の支援の魔術が飛ぶ。だがその程度でひるむなら聖剣の誉れなど受けはしない。
涼風のように受け流されてしまう。
それでも、目くらまし程度の効果はあった。
エルヴィラがここぞとばかりに細身の剣を構えて突貫する。
だが、それでも一歩足りなかった。
ルシファーは、エルヴィラの肩口を深々と切り裂いていた。
「いいざまですな、エルヴィラ殿。分かりますか、俺がどんな気持ちであなたに傅いていたのかを」
「あああああっ」
「せめてもの情けだ。一思いに楽にして差し上げましょう……死ね!」
「――貴様がな!」
エルヴィラは言った。
合わせろと。
そして俺は、それに従った。
エルヴィラがその身で聖剣を受け止めているうちに、俺は十分にルシファーの懐に立ち入ることができたのだ。
「がは……っ!」
痛烈なボディーブローがその腹に食い込む。
ルシファーの体がくの字に曲がった。
続いて正拳を突き入れる。
五分の一の竜力のすべてを注ぎ込んだ一撃。
ルシファーの体はいくつかのビルの表面をこすりながら、毬のように地上に叩き込まれた。
都市圏の地表は弱い。
地下街でも存在したか、ライフラインでも通っていたか。
叩きつけられた地点を中心に地面が球状に大きく窪むと、今度は逆立った大地が中央へ飲み込まれるように還っていく。
「エルヴィラ!」
「大丈夫だ。回復の術師がいる」
しかしその傷は常人なら気を失ってもおかしくないほどの深さだった。額の脂汗がその痛みを物語っている。
並の覚悟で受けられる攻撃ではない。
「ありがとう……すまない」
「貴様を助けたつもりはない」
あくまで王国のため。
騎士としての矜持というやつか。
俺は少し、この女騎士を見直した。
「それにあのまま生かしておけば、奴にどんな復讐をされるか分かったものではないからな」
……エルヴィラよ、お前、ルシファーを配下に置いた時どんな扱いをしていたんだ?
「ククッ……ゲハッ……ククク……」
ゴリゴリと地面を削りながら瓦礫が押し退けられる。
倒れたコンクリート片は土煙を上げて二つに割れた。
信じたくはなかった。
ルシファーはまだ生きている。
満身創痍ではあるが、その手にはまだ聖剣がある。
咳き込み、血を吐きながらもルシファーは俺たちに笑って見せた。
「どうやらお遊びが過ぎたようだ。まったく、俺としたことが」
言葉とは裏腹に、その目は剥き身の刃物のように輝いている。
「こんな世界なんてどうでもいいのにな。だが、おかげで思い出したよ」
「ルシファー……」
「まだこいつの全力を試していない、ってね」
ルシファーは聖剣を正眼に構えた。
それだけで。
辺りの砂、いや、小石までもが強風に煽られたように舞い上がった。
その様は巨人が地表を踏みしめたよう。
聖剣の刀身は、内部で太陽が脈打つような光を放っている。
「前の戦いでは破壊神を空の彼方に吹き飛ばしたんだってな。大地が割れるか、この星ごと砕けるか、実験しておくのも悪くない」
ルシファー自身も抑えるのがやっとと思われる力のうねりが聖剣から溢れ出ようとしている。
切っ先を定めることすらままならない。
だがその輝きには、すべてを圧倒するという、蠱惑的な力があった。
ルシファーも魅入られたようにそれを見つめている。
もはや憎しみも怒りもない。
これを振るえばどうなる?
子供のような好奇心が彼を支配していた。
勝利はすでに確約されたのだから。
俺とエルヴィラを庇うようにして、魔法兵団が防御の魔法陣を展開する。
だがそんなものでは数秒も最期を先送りにできないだろう。
「ダメだ。散れ。一人でもいいから逃げ延びろ」
生き残る可能性はないと知りながら、せめてと思い声を上げる。
しかしそれを知ってか誰も、その場を離れるものはいない。
「この期に及んで他人の心配か、ソード・シンクライン」
俺の腕の中でエルヴィラが呻き交じりの声で呟く。
「昔からそうだ。貴様は物語から現れた主人公みたいだった。たった一人で闇を払い、光をもたらす。だからそんな貴様が折れた時、失望したのだ。私も」
「エルヴィラ……?」
「貴様も同じ人間だったと。ヒーローのふりをしていただけだと。だがそれは、我々もヒーローになれるということでもあったのだな」
分からない。
違うかもしれない。
「一人にして、悪かった」
「やめてくれ! お前なんかにはなれねえよ。誰にだってなれないんだ。作り話の存在なんだよ」
「ひどいことを言うな。昔はいい子だったのに」
仕方ないだろ。
この期に及んで、ヒーローのふりなんてできねえよ。
そんな時。
聖剣のものとは違う、暖かい光が俺たちを照らした。
防御の魔法陣の光、しかし先ほどより明らかに多い。
一つ、また一つと増えていく。
「遅くなりました、ソードさま」
瓦礫の山を越え駆け寄ってきた少年は、明らかに人間ではなかった。
青い肌に山羊のような巻いた角。
魔族。
「覚えていらっしゃいますか。あの頃はろくにお話もできず」
「……もしかしてあの隠れ里の? でもあそこは焼き討ちに」
「半数ほどは逃げ延びました。ふもとの村人達の手引きで」
助けられていた?
人間に?
「あちらは議会派とか反王国の人達です。もっと早くお迎えに上がるつもりだったのですが、思いのほか時間がかかってしまって」
「申し訳ありません、勇者様」
人々が堰を切ったように口を開く。
「あの時、何も出来なくて」
「誰かがやってくれると思って」
「恐ろしくて」
「勇気がなくて」
「ずっと、何かをしなくちゃと」
「ごめんなさい」
だからって、こんな命を捨てるような真似を。
なんだよ。
どっちが勇者だよ。
わが身を顧みず誰かを救う。
お前たちの方が今、よっぽどヒーローだよ。
地響きが続く。
曙光よりも明るく、聖剣が闇に閉ざされた街を照らす。
だがどうしてだろう。
絶望的な状況だというのに、俺は今、笑っている?
「こんな魔法陣じゃ全力の聖剣は防げない」
俺は議会派、反王国連合、魔法兵団、魔族……その場の全員に呼びかけた。
「力を貸してくれ。みんなの力が必要だ」
〇
ルシファーは聖剣を振り上げた。
大地はどんな音を立てて割れるのだろう。
星を砕く感触とはどんなものだろう。
その瞳は完全に強大な力に酔っていた。
今にも暴れ出そうとする聖剣を支える困難さすら愛おしい。
俺はそんなルシファーの前に躍り出た。
「竜力全開!」
竜力解放を明らかに上回る、恒星を丸ごと飲み込んだような輝きが俺の体から放たれる。
「回復魔法か。それにしてはずいぶんと見違えたじゃないか。ソード」
そうだ。
ありったけの回復魔法で、俺の体を回復させた。
これで俺は竜王の力を百パーセント使うことができるというわけだ。
「勝負してみるか、その力で、俺の聖剣と」
ルシファーの言う通りだ。
竜王の力をもってしても、聖剣の全力には恐らく及ばないだろう。
でも早計だぜ、ルシファー。
俺たちはまだ終わりじゃない。
背後で魔術の詠唱が始まる。
一人や二人じゃない。寺院の祈祷もかくやという大人数が、それぞれの呪文を唱え始めている。
防御魔法でも、攻撃魔法でもない。
それはすべて付与魔法!
幾重もの付与魔法が、俺に力を、加護を、新たなる能力を与えてくれる。
人々の魔術の輝きは、竜王の力よりもはるかに強く、その光は聖剣に匹敵するかに見えた。
これにはさすがのルシファーも心を乱した。
「ソード!」
「俺じゃない。『俺たち』だ!」
ルシファーが聖剣を振り下ろすのと同時に、俺は正面からルシファーめがけて飛び出した。
光の奔流が、割れる。
強大な力が激突した結果、逸れた光は鞭のように暴れ、街を切り裂いていく。
激流をかき分けるようして、俺は少しずつルシファーに迫った。
ヒーローはいない。
そう思っていた。
でも、見つからないはずだ。
俺はずっと、ヒーローとは『個人』だと思っていた。
一人の超越者こそがヒーローなのだと。
考えてみれば当たり前のことだ。
一人が変わったって、仕方のないことなのだ。
もしこの不条理に満ちた世界を覆せるヒーローがいるならば。
それはきっと一人じゃない。
俺はラノベが嫌いだった。
ラノベのヒーローは、何かを成し遂げたとしても、大半が人知れず人の波に消えていく。
それがいつも疑問だった。
ようやく分かった。
一人でできることには限界がある。
本物のヒーローってのは――
激しい競り合いが続く。
ルシファーまであと一歩。
しかし、どうやら力比べはそれでも聖剣の方がわずかに勝っていたらしい。
このままだと押し切られる。
体がじわり、泳ぐのを感じる。
誰か、あと一人。
あと一人でいい。
力を貸してくれないか。
(――ソードさま!)
ニムエの声が聞こえた気がした。
刹那、聖剣の力が緩む。
ここしかない。
俺はすべての力を振り絞って、その拳を振り上げた。
「うおおおおおおっ!」
二つの強大な光は激しい衝撃と共にはじけ飛び……
――俺たちの拳は、届いた。




