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飢餓と戦うフランス歴史IF  作者: 癒されたい年頃


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『ウィーン会議乱入・怪物(軍神)の真価』

「フランスの大西洋港は我がイギリスが管理する!」


「ふざけるな、最新の農業技術と苗はすべて我がロシアが接収する!」


「まずは目前の芋の備蓄を等分に分配せよ!」 


 黒く聳え立つシェーンブルン宮殿の最高会議室。 


 フランスを包囲する大同盟の調印書を前に、イギリス首相小ピット、ロシアの猛将クトゥーゾフ、そしてスペインやドイツ諸邦の公使たちが、まだ勝ってもいないフランスの利権を我先にと奪い合い、醜い怒号と罵声をぶつけ合っていた。


「会議は踊る、されど一歩も進まず――」


 主催者であるオーストリアのメッテルニヒ伯爵は、激しい胃痛で脂汗を流しながら必死に制止するものの、列強の怪物たちのエゴの衝突は止まらず、議長席の皇帝ヨーゼフ二世は恐怖に震えるばかり。


 まさに、規律も調和もない泥沼の大混乱が部屋を支配していた、その時であった。 


 バァァァン!! 


 会議室の重厚な大扉が、凄まじい衝撃音とともに力尽くで跳ね開けられた。


 逆光の廊下から、激しい蒸気の匂いとともに、百人の特使を率いてウィーンへ乗り込んできたフランスの一行が堂々と足を踏み入れる。


 静まり返る会議室。


 全員の視線が突き刺さる中、泥のついた不格好な農業士官の制服をまとった小柄な男――最高農政官ナポレオン・ボナパルトが、冷徹な隻眼でロシアのクトゥーゾフ、そしてマリーの兄である皇帝ヨーゼフ二世を真っ向から睨みつけた。


 ナポレオンは算術手帳を懐に収めたまま、顎を突き出し、冷え切った、しかし部屋中の空気を一瞬で凍りつかせるような傲然たる声を響かせた。


「……なんだここは? 規律も、優雅さのかけらもない。じつに醜いな」


 列強の首脳陣を「醜い」と一喝した軍神は、円卓のど真ん中へと歩み寄り、不敵に言い放つ。


「呼び出されたから来てやったぞ、ウィーンの化石ども。我らに言いたいことがあるなら、先に言え。……吾輩がすべて、聞いてやる」


 部屋中の空気が一瞬で激昂へと沸騰した。呼びつけたはずのフランスの、しかもただの農業士官にすぎない小男に、完全に主導権を奪われたのだ。


「無礼者が! 敗戦国の分際で調子に乗るな!」


「悪魔の芋で世界を洗脳しようとした罪を、この場で認めろ!」


 スペインやドイツ諸邦の将軍たちが、あまりの言いように顔を真っ赤にして立ち上がり、口々に罵詈雑言と苦情をぶちまける。イギリスの小ピットも冷酷な目をさらに尖らせ、ロシアのクトゥーゾフは不快そうにフランスの無礼を睨みつけていた。


 だが、その大合唱のなかで、ただ一国、プロイセンの席だけは異様であった。


 猛将ブルーヘル将軍は、周囲の将軍たちが顔を真っ赤にして喚き散らす様子を、腕を組んだまま、口元をニヤリと歪めたまま完全な沈黙を貫いて見つめていたのだ。


 フランスの『豊穣とスープ』の本物の恐ろしさを知るプロイセンだけは、この大騒ぎを「おめでたいお遊戯会だ」と、ナポレオンと同じ視点で見下ろしていた。


 やがて、ひと通りの文句と苦情が出尽くし、会議室がハーハーと荒い息遣いで静まり返った、その瞬間。ナポレオンの背後から、マリー・アントワネットが静かに一歩前に踏み出した。


 そのアクアブルーの瞳には、馬車の中で決意した、他界した母マリア・テレジアへの想い、そしてロシアの暴力に怯えて精神を病んだ実の兄への、血の通った覚悟の光が宿っていた。


「――皆さま、お気の済むまで吠えられましたか? それでは今度は、我がフランスの言葉を聞いていただきましょう」


 泥にまみれたシルクドレスを纏いながらも、マリーの佇まいは最高会議室の誰よりも気高く、神々しかった。


「各国の事情は分かりましたが、皆さん、大きな思い違いをしてるのではなくて? あなた方がこの温かい宮殿で、まだ勝ってもいないフランスの利権を奪い合って遊んでいる間にも、国境の外では飢えと寒さで苦しむ民たちが大勢いるのではなくて? それなのにあなたたちは、利害の泥仕合に現を抜かして……各々の国に対して、恥ずかしくはないのですか?」


 痛烈な一喝に、各国の公使たちが息を呑む。


 しかしマリーの言葉は止まらない。彼女は円卓の議長席で震えている実の兄を真っ直ぐに見据えた。



「そして、兄上。……ずいぶんと、情けない顔をするようになりましたね。お母様が生涯をかけて愛し、守り抜いた我が祖国オーストリアの誇りは、他国の暴力への恐怖で、そこまで地に落ちてしまったのですか」


「ま、マリー……」


 実の妹からの決意の言葉に、ヨーゼフ二世は絶句し、涙を浮かべて項垂れた。


 メッテルニヒも言葉を失い、自分の書いた調印書の手を止める。


 緊迫した静寂が部屋を支配したその瞬間、ナポレオンが再び冷徹な隻眼をぎらつかせ、低い、しかし逆らえぬ絶対的なオーラとともに、王妃の言葉を引き継いだ。


「各国の事情は分かったが、黙ってやられてやるほど、吾輩のいるフランスは甘くないぞ」


 軍神の放つ、逃げ場のない救済の脅迫。


「各々の国の事情に合わせた食糧事情を、今ここで劇的に改善する用意が我が国にはある。……だが、聞くか? 貴公らにとって決して損な話ではないが、いまここで聞かねば、二度と飢えの恐怖から逃れられず、新時代に取り残されることになるかもしれないな」 


 スペインやドイツ諸邦の将軍たちが驚愕のあまり顔を強張らせる中、ナポレオンの視線は、ロシアの猛将クトゥーゾフへと、一瞬で鋭く突き刺さった。


「――残るは、ロシアか。……そなたはなぜ、ここにいる? 一体、何をしにこの会議へ来た?」 


 その氷のように冷たい追及に、クトゥーゾフの眉がピクリと跳ね上がる。


「我が国は、カルパティア山脈の向こう側で起きているポーランドの現状を、すべて知っている。……よくもまあ、他国の首脳陣の前で恥ずかしくもなく、人間の所業とは思えないほどむごい略奪を平然と行えるものだな。家を焼き払い、女子供から最後の種モミまで奪い尽くして凍え死にさせる……。クトゥーゾフ、それがそなたの国の方針か?」


 一瞬にして、最高会議室に耳が痛くなるほどの重苦しい沈黙が流れた。 


 ロシアが裏でポーランドを蹂躙し、分断しながら、このウィーンの地でフランスの技術を強奪しようとしていた二枚舌の罪が、完全に白日の下に晒されたのだ。


 クトゥーゾフの顔が屈辱と怒りで赤黒く染まり、周囲のドイツ諸公の間からも「ロシアの蹂躙とは本当か……?」と動揺の囁きが漏れ始める。


 重苦しい静寂を破り、ナポレオンは再び、傲然たる口を開いた。


「勘違いするな。我が国がこのウィーンの会議に来たのは、貴公らと大砲を撃ち合うためではない。……提案するためだ」


 ナポレオンは円卓のど真ん中に、一本のクワを真っ直ぐに突き立てた。


「戦争などという無益なことをせずとも、国を潤わせ、飢えを失くし、民を完全に救う方法があることを、我がフランスは知っている。……三百五十年前から我が国に続く、大切な教えだ。『剣を鍬に、大砲を道に』。小麦が冷害で実らないのなら、他の物を植えればいい。この世の中、貴公らの拙い常識では測れない未知のもので溢れているぞ? 戦争なんかで尊い命と資源を浪費する時間の、なんと勿体ないことか」


 ナポレオンはニヤリと、絶対の自信を宿した不敵な笑みを浮かべ、会議室の大きな扉の向こうへと合図を送った。


「そして、その未知なる豊穣の一端を、今ここに用意した。……入ってきてくれ」


 その号令とともに、再び重厚な扉が開く。


 蒸気馬車の廃熱を利用した特製の移動大釜を牽いた輜重兵たちと、引く白い職人服を誇らしげに纏った菓子長アントナン・カレームが、最高のスープの湯気と、サクサクに揚がったカツレツの香ばしい匂いとともに、怪物たちの円卓へと堂々と押し入ってきたのである。



「余談ですが、ナポレオンが語った初代の遺訓が『大砲を道に』に変わっているのは、15世紀の中世(ジャンヌの時代)にはなかった大砲を、18世紀のナポレオンが自分の時代の戦争に合わせて再定義しているためです。気づいた方はさすが歴史ガチ勢です……!」

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