閑話4『絶望の凍土と、西から迫る足音』
極寒の凍てつく雪が、ポーランドの広大な平原を白銀の墓標へと変えていた。
かつて肥沃だった農村は、ロシア軍の凄惨な焦土戦術によって見る影もなく焼き払われていた。
作物が腐り果てた大地には黒い炭が散らばり、家々は骨組みだけを残して崩れ落ちている。
ロシア兵たちに冬を越すためのわずかな衣類や最後の種モミまで奪い尽くされた平民たちは、冷たい雪の上に座り込み、ガタガタと身体を震わせるしかなかった。
「お母さん……寒いよ……お腹が空いたよ……」
骨と皮ばかりになった小さな少女が、力なく母親の胸に縋り付く。
しかし、母親の身体はすでに冷たく凍りつき、愛する娘に応える声を発することは二度となかった。
待てば、全員が凍えて死ぬ。明日には、この国のすべての血統が絶滅する。
人間の言葉では形容できない絶望の坩堝が、静かに、しかし確実にポーランドの地を呑み込もうとしていた。
そんな剥き出しの地獄の底にある、ある小さな避難民の集落。
凍える手をわずかな焚き火にかざしていた老人たちの間に、一人の傷だらけのポーランド義勇兵が、息を切らせて飛び込んできた。その瞳には、恐怖ではない、何か信じられない奇跡を見たような激しい衝撃が宿っていた。
「……聞いたか! みんな、生きてくれ! 西から、西の国境から、とんでもない軍勢がこちらに向かって進軍してきているぞ!」
生きる気力を失っていた農民たちが、弱々しく顔を上げた。
また新しい略奪者が攻めてきたのかと、誰もが絶望の目を向ける。
しかし、義勇兵の叫びは、彼らの拙い常識を根底から覆すものだった。
「違う、略奪の軍隊じゃない! フランスの最高農政官ボナパルト閣下率いる『欧州連合軍』だ! 無敵のイギリス海軍が海を閉ざし、あの獰猛なプロイセンのブルーヘル軍が、剣をクワに持ち替えて『爆速開墾部隊』として我らの大地を耕しに突き進んできている!」
「何を馬鹿なことを……。この極寒の長雪の中、大軍が兵糧を持たずに動けるわけがなかろう。どうせロシア軍の焦土に巻き込まれて自滅するだけだ」
老人が力なく首を振ったが、義勇兵は胸に抱きしめていた、ボロボロに引き裂かれたポーランドの旗の切れ端を強く握りしめた。
「自滅などしない! 奴らの背後には、フランスの職人が作った鉄と蒸気の馬車が何百台も追従し、無限の『アツアツのスープとポテトケーキ』を前線へ配給し続けているんだ! どんなにロシア軍が土地を焼き払おうとも、奴らの兵糧が尽きることは絶対にない! 魚と芋の美味さに涙を流したイギリスの水兵も、クワを握ったプロイセンの兵隊も、みんなフランスに救われた恩義を返すために、我が国の生存権をかけて美しく暴れ回っているんだ!!」
その言葉に、凍えていた子供たちの瞳に、じわりと小さな命の火が灯り始める。
お伽話のような、しかし確かに迫りつつある豊穣の怪物たちの進撃。
さらに義勇兵は、涙を流しながらその決定的な『奇跡』を告げた。
「そして何より……フランスの王妃マリー・アントワネット様が、自ら泥にまみれてこのポーランドの最前線に残り、三百五十年前の初代聖女ジャネット様から受け継いだ『黄金の光』で、ロシアに呪われたこの凍土をその場で正常に浄化し、黄金の畑へと修復してくださっているんだ! 奴らは叫んでいる! 『飢えを無くすやり方なら、我が欧州連合に請え』とな!!」
ドォォォン……! その瞬間、遥か遥か西の地平の彼方から、凍てついた大気を震わせるような、凄まじい地鳴りのごとき大砲(蒸気機関)の唸りが響いてきた。
それは略奪の足音ではない。全ヨーロッパの怪物たちが胃袋で繋がり、若きベートーヴェンの紡いだ『英雄』の旋律を背負って進撃してくる、絶対的な救済の足音だった。
「……本当に、本当に、救世主が来てくれるというのか……っ」
農民たちは泥水まみれの顔を上げ、西の白銀の空を見つめてボロボロと大粒の涙を流した。
ロシア皇帝がどれほど冷酷に焦土を広げようとも、この地に生きるすべての民の心が、今や西から迫る『軍神の数式』と『聖女の光』を、狂おしいほどの希望とともに待ち望んでいた。
時間はすべての人類に平等だ。
しかし、この絶望の底で一刻を争う者たちのために、舞台は整い、無敵の布陣は整った。
後ろを気にする必要などない。
旧システムを完全に上書き殲滅するための、人類史上最も優しく、最も過酷なロシア決戦への幕が、今、ポーランドの凍土に響き渡る連合軍の咆哮とともに、壮大に切って落とされたのである。




