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カナギリ 急

カナギリ 急


 最初に聞こえたのは、歓声ではなかった。


「出ねえぞ!」


 朝の山に怒鳴り声が響いた。メイが宿を出た時には、すでに何人かが北の斜面へ走っていた。昨日まで一番人が集まっていた場所だ。


 後ろからイーライが来る。


「行くのか」


「見るだけ」


「教えるなよ」


 メイは返事をしなかった。


 山へ入ると、空気が違っていた。昨日までなら岩を割る音の間に笑い声が混じっていたのに、今日はつるはしの音が速く、土を放る音が荒い。


「もっと深く掘れ!」


「昨日ここで出たんだ!」


「そっちじゃない、こっちだ!」


 人の声ばかりが大きかった。


 メイは杖を地面についた。


 こつ。


 目を閉じ、地下を見る。


 白い。


 太かった金色の糸が、いくつも色を失っていた。乾いた根のように細くなり、途中で途切れている。少し離れた先にはまだ黄金が残っているが、昨日より明らかに少なかった。


「メイ!」


 ベンが呼んだ。泥だらけだった。


「こっち、見てくれ」


「何を」


「あるんだろ。まだ」


 メイは答えなかった。


「昨日は出たんだ。今日は急に止まった。次はどこだ」


 イーライが間へ入った。


「やめろ」


「お前に聞いてねえ」


「今日は教えない」


 メイが言った。


 ベンの顔が止まる。


「何?」


「もう、場所は教えない」


「何でだよ」


「分からないから」


「何が」


 メイは地面を見た。白くなった糸と、自分の髪。うまく説明できない。


「このまま掘っていいのか」


「昨日まで教えてたじゃねえか」


「だから」


「急に何だよ」


 周りにいた人間も、少しずつこちらを見る。


「見えてるんだろ。金がある場所」


「隠す気か?」


 メイは顔を上げた。


「隠してない」


「じゃあ教えろよ」


 簡単な理屈だった。見えているなら、教えればいい。


 昨日まではメイ自身もそう思っていた。


「教えない」


 もう一度言った。


 ベンは何か言いかけてやめた。その代わり、少し離れた男が言った。


「金がなくなってから急に口閉じるのか」


 知らない顔だった。


「誰?」


「昨日来た」


「じゃあ私のこと知らないでしょう」


「金を見つける娘だってのは知ってる」


 甘い匂いがした。以前と同じなのに、その奥に少し酸っぱいものが混じっている。


 メイは鼻を押さえた。


「帰る」


 イーライが言った。


 メイは頷いた。


 後ろから、


「明日は教えるんだろ!」


 と声が飛んだ。


 振り返らなかった。


     *


 その日の昼には別の坑道でも金が出なくなり、夕方には南側でも同じ話が出た。


 全部ではない。まだ出る場所もある。


 だから余計に、人は掘った。


「向こうで出たらしいぞ!」


 その声が上がるたび、何十人も道具を抱えて移動する。昨日まで掘っていた穴を捨て、新しい場所へ集まり、さらに深く、さらに広く掘った。木を切り、土を崩し、水を流す。


 そのたびに、金色の糸は細くなった。


 白くなり、消えていく。


 メイは見ないようにした。


     *


 宿も落ち着かなかった。


「山どうだった?」


 エヴァンス夫人が聞いた。


「出てないところが増えてる」


 皿を拭く手が止まる。


「増えてるって、どのくらい」


「分からない」


「ここまで人が来てるんだよ。宿も食料も、全部仕入れ増やしてる」


 責める声ではなかった。


 それでも、メイは少し息苦しくなった。


「私に言われても」


「分かってるよ」


 夫人はすぐ答えたが、そのあとしばらく帳簿の数字を指で追っていた。


 前なら客が減れば楽になるだけだった。


 今は、減ると困る。


 宿も変わっていた。


     *


 夕方、ジェイコブが土だらけで戻ってきた。


「どうだった?」


「駄目。何も出なかった」


「明日は?」


「東側に行く」


「まだ行くの?」


「行くよ」


「でも、もう二百四十六あるでしょう」


「今は二百三十八」


「減ってる」


「飯も宿も高いんだよ」


 メイは黙った。


「それでも帰れるでしょう」


「帰れる」


「じゃあ」


「帰った後は?」


 ジェイコブが顔を上げた。


「家直して、食料買って、子供に靴買って、冬越して。それで全部なくなったら?」


「……また働けば」


「ここに金があるのに?」


 甘い匂いの中に、今度ははっきり酸っぱいものが混じった。


 メイが眉をひそめると、ジェイコブが聞く。


「どうした」


「何でもない」


 彼はまた硬貨を数え始めた。


 前より速かった。


     *


 夜、メイは部屋で帽子を取った。


 金色の髪は四分の一を越えていた。朝より増えている。


 触れると、甘い匂いがした。


 町の灯りはまだ明るい。だが笑い声は少なく、窓の外から聞こえるのは次の場所を探す声だった。


「明日はどこだ」


「北は駄目だ」


「南だ」


「誰が言った」


「メイに聞け」


 その言葉だけがよく聞こえた。


 メイは窓を閉めた。


     *


 翌朝、宿を出ると三人が待っていた。


 ベン。


 昨日の知らない男。


 それから、ヴェイル。


「何」


 メイが言った。


 ベンが口を開く。


「今日だけでいい。場所を教えてくれ」


「教えないって言った」


「昨日は昨日だろ」


「今日も」


 ヴェイルは黙っている。


 知らない男が笑った。


「金がないから価値が上がったな」


「何の話」


「お前の場所だよ」


「私のじゃない」


「でもお前しか知らない」


 その言葉に、ベンも何も言わなかった。


 メイは杖を強く握った。


「知らない人に教えるつもりはない」


「じゃあ俺には?」


 ベンだった。


 少し迷った。


 昨日までなら教えていた。村の人だから。知っている人だから。


 でも今は、彼が何を欲しがっているのか分からない。


「教えない」


 ベンの顔が変わった。


「俺にも?」


「うん」


「何でだ」


「もう十分でしょう」


 言ってから、しまったと思った。


 ベンは笑わなかった。


「誰が決めるんだ」


 メイは何も言えない。


「十分かどうか、お前が決めるのか?」


 甘い匂いが濃くなり、その奥に酸っぱさと、焦げたような臭いが混じる。


「違う」


「じゃあ教えろよ」


「それでも嫌」


 短い沈黙のあと、ベンは目を逸らした。


「……そうか」


 それだけ言った。


     *


 その日、メイは山へ行かなかった。


 宿で働いていても、何度も名前を呼ばれた。


「メイ! 北が駄目だ!」


「東は?」


「昔の坑道は?」


 知らない人間まで、当然のように聞いてくる。


 メイは全部断った。


 夕方には、


 ――教えなくなったらしい。


 という話が、


 ――金の場所を隠している。


 に変わった。


 夜には、


 ――まだ出る場所を独り占めしている。


 になっていた。


 その話を宿の食堂で聞いたメイが、


「誰が独り占めしてるって?」


 と言うと、男たちは黙った。


 その沈黙が一番嫌だった。


 イーライが隣へ来る。


「行こう」


「どこに」


「外」


 二人は町の外れまで歩いた。


 夜のミダスはまだ明るかった。店も人も変わらない。それなのに、以前とは違う場所に見えた。


「ねえ」


「何」


「私、間違えたかな」


「金を教えたこと?」


「うん」


 イーライはすぐには答えなかった。


「分からない」


「またそれ」


「本当に分からない。でも、もう止めた方がいい」


「うん」


 今度はメイも反論しなかった。


 遠くから、夜なのにつるはしの音がする。


 メイは地下を見た。黄金はまだ残っているが、白い場所の方が増えている。


「出ない」


「何が」


「金。明日はもっと出ないと思う」


「分かるのか」


「分かる」


 初めて、たぶんではなく、はっきり言った。


 金色の髪へ触れる。


「なくなってる」


 甘い匂いの奥で、ほんの少し、腐ったものの臭いがした。


     *


 次の日の朝、メイは枕元に落ちていた一本の髪を拾った。


 赤褐色だった。


 それを見て胸の奥から小さく息が抜ける。一本残っていたからといって何が変わるわけでもない。それでも指先に触れた色が、昨日までの自分につながっているように思えた。


 鏡の前へ座り、髪を分けていく。


 昨日より金色が広がっている。まだ半分には届かないが、もう「混じっている」だけでは済まなかった。耳の近くやこめかみ、後ろにもまとまった黄金がある。


 メイは赤褐色の一房を手に取った。


 幼い頃から変わらなかった色。


 母に梳かれた時も、ルーシーに引っ張られた時も、トーマスに「燃えてるみたいだ」とからかわれた時も。


 ただの髪の色ではなかった。


 家にいた頃の自分を、そこへつなぎ止めているものだった。


「まだある」


 誰に言うでもなく呟いた。


 口にすると、かえって心細くなった。


     *


 その日は宿から出なかった。


 山から戻った人々は、食堂で新しい場所の噂を交わしていた。


「北は駄目だ」


「南も薄い」


「昔の沢沿いなら出るって話だ」


「誰が言った?」


「知らん」


 話題が移るたび、メイの名前も混じった。


「娘に聞けば分かる」


「もう教えないらしい」


「まだいい場所を取ってるんじゃないか」


 厨房にいても声は届いた。


 エヴァンス夫人がパンを切りながら言う。


「気にするんじゃないよ」


「気にしてない」


「そういう顔じゃない」


「どんな顔」


「働け」


「逃げた」


「逃げてないよ」


 言い返して、メイは少し笑った。夫人も口元だけで笑う。


 それだけで胸のこわばりが少し緩んだ。


     *


 昼過ぎ、宿の裏で洗濯物を干していると、知らない子供がメイを指差した。


「金の人だ」


「指差しちゃ駄目よ」


 母親が止める。


「でも金だよ」


「髪」


 メイが言った。


「金じゃないの?」


「金じゃない」


「じゃあ何で金色なの?」


「私が知りたい」


 苛立ちが声に出た。


 母親は謝り、子供を連れていく。去り際に一度だけ振り返った母親の視線も、やはり髪へ止まった。


 メイは洗濯物の陰へ身を寄せた。


 見られたくない。


 でも、隠れている自分も惨めだった。


     *


 夕方、イーライが来た。


「山行った?」


「行ってない。今は行きたくない」


 彼はそれ以上聞かなかった。


「髪、見る?」


 メイが先に言った。


「嫌なら見ない」


「見て」


 二人は宿の裏の木箱に腰を下ろした。


 帽子を取ると、イーライはしばらく黙った。


「増えた」


「どれくらい」


「かなり」


「半分?」


「まだそこまでは」


「じゃあ三分の一くらい?」


「ああ」


 メイは赤褐色の一房を握った。


「明日には半分かも」


「分からない」


「朝起きるたび減ってる」


「痛くないんだろ」


「痛くない」


「具合は」


「普通」


「なら――」


「普通じゃないよ」


 声が強くなった。


 イーライは黙る。


「ごめん。でも、普通じゃない」


「うん」


 否定されなかったことで、メイの苛立ちは行き場を失った。


「これ、なくなるのかな」


「……たぶん」


「言った」


「何が」


「たぶん」


「分からないんだ。だから、たぶんとしか言えない」


「分かってる。でも聞きたくなかった」


「今は仕方ないだろ」


 メイは顔を上げる。


「仕方ないって言わないで」


「……悪い」


「そう言われると、私まで諦めなきゃいけないみたい」


 イーライは何も言わなかった。


     *


 しばらくして、メイが言った。


「私、寝たくない」


「何で」


「寝たら朝になるでしょう。起きたら、また赤褐色が減ってる」


 目が青くなった時は、一度で変わった。


 今回は違う。


 毎日、自分が変わっていくところを見せられる。


「お母さんも、この髪だった。少し明るかったけど」


「ルーシーは?」


「もっと赤い」


「トーマスは?」


「茶色」


 メイは少し笑った。


「全然揃ってない」


「じゃあ、家族と同じじゃなくてもいいだろ」


「そういう問題?」


「違う?」


「分からない」


 イーライは金色の一房を見た。


「何色でもメイだろ」


「赤でも?」


「メイ」


「青は?」


「メイ」


「緑」


「メイ」


「真っ白」


「しつこいな」


 メイは今度は自然に笑った。


「確認してるの。色が変わっても、私が私かどうか」


「髪の色で決まるものじゃないだろ」


「でも、私も変わってるかもしれない」


「それでもメイだよ」


 今度ははっきりと言った。


 すぐ信じられたわけではない。


 それでも、髪を握る手の力は少し弱くなった。


     *


 その夜、メイは眠れなかった。


 髪から甘い匂いがする。そこへ酸っぱいものと、ときどき焦げたような臭いが混じっていた。


 目を閉じると、セントルイスが浮かぶ。


 トーマス。


 ルーシー。


 母。


 父。


 その記憶の中の自分は、いつも赤褐色の髪だった。


 メイは残った一房を指へ巻きつけて眠った。


 朝まで変わらないように。


     *


 目を覚ますと、指へ巻いた髪はまだ赤褐色だった。


 ほんの一瞬、救われたような気がした。


 だが鏡を見ると、耳の後ろから肩へ落ちる一帯が金色になっている。昨日より明らかに広がり、半分近くに達していた。


「……嫌」


 櫛を取り、赤褐色を集める。


 まだ残っている。


 そう思った時、窓の外から歓声が上がった。


「出たぞ!」


 甘い匂いが強くなる。


 鏡の中で、一本の赤褐色がゆっくり黄金へ変わり始めた。


 根元からでも先からでもない。色そのものが染み込むように広がり、赤褐色を飲み込んでいく。


 数秒だった。


「……見ちゃった」


 声が震えた。


 見えなければ、まだ知らないふりができた。


 でも、もうできない。


 半分ほど黄金になった髪。青い瞳。見慣れた顔。


 昔の自分だけが、少しずつ遠くなる。


 怖いのに、朝の光を受けた金色は綺麗だった。


 そのことまで、メイは否定できなかった。


 残った赤褐色を手に取る。


 まだある。


 その事実に縋るように、メイは初めて、残った赤褐色の本数を数え始めた。


     *


 昼前、宿の食堂ではパンが足りなくなった。


 焼き上がったそばから籠が空になる。


「一人一つ!」


 エヴァンス夫人が怒鳴った。


「金払ってるだろ」


「払えば何個でも食えると思うんじゃないよ」


 男は笑いながら、それでも二つ目へ手を伸ばす。


 人が増えたのだから、パンが足りないのは不思議ではない。


 けれど人々は以前より速く食べていた。


 皿が空になる前から山の話をする。


「北の奥は?」


「駄目だ」


「じゃあ西だ」


「もっと深く掘れば出る」


 腹を満たすために食べているようには見えなかった。


     *


 昼を過ぎると、酒場にも人が溢れた。


「もう一杯」


「さっき飲んだろ」


「だからもう一杯だ」


 空の杯が差し出され、注がれ、また空になる。


 メイはその手と口を見ながら歩いた。


 甘い匂いが濃い。


 昼食を食べたばかりなのに、酒場の前のパンを見た瞬間、食べたいと思った。


 胃は重い。


 満腹だ。


「……お腹じゃない」


 何が欲しいのかは分からない。


 ただ、何かを入れなければならない感覚だけが残る。


 唇を噛むと鉄の味がした。


 甘さが少し引いた。


     *


 町のあちこちで、人々は次の何かを求めていた。


 ジェイコブは「あと十ドル」。


 鉱夫は「もう一本坑道を」。


 エヴァンス夫人まで、満室の宿帳を見ながら呟いた。


「あと二部屋あればねえ」


「今でもいっぱいなのに」


「だからだよ。客を断るのはもったいないだろ」


 夫人は増築に必要な材木と人手を計算し始める。


 困っているわけではない。


 むしろ以前より儲かっている。


 それでも、足りない。


     *


 午後、町の北側まで歩くと、山肌には黒い坑道の入口が増えていた。


 以前は木や草の方が目についた場所だ。


「……口みたい」


「何が?」


 隣にいたイーライが聞いた。


「坑道。町が山を食べてるみたい」


 土を掘り、岩を砕き、中から金だけを取り出す。一つの穴で足りなければ次を掘る。


 山肌に並ぶ黒い入口は、食べても閉じることのない口に見えた。


     *


 帰り道、メイは甘い匂いが一ヶ所からしているのではないと気づいた。


 宿にも、酒場にも、坑道にもある。


 人が何かを欲しがる時だけ、わずかに強くなる。


「あと少し」


「もう一本」


「次は俺だ」


 言葉も意味も違うのに、その奥にあるものだけは同じに思えた。


 ――もっと。


 メイの胸が冷えた。


     *


 夕方、ベンは新しい上着と靴を身につけ、買い替えた道具を腰に下げて肉を食べていた。


「明日、東へ行く」


「また?」


「西は駄目だった」


「金、何に使うの?」


 ベンは少し考えた。


「……あるだろ」


「何が欲しいの?」


 答えは出なかった。


 それでも、


「金はある方がいい」


 と言った。


 まだ肉の残っている皿の横から、


「パン、もう一つ」


 と声を上げる。


 甘い匂いがした。


     *


 夜、メイは宿の前に立った。


 ミダスには食べ物も酒もある。宿は満室で、金を持っている人間もいる。


 誰も腹を空かせてはいない。


 それでも、町全体が空腹だった。


 空の杯。


 開いた坑道。


 広げられた麻袋。


 硬貨を数える指。


 客を待つ宿。


 どれも何かを入れるために開いている。


 メイは半分ほど黄金になった髪へ触れた。


 通りの向こうにいた男が、こちらを見る。


 顔ではない。


 髪。


 隣の男も気づいた。


 遠くから「もっと奥を掘れ!」という声が聞こえた。


 ジェイコブはまた硬貨を数えている。


 別々だったものが、一つに重なって聞こえた。


 ――もっと。


 町はこれほど満ちているのに、どこにも満たされた人間がいなかった。


     *


 翌朝から、空の袋を持って戻る人間が増えた。


 昨日までなら小さな欠片くらいは持ち帰れた人々が、今日は土と石だけの袋を道端へ放り出している。


 それでも誰も山を下りようとはしない。場所を変え、穴を深くし、「向こうで出た」と聞けば走っていく。


 メイには地下が見えていた。


 白い糸はさらに増え、残る金色は細く切れ切れになっている。


 その黄金を見た時、胸の奥に妙な感覚が生まれた。


 まだある。


 見つけたい。


「違う」


 思わず声に出した。


 欲しいわけではない。


 金なんていらない。


 それでも金色の糸から目が離れない。


「私は欲しくない」


 杖を強く握る。


 腹ではない場所が、空いていた。


     *


 昼、宿の食堂で二人の男がメイを見ていた。


「あの娘、最初からあんなだったか?」


「知らねえ。俺が来た時にはもう金が混じってた」


「ベンなら知ってるだろ」


 呼ばれたベンが答える。


「前は赤かった」


「全部?」


「ああ」


「いつから金になった?」


「金が出始めてからじゃねえか」


 誰かが笑った。


「山に合わせて洒落たんだろ」


 軽い冗談だった。


 だが、空の杯を回していた男が言った。


「でも山の金は減ってるんだろ。こっちは増えてる」


 メイの手が止まる。


「何が言いたいの」


「山の金、あんたが喰ってるんじゃないかって」


 笑いが起きた。


 ベンも一瞬笑った。


 しかし全員ではなかった。


 笑わずにメイを見る人間の方が嫌だった。


「そんなわけないでしょう」


「冗談だよ」


「面白くない」


「悪かったって」


 そこで終わるはずだった。


     *


 一時間後、その冗談は向かいの道具屋へ移った。


「エヴァンスんとこの娘、前は赤毛だったんだと。金が出始めてから、ああなったらしい」


 道具屋の店主は、釘を買いに来た鉱夫へ話した。


「あの青い目の娘、金が出るようになってから髪まで金になったらしいぞ」


「本当か?」


「ベンが言ったそうだ」


 嘘ではない。


 ただ、ベンが言っていない部分まで混じっていた。


 鉱夫は山へ戻った。


     *


 午後には、沢で話がさらに変わった。


「メイが見つけた場所は最初だけよく出るんだってな」


「北も南もそうだったろ」


 そこへ道具屋から戻った男が言う。


「しかも金が減るたび、あの娘の髪が金になってるらしいぞ」


「じゃあ見つけてるんじゃなくて、取ってるんじゃないか?」


「どうやって」


「知らねえよ。あの目だぞ」


 笑う者はいた。


 けれど、その笑いは短かった。


 誰かが自分の空の袋を見た。


     *


 夕方、雑貨屋の前では女たちが話していた。


「メイが教えたところ、すぐ金がなくなるんですって」


「それで髪があんな色に?」


「さあ。でも前は赤かったんでしょう?」


 メイに気づくと、会話が止まる。


 北も南も金が薄くなっている。


 メイが場所を教えた。


 どちらも本当だった。


 そこへ、誰かの推測だけが混ざっている。


     *


 日が暮れる頃には、酒場で、


「金を見つける娘がいるって聞いた」


 という旅人に、


「見つけるっていうより、吸い上げてるって話だ」


 と答える者がいた。


 メイは足を止める。


 朝は、


 ――喰ってるんじゃないか。


 だった。


 今は、


 ――吸い上げてる。


 になっている。


「誰から聞いたの」


 男たちは互いの顔を見る。


「沢の連中が」


「沢の誰?」


「そこまでは知らねえ」


 もう辿れなかった。


「噂なら何言ってもいいの?」


「そういう意味じゃねえ」


「じゃあどういう意味」


 周囲の視線が集まる。


 また髪だった。


 別の男が言った。


「なら、その髪は何なんだ?」


 メイは答えられなかった。


 自分でも分からない。


 山の糸が消えるたび、髪が黄金になる。


 それだけは知っている。


「……知らない」


「ほら」


「知らないからって、私が金を取ってることにはならない!」


 甘い匂いが一気に濃くなる。


 誰かの疑いと恐れ。


 それに混じって、自分の中からも同じ甘さが湧いた。


 メイはその場を離れた。


     *


 町の外れから山を見る。


 地下に一本、まだ太い黄金が残っていた。


 甘い。


 欲しい。


 そう思った瞬間、吐き気がした。


「違う。私はいらない」


 嫌なはずなのに、胸の奥の空いた場所がそれを待っている。


 杖を地面へ強く突く。


 こつ。


 白い石が冷えた。


 その冷たさで、ようやく目を逸らした。


     *


 宿へ戻る頃には、噂はさらに短くなっていた。


「山の金がなくなるほど、あの娘の髪が金になるんだと」


 もう「らしい」ですらない。


 その隣にいた母親が、子供の手を引いて宿を出る。


「あの人、金を食べるの?」


「そんなこと言わないの」


 母親は子供を連れて足早に去った。


 朝、大人たちが笑った冗談は、夜には子供まで知っていた。


 通りの向こうの人間と目が合う。


 ほんの少し、道の端へ寄られた。


 風が吹き、帽子から黄金の髪がこぼれる。


 以前なら綺麗だと言われた色だった。


 今は、その色に疑いがついていた。


     *


 翌朝、宿の食堂から笑い声が消えた。


 客はいる。皿も並び、エヴァンス夫人も働いている。それでもメイが近くを通ると、会話がわずかに途切れた。


 昨日までなら金の場所を聞かれた。


 今日は、ただ髪を見られる。


 昼前、ベンが宿へ来た。右手に汚れた布を巻いている。


「東も駄目だった」


「そう」


「まだある?」


「……ある」


「どこだ」


「教えない」


 ベンは意外なほど簡単に引いた。


「分かった」


「昨日の話、信じてる?」


 彼の動きが止まる。


「私が金を食べてるって話」


「分からねえ」


 否定されなかった。


「私が取ってると思う?」


「思いたくはない」


「それ、違うでしょう」


「じゃあ何て言えばいいんだよ」


 ベンはメイを見た。


 視線が途中で髪へ落ちる。


「山の金はなくなってる。お前の髪は増えてる。俺には、それ以上分からねえ」


「私にも分からないよ」


「だから怖いんだろ」


 ベンはそれだけ言って、宿を出た。


     *


 午後、イーライが来た。


 二人で宿の裏へ回ると、彼はすぐ言った。


「出よう」


「どこへ?」


「ミダスから」


「いつ?」


「明日の朝」


「急じゃない?」


「遅いくらいだ」


 メイは町を見る。屋根の向こうでは、まだ新しい建物を作る金槌の音がしている。


「みんな悪い人じゃないよ」


「知ってる」


 イーライは即答した。


「悪い奴ばかりなら、もっと簡単だった。昨日まで笑ってた奴が、今日はお前を疑ってる。明日どうなるか分からない」


「どこ行くの」


「西」


「海?」


「最初からそうだっただろ」


 海を先に見た方が勝ちだ。


 そんな話をした場所には、今は坑道へ向かう荷車が通っている。


「まだ勝負続いてたんだ」


「俺は終わらせた覚えないぞ」


 少しだけ、昔のイーライが戻った気がした。


「また戻ってこられるかな」


 イーライは答えなかった。


 その沈黙で十分だった。


     *


 エヴァンス夫人へ話したのは、夕食の片づけが終わってからだった。


「明日、出る」


 夫人の手が止まる。


「そうかい」


 驚かなかった。


 それが少し寂しかった。


「西へ行く」


「なら冬が来る前に山を越えな」


「うん」


 メイは皿を重ねながら、ようやく聞いた。


「また戻ってきてもいい?」


 夫人の手が止まった。


 ほんの一瞬。


 でも、その間が分かった。


「……落ち着いたらね」


 優しい声だった。


 前ならきっと、「いつでも戻ってきな」と言った。


「うん」


 二人とも、それ以上は何も言わなかった。


     *


 サラとエイベルの家の窓には、青いカーテンが掛かっていた。


「本当に行くの?」


「うん」


「手紙は?」


「書く」


「絶対?」


「九割」


「そこは十割」


「じゃあ十割」


 エイベルは最後に一言だけ言った。


「気をつけろ。山じゃないぞ。人にな」


 メイは頷いた。


 帰り道に振り返ると、青いカーテンが灯りの中で揺れていた。


 屋根は直った。


 借りも返した。


 二人はそこで止まった。


 町の全部が間違っていたわけではない。


 それだけは覚えていたかった。


     *


 夜、メイは荷物をまとめた。


 服。櫛。家族からの手紙。ルーシーへ送るつもりだった小さな品。アビーからもらった赤い星の袋。


 最後に杖をベッドへ置く。


 七つの窪み。


 一つには白い石。


 その隣はまだ空いている。


 ここで手に入れたものの多くは、鞄には入らなかった。


 井戸。


 雨の音。


 食堂の笑い声。


 山で飲んだ水。


 青いカーテン。


 ここにいてもいいと思った夜。


 鞄の口を閉じた時、甘い匂いがした。


 息が止まるほど濃い。


「……何?」


 髪がふわりと持ち上がった。


 窓は閉じている。


 風ではない。


 白い石が熱を持ち、その内部から灰色の線が隣の窪みへ伸びる。


 こつ。


 石の中で、小さな音がした。


 同時に、地下で何かが動いた。


     *


 町の下。


 山の奥。


 坑道のさらに向こう。


 残っていた金色の糸が一斉に震えた。


 細いものも太いものも、すべてがゆっくり向きを変えていく。


 メイへ。


「……やめて」


 一本が白く枯れ、抜け出した黄金だけが地中を走った。


 町の下を通り、宿の床まで来る。


「来ないで」


 最初の糸が足元へ届いた。


 熱い。


 触れた瞬間に消え、肩へ落ちていた赤褐色の一房が黄金へ変わる。


「やめて!」


 次。


 また次。


 遠くの山から黄金が流れ込み、そのたび地下には乾いた白い跡だけが残った。


 甘い匂いが部屋を満たす。


 その奥には、腐りかけたような臭いがあった。


     *


「メイ!」


 イーライが扉を開け、途中で止まった。


 メイの髪は、もうほとんど黄金だった。


「止めて」


「どうやって」


「分からない!」


 イーライが近づこうとする。


「来ないで! 触ったら、あなたまで――」


 彼は止まった。


「分かった。ここにいる」


 短い言葉だった。


 黄金はまだ来ている。


 やがて赤褐色は僅かになり、メイは震える手で探した。


「あった」


 耳の後ろに、一本だけ残っている。


 母と似た色。


 ルーシーが知っている色。


 トーマスが「燃えてるみたいだ」と笑った色。


 セントルイスを出た日の自分の色。


 地下にも、最後の一本だけ黄金が残っていた。


 細く、今にも消えそうな糸。


 それが動き始める。


「嫌」


 メイは首を振った。


「これは嫌」


 黄金が山を下る。


「お願い」


 町へ入り、


「これだけは」


 宿の下へ来る。


「残して」


 最後の糸が足元へ届いた。


 メイは赤褐色の一本を強く握った。


 熱。


 甘い香り。


 そして、指の間で色が変わる。


「……あ」


 最後の赤褐色が消えた。


 同時に、メイの視界から地下の黄金も消えた。


 山にも、町の下にも、もう一本も残っていなかった。


     *


 静かだった。


 あれほど濃かった甘さが遠のき、代わりに別の匂いが流れ込んでくる。


 イーライからは甘さと、別の何か。


 戸口の向こうを走った人間からは酸っぱい匂い。


 遠くの酒場からは焦げたような臭い。


「……何これ」


 メイは鼻を押さえた。


 匂いが、場所ではなく人についている。


「メイ?」


「匂いが……」


 杖が震えた。


 白い石の隣。


 空いていた二つ目の窪みに、小さなものが落ちる。


 カツン。


 金色の石だった。


 けれど山で見た黄金とは違う。


 輝きは鈍く、乾いている。


 色まで枯れたような金。


 触れると冷たく、甘い匂いもしなかった。


 メイは二つ並んだ石を見る。


 白。


 枯れた金。


 それから窓へ映った自分を見た。


 青い瞳。


 すべて黄金になった髪。


 そこにはもう、セントルイスを出た日の赤褐色は一本も残っていなかった。


     *


 朝になっても、山から歓声は聞こえなかった。


 代わりに、ミダスのあちこちで同じ言葉が上がった。


「ない」


 北にも南にも、沢沿いにも、昨夜まで掘っていた古い坑道にも。


 金がない。


 人々は空の袋を丸めて戻ってきた。


「もっと奥じゃないのか」


「掘った」


「横は?」


「掘ったよ」


「じゃあ下だ」


「岩盤だぞ」


 それでも、もう一度山へ戻る者がいる。


 別の場所なら。


 昨日の残りがあるかもしれない。


 けれどメイには分かっていた。


 地下は白かった。


     *


 昼前には町の様子も変わった。


 昨日買ったつるはしを売ろうとする男。


 ツケを断られて怒鳴る客。


 空室を見つめる新しい宿の主人。


 エヴァンス夫人も帳簿の前で黙っていた。


「今日、三人出ていった。明日の予約も二つなくなった」


「増築は?」


 返事はない。


 机には材木の注文書が置かれている。


「もう頼んだの?」


「ああ」


「取り消せない?」


「向こうだって木を切ってる」


 夫人は帳簿を閉じた。


「仕方ないよ」


 客が来たから、部屋を増やそうとした。


 それだけだった。


 それでも支払いは残った。


     *


 ジェイコブは荷物をまとめていた。


「帰るの?」


「ああ」


「やっと」


「笑うなよ」


「少しだけ」


 彼も苦笑したが、荷を縛る手は止まった。


「二百四十六あったんだよな。今は二百十一だ」


「帰れる?」


「帰れる。たぶんな」


「百ドルで十分だったんでしょう」


「ああ」


 硬貨の袋を持ち上げる。


「百になった時に帰ってりゃ、もう家に着いてたかもしれない」


「でも、家族のためだったんでしょう」


「だから余計に厄介なんだよ」


 欲しかったのは金ではない。


 家族を安心させたかった。


 安心するために、もう少し。


 その「もう少し」の終わりを失った。


     *


 午後には、金がないという事実が町全体へ行き渡った。


 そして噂も戻ってきた。


「昨夜までは出てた」


「朝になったら全部なくなった」


「全部一晩で?」


 そこで視線が動いた。


 昨日まで残っていた赤褐色が、一晩で消えている。


 帽子の下から落ちる髪は、すべて黄金だった。


「昨日、あんなだったか?」


「いや。まだ赤いのが残ってた」


 メイが宿へ戻ろうとすると、知らない男に呼び止められた。


「本当に金はないのか?」


「ない」


「お前には見えるんだろ」


「もう見えない」


「全部なくなるなんてあるか?」


「昨日まであったんだぞ」


 人が集まり始める。


 誰かがメイの髪を見た。


「昨日の夜に全部金になったんだろ」


「……そう」


「山の金も昨夜なくなった」


 甘い匂いに、腐った臭いが混じる。


 疑う者。


 怖がる者。


 困っている者。


 メイを庇うイーライからも、甘さの奥に焦げた臭いがした。


「私も分からない。髪がどうしてこうなったのかも、金がどうしてなくなったのかも」


「でも同じ夜だ」


「そうだよ」


 否定できなかった。


「じゃあ、その髪はなんだ」


 メイは答えられなかった。


     *


 その夜、ほとんど眠らなかった。


 夜明け前、イーライが馬を宿の裏へ回してくる。


 メイは荷物を背負い、白と枯金の二つの石が入った杖を握った。


 エヴァンス夫人が食べ物を渡す。


「三日は持つ」


「そんなに?」


「途中で誰かにやるんじゃないよ」


「九割守る」


「十割だ」


 メイは笑った。


 夫人も笑おうとして、うまくいかなかった。


 宿を振り返る。


「じゃあ」


「ああ」


「行ってきます」


 エヴァンス夫人の顔がわずかに歪んだ。


「……行っといで」


 帰っておいで、ではなかった。


 それでもメイは頷いた。


     *


 裏道から町を抜けようとした。


 もう少しで、MIDASと書かれた看板だった。


 その前に数人が立っている。


 ベンもいた。


「どこ行く」


「西」


「今?」


「うん」


 ベンは荷物を見る。


「金がなくなった日に?」


「前から決めてた」


 後ろから声が上がる。


「逃げるのか?」


「逃げるんじゃない。旅を続けるの」


「都合がいいな」


 人が足を止め、人数が増えていく。


 酸っぱい。


 焦げ臭い。


 その間に、奇妙な甘さ。


「どいて」


 メイが言った。


 誰も動かなかった。


     *


「本当にもう見えないのか」


 ベンが聞いた。


「うん」


「一本も?」


「ない」


「じゃあ戻ってくることもない?」


「分からない」


 後ろの男が吐き捨てる。


「何も分からねえじゃねえか」


「分からないものは分からないよ」


「こっちは金使って来てんだ!」


「私が呼んだんじゃない」


「金があるって話はお前から始まったんだろ!」


「違う! 私は村の人に教えただけ!」


「それで町になった」


 否定できなかった。


 メイが教えた。


 村人が掘った。


 噂が広がった。


 人が来た。


 ミダスになった。


 誰か一人のせいではない。


 でも、自分が何もしていないとも言えない。


「……ごめんなさい」


 思わず出た。


「でも、私にも戻せない」


 一瞬、甘い匂いが薄くなった。


 その時だった。


「だったら、せめてそれ置いてけよ」


「何を」


 男はメイの髪を指差した。


「それ」


 冗談だと思った。


 誰も笑わなかった。


     *


「髪?」


「一本でいい。本当に金じゃないか確かめる」


「金なわけないでしょう」


「見りゃ金だ」


「色が金なだけ」


「じゃあ一本くらいいいだろ」


「嫌」


 即答した。


「金にならなきゃ返す」


「どうやって髪を返すの」


 小さな笑いが起きた。


 でも、すぐ消えた。


「売らない」


「十ドル」


 別の男が言った。


「一本。十ドル出す」


「二十」


「五十」


 値段が上がる。


 メイの手が腰の赤い星の袋へ触れた。


 あの行商人。


 五十セント。


 もっと上等な袋が買えると言われた。


「やめて」


「いくらなら売る?」


「売らない」


「百なら?」


「そういう意味じゃない!」


 声が響いた。


 メイは髪を両手で押さえた。


「これは売り物じゃない」


 あの日と同じ言葉だった。


 でも、あの日の商人は諦めた。


 今日は誰も動かなかった。


     *


 一人の男が前へ出る。


「髪だぞ」


「私の髪」


「また伸びる」


「だから何」


「こっちは全部なくしたんだ」


 怒りより疲れた声だった。


 泥だらけの服。擦り切れた靴。痩せた顔。


 本当に、全部使ってここまで来たのかもしれない。


 それでも。


「嫌」


 メイは言った。


 男の顔が歪んだ。


「金がないなら、それを寄越せ」


 イーライがメイの前へ出る。


「下がれ」


「お前には関係ない」


「ある。メイが嫌だって言ってる」


 男が一歩出る。


 イーライも退かない。


 焦げた臭いが急に強くなった。


「イーライ」


「大丈夫」


 大丈夫ではない。


 匂いが、そう言っている気がした。


     *


 最初に手を伸ばしたのが誰だったのか、メイには分からなかった。


 横から伸びた手が、黄金の髪を掴んだ。


「っ!」


「一本だけ!」


「放して!」


 身体を捻る。


 髪が引かれ、頭皮が痛む。


 イーライがその腕を掴み、別の人間がイーライを押した。


「やめろ!」


 ベンの声がする。


 止めようとする者。


 見ようとして近づく者。


 押された人間が別の人間へぶつかり、群れが崩れる。


 それでも髪を握った手だけは離れなかった。


「痛い! 放して!」


「少しだって!」


 男のもう一方の手に、小さな鋏があった。


「やめて」


「確かめるだけだ」


「やめて!」


 イーライが腕を伸ばす。


 誰かに押される。


 男の手が揺れ、刃が黄金の一房を挟んだ。


 メイは青い瞳で見た。


 恐怖。


 欲望。


 迷い。


 止めようとする意志。


 奪おうとする意志。


 すべての流れが絡まり合う。


 次の瞬間。


 シャキン。


 頭が軽くなった。


 黄金の一房が地面へ落ちる。


 ほんの一瞬、誰も動かなかった。


 メイは周囲を見る。


 誰も、自分を見ていない。


 全員が地面を見ていた。


 切り落とされた黄金。


 青い瞳には、自分へ向いていた人々の流れが一斉に離れていくのが見えた。


 地面へ。


 髪へ。


 一本の手が伸びる。


 その横から、もう一本。


「いやあああああああああああああああああ――ッ!!」


 第二章 カナギリ 了

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