閑話2『前進の鍬と、ブリタニアの鋼』
ウィーン会議が「欧州連合」の結成という歴史的快挙で幕を閉じた直後、西欧の二大国は、それぞれの国にフランスから持ち帰った『豊穣』を充填し、爆発的な速度で遠征の準備を整えていた。
プロイセンの首都・ベルリンの広大な練兵場。 本来ならば、一糸乱れぬ銃剣の林が並ぶはずのその場所に響き渡っていたのは、凄まじい地鳴りのような鉄の音と、猛将ブルーヘル将軍の地声を枯らすほどの咆哮だった。
「野郎ども! 鍬を研げ! 軍刀の刃も極限まで研ぎ澄ませ! フランスのマリー王妃と農政官ボナパルトが、我がプロイセンの胃袋を飢えから救ってくれた恩義、今こそ力尽くで返す時だ!」
ブルーヘルは、ルイ十六世から贈られた最新鋭の農業機械を自ら動かし、泥濘の練兵場を次々と耕しながら叫んだ。
彼の背後には、銃の代わりにフランスから配給されたジャガイモの苗を大切に抱えた、数万の精鋭兵たちが目をぎらつかせて並んでいる。
「ロシアのクトゥーゾフめ、ウィーンの会議室ですました顔をしながら、裏でポーランドの子供たちを餓死させていたそうだな! 我らの規律は、非道な掠奪のためにあるのではない! これより我が軍は『爆速開墾部隊』として連合の先鋒を務める! ロシア軍が土地を焼くなら、その燃えカスの土壌を我が規律の力ですべて黄金の芋畑に変えてやるのだ! 我が前進の辞書に、不義理の文字は存在せん! 全軍、東へ向かって前進せよ!!」
「「「フォルヴェルツ――!!」」」
プロイセンの強固な規律が、他国への侵略ではなく、世界を飢えから救うための「開墾のエネルギー」へと完全に反転した瞬間であった。
同じ頃、ドーバー海峡を隔てたイギリスのポーツマス軍港。
荒れ狂う極寒の海を背景に、無敵の黒い鉄甲艦ヴィクトリー号の甲板の上で、海の怪物――ホレイショ・ネルソン提督は、冷たい潮風をその隻眼に受けながら佇んでいた。
「……提督。本当に、あのフランスの芋と魚の数式を信じるのですか」
港湾のドックを見下ろしながら、本国の政治家たちからの不穏な空気を察した参謀ハーディが、低く問いかけた。ロンドンの小ピット首相らは未だフランスの思想に焦燥を募らせている。
だが、ネルソンは不敵に、静かな覚悟を宿した笑みを浮かべて首を振った。
「ハーディ。あれはただの美味い飯ではない。大英帝国の誇り高き水兵たちが、病と飢餓という悪魔の奴隷にならないための、新時代のエネルギーだ。フランスの農政官は、我らの海の価値を認めてくれた。ならば、ブリタニアがその信義に牙を剥くことなどあってはならない」
ネルソンはサーベルを高く掲げ、煙突から激しい蒸気を吹き上げる何百隻もの鉄甲艦隊へ向けて、その至高の咆哮を轟かせた。
「我が英国海軍の義務は、この海を統べることだ! 信号旗を掲げよ! 『英国は各員がその義務を尽くすことを期待する』!! ロシアの傲慢な皇帝が、飢えを武器に世界を支配しようというなら、そのすべての海路を我が鉄の物量で完全に封鎖して見せよう! ロシアの船を一隻たりとも通すな! 同胞の子供たちの未来のために、魂を栄光の海へ捧げよ! ブリタニア万歳!!!」
「「「オール・ハイル・ブリタニアァァァッ!!!」」」
数万の水兵たちの咆哮が、荒天の全海域を震わせる。
プロイセンの陸、イギリスの海。かつてフランスを包囲しようとした怪物たちが、今やフランスの豊穣という思想の元、命懸けでロシアの狂気を圧殺するための最強の『盾と矛』として覚醒していた。
欧州連合の絶対的な進撃の足音は、着実に、地を揺らして東方へと迫っていたのである。




