第9話 人気配信者を背負ったまま上位種と遭遇する
白銀ユナを背負ったまま走り出した俺は、彼女の体へ余計な負担をかけないよう重心を一定に保ちつつ、入り組んだ通路を一気に駆け抜けていった。
石床を蹴るたびに周囲の景色が後方へ流れていくものの、彼女の腕から力が抜ける気配はなく、驚きながらも必死に俺の肩へしがみついている。
浮遊カメラはどうにか追随しているようだが、コメント欄には映像が揺れているだの、速度がおかしいだのといった文字が絶え間なく流れていた。
『速すぎて壁しか見えない』
『人を背負って出す速度じゃない』
『本当にF級なのか?』
『ユナ様、無事か!?』
「私は大丈夫です。それより、この先を右へお願いします。転移する直前、仲間の一人がそちらへ飛ばされるのが見えました」
耳元から聞こえてきたユナの案内に従い、俺は減速することなく角を曲がった。彼女はまだ魔力切れから完全には回復していないはずだが、仲間の安否を確認するまでは弱音を吐くつもりがないらしい。
その姿勢は、異世界で共に戦った仲間たちを思い出させるものがあり、俺は知らず知らずのうちに足へ込める力を強めていた。
やがて人間の声が明確に聞こえる距離まで近づくと、通路の先から何かが壁へ激突する鈍い音が響き、続いて苦痛を押し殺すような呻き声が届いた。
俺は広間へ飛び込む直前に速度を落とし、ユナを壁際へ静かに下ろしてから、視界に入った状況を素早く確認する。
倒れていたのは二人の探索者だった。一人は大盾を構えた男性で、もう一人は弓を握った女性。どちらも意識はあるものの、防具は砕け、全身に無数の傷を負っている。そんな二人を追い詰めていたのは、通常のオークを遥かに上回る四メートル近い巨体を持ち、黒鉄の鎧と巨大な戦斧で武装した異形だった。
『オークジェネラル!?』
『B級魔物だぞ!』
『なんで十階層にいるんだよ!』
『また異常発生か!?』
コメントから相手の名前と危険度を知った俺は、異世界で戦った同名の魔物を思い浮かべた。
向こうのオークジェネラルは複数の部下を統率し、魔物でありながら人間の戦術を模倣する厄介な敵だったが、目の前の個体からは知性よりも膨大な力と狂暴性が強く感じられる。
つまり今回も、異世界の知識をそのまま信用するべきではない。
「ユナ!」
大盾を持った男がこちらに気づき、驚愕に目を見開いた。
「無事だったのか……! そいつは誰だ!?」
「昨日ミノタウロスを倒した天城さんです! 私を助けて、ここまで連れてきてくれました!」
「天城……あの新人か!?」
どうやら俺のことは知っているらしい。昨日まで誰にも知られていなかったというのに、たった一度の配信でここまで名前が広がっていることには、いまだに現実味がなかった。
しかし、事情を説明している余裕はない。
オークジェネラルが咆哮を上げ、倒れている二人へ向かって戦斧を振り下ろそうとしていたため、俺はユナを下ろして、両者の間へ割り込み、抜いた剣で巨大な刃を受け止めた。
金属同士が衝突した轟音と共に、足元の石床が大きく陥没する。初心者用の剣は軋みを上げたものの、幸い折れてはいない。俺自身も一歩たりとも後退していなかったが、オークジェネラルは自分の攻撃を片手で止められたことが信じられないのか、赤黒い目を大きく見開いていた。
『片手で止めた!?』
『武器の重量差を考えろ!』
『天城だけ地面に根を張ってるのか?』
「見た目より力がありますね」
『お前が言うな』
コメント欄から一斉に突っ込まれたものの、俺の中ではこれでも率直な感想だった。異世界で戦った個体より技術は低いが、純粋な腕力に関してはこちらの方が強いかもしれない。せっかくなら、この世界の上位種がどのような能力を持っているのか確認しておきたい。
俺は剣を押し返し、オークジェネラルと距離を取った。相手は怒りに満ちた咆哮を上げると、全身から赤い光を噴き出し、先ほどまでとは比較にならない速度で踏み込んでくる。
「狂化能力か」
異世界にも似た能力は存在した。理性や生命力を代償として身体能力を飛躍的に上昇させるもので、発動後は痛みさえ感じなくなるため、未熟な冒険者にとっては非常に危険な状態である。
ただし、能力そのものが同じとは限らない。
だから俺は、正面から確かめることにした。
「天城さん、避けてください!」
ユナの声が響く中、俺は剣を鞘へ戻し、迫り来る巨大な戦斧へ向かって右手を伸ばした。刃が手のひらへ触れる寸前に指を閉じ、そのまま力を受け止める。
轟音と衝撃が広間を揺らしたが、戦斧は俺の手の中で完全に停止していた。
「やはり、これくらいか」
狂化してなお、魔王軍幹部の一撃には遠く及ばない。
俺は掴んだ戦斧を軽く捻り上げ、驚愕するオークジェネラルごと宙へ持ち上げると、その巨体を石床へ叩きつけた。床全体が蜘蛛の巣状に砕け、巨大な魔物の体が深くめり込む。
それでも相手はまだ動こうとしていたため、俺は今度こそ剣を抜き、その首元へ刃を振り下ろした。
一閃。
オークジェネラルの巨体から力が抜け、赤い光も静かに消えていった。
『B級魔物を投げたぞ』
『剣いる?』
『最後だけ剣士に戻るな』
『ユナの仲間、全員固まってる』
俺は血を払い、剣を鞘へ納めると、負傷している二人のもとへ向かった。ユナも壁に手をつきながら立ち上がり、安堵したように仲間たちへ駆け寄っていく。
だが、彼女のパーティーは本来四人だったはずだ。
「もう一人はどこですか?」
俺の問いに、ユナたちの表情から一斉に安堵が消えた。
「リーダーが……私たちを逃がすために、さらに奥へ行った魔物を引きつけています」
その言葉とほぼ同時に、迷宮の奥深くから、先ほどのオークジェネラルとは比較にならないほど重く禍々しい咆哮が響き渡った。
空気そのものを震わせる魔力に、俺は静かに目を細める。
どうやら本当の異常は、まだ奥にいるらしかった。
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