第7話 二度目の配信で最初から十万人に見られる
渋谷第三ダンジョン。
東京都内でも比較的知名度の高い、ビギナー向けの王道ダンジョンである。
内部は全二十階層で構成されており、上層にはゴブリンやスライムといったお馴染みの低級魔物が出現し、十階層を越える頃にはオークやコボルトなど、初心者にとっては多少厄介な中級魔物も現れ始めるらしい。
そして現在、午前十時。
そのダンジョンゲートの前に到着した俺は、凄まじい光景に直面していた。
「……あの、黒瀬さん。いくらなんでも、人が多すぎませんか?」
俺は、ダンジョン入り口前を埋め尽くしている人だかりを見ながら、思わず頬を引きつらせて呟いた。
「ですから、出発する前に『必ず事前に』連絡してくださいと、私は昨日あれほど口を酸っぱくして申し上げたはずですが?」
隣に立つ黒瀬さんが、いつも以上に鋭く冷ややかな瞳を向けながら、眼鏡のブリッジを押し上げて答える。
いや、連絡はした。
本当にちゃんとした。嘘じゃない。
実家の勝手口を静かに飛び出して、手配してもらったタクシーに乗り込む直前、スマホで「今から渋谷第三に向かいます」とメッセージを送ったのだ。
それから、まだ一時間も経っていない。
なのに、渋谷第三ダンジョンのゲート前には、すでに簡易的なバリケードが築かれ、数百人ものファンや野次馬、そしてカメラを持った動画配信者たちが、お祭りのような大騒ぎで集まっていた。
どうやら全員が、俺の『第二回目の生配信』を現地で生で見ようと待ち構えていたらしい。
「あっ、天城湊だ!」
「本物だ、マジで来たぞ!」
「昨日ミノタウロスを一撃で両断した奴だ! 思ったより普通にイケメンじゃん!」
「おい、配信アプリ開け! まもなく始まるぞ!」
四方八方から、大音量の歓声とカメラのシャッター音が飛んでくる。
俺は反射的に、ビクッと肩を震わせて一歩後ずさりした。
異世界アステリオンで、魔王軍十万の大軍勢を目の前にした時でさえ、眉一つ動かさずに聖剣を構えていたこの俺が、現代の一般人たちの熱狂的な歓声に完全に怯んでいる。
人間、生きていく上で何が苦手分野になるか、本当に分からないものだ。
「天城さん」
「は、はい」
「ファンサービスは結構ですから、これ以上のパニックを防ぐためにも、速やかに中へ入ってください。現地スタッフがゲートを開放しています」
「ですよね! 行ってきます!」
俺は黒瀬さんに促されるまま、受付で探索者カードを素早く提示し、逃げるようにダンジョン内部へと駆け込んだ。
※ ※ ※
ゲートを潜り、薄暗いダンジョン通路に入って周囲から人の気配がなくなったのを確認してから、俺は深くため息を吐いた。
ポケットからスマホを取り出し、浮遊型の撮影カメラを起動する。
「ええっと……ここをタップして、配信開始、と」
画面がパッと明るく切り替わる。
それと同時に、赤いフォントで表示された『同時接続者数』の数字が、信じられない速度で跳ね上がった。
現在――十一万八千人。
「……あれ? これ、アプリの表示バグってませんか? 壊れてるのかな?」
思わずカメラに向かって画面を傾けると、一瞬でコメント欄が超スピードの弾幕となって画面を覆い尽くした。
『壊れてないぞおおおお!』
『待ってたぞ壁破壊サイコパス!』
『うおおお、きたああああ!』
『昨日切り抜きを見て震えました! 初見です!』
『もう同接十二万人突破してて草』
『配信開始ボタン押した瞬間から十万人超えとか、大物配信者でもあり得ないだろww』
「まだ俺、ゲートを潜って数メートル歩いただけなんですけど……」
『存在自体が面白いからセーフ』
『早くゴブリンを壁ごと粉砕してくれ』
「だから、その壁破壊マンとかサイコパスとかいう風評被害は本気でやめてください。俺は至って温和で、平和主義な普通の二十六歳です」
『お前の普通は信用できない』
『事故で壁を壊す(物理)温和な一般人(笑)』
『今日はどこまで行くの?』
「今日は、渋谷第三ダンジョンに来ています。昨日のような異常事態さえ起きなければ、今日は本当に、普通に、大人しく探索をする予定です。皆さん、のんびり雑談しながら行きましょう」
『あっ、これフラグだ』
『完全にフラグ立てたなwww』
『絶対になんか起こる方に、スパチャ五千円賭けるわ』
失礼な視聴者たちである。
いくらダンジョンとはいえ、毎回毎回、俺の前にだけ都合よく大きな事件が発生するわけがない。
俺は腰の三万八千円の片手剣の柄にそっと手を添え、のんびりとした足取りで歩き始めた。
数分後。
前方の薄暗い曲がり角から、トタトタと足音が響き、三体のゴブリンが姿を現した。
「グギャアアアッ!」
「うん、今日も元気にゴブリンですね」
あちらの世界でも、それこそ数千、数万と戦ったお馴染みの相手だ。
だが、この世界のゴブリンは、俺の知っている個体とは明らかに生態が異なる。
以前は『右目が弱い』という異世界の常識を当てはめようとして、見事に外すという大失敗を犯した。
だから今日からは、余計な先入観を一切捨てて、ただ眼前のゴブリンの『動きそのもの』だけを見て対処する。
一体目が棍棒を大きく振りかぶり、正面から無防備に突っ込んでくる。
――遅い。
俺は静かに、腰の鉄剣を抜いた。
一閃。
ただ一回、腕を薙いだだけ。
しかし、床に落ちたのは――並んで走っていた三体のゴブリンの首、すべてだった。
『?????』
『え、今、一回しか剣を振ってなかったよな?』
『三体同時に首が飛んだんだが!?』
『どうなってんの? 残像?』
「いえ、正面の一体を斬る瞬間に、ちょっとだけ手首を返して、剣筋をクイッと横に曲げただけです」
『いや剣筋って物理的に曲がるの!?』
『物理法則どうした』
『剣って曲がるものだっけ?』
「あちらの……あ、いや、昔の剣の師匠から『一流の剣士は、空間を這う蛇のように剣筋を曲げるものだ』と教わったので。普通にやれば曲がりますよ」
『曲がらねえよ!!!』
『お前の師匠、どこの世界線に生きてんだよwww』
「まあ、細かい技術論は置いておきましょう」
『置くな!!!』
『詳しく説明しろ!!!』
俺はコメント欄の激しいツッコミを綺麗に無視して、ずんずんと先へ進んだ。
今日の目標は、できるだけ深い階層を目指すことだ。
配信者として成り上がり、大金を稼ぐためには、いつまでも初心者向けの安全な一階層でゴブリンだけを狩っているわけにはいかない。
俺は少し歩行速度を上げ、早足で階層を下り続けた。
一階層、突破。
二階層、突破。
三階層、突破。
途中でゴブリンの集団やスライムに何度か遭遇したが、すべて無駄のない一撃のもと、一瞬で塵へと還していった。
そして、配信開始からわずか四十分後。
「なるほど、ここが十階層ですか」
『早すぎるだろ!!!』
『初心者がソロで到達するスピードじゃない』
『普通のF級パーティなら、ここまで下りるのに数日かかるぞ』
「そうですか? 迷宮の構造が、アステリオンの古代遺跡に比べて非常に単純でしたから」
『また聞いたことない地名出たwww』
十階層。
これまでの通路とは違い、天井が五メートル近くまで高くなり、道幅も広くなっている。
そして、その広々とした空間の奥から、ドスン、ドスンと重い足音が響いてきた。
「ブモオオオッ!」
現れたのは、体長二メートルを超える、醜悪な豚の頭を持った二足歩行の巨漢――『オーク』だった。
手には巨大な鉄の片手斧を握り、丸太のような太い腕を誇示している。
『オークきたあああ!』
『一応、これE級魔物だぞ!』
『普通の新人なら、数人がかりでフォーメーションを組んでようやく勝てる相手』
『なお、配信主は昨日C級のミノタウロスをワンパンした模様』
俺は腰の剣を抜こうとして、ふと、ポケットの中にある『ある物』を思い出し、手を止めた。
「よし。せっかくですから、昔、あちら――じゃなくて、昔覚えた知識がこの世界の魔物に通用するか、ちょっと実験をしてみます」
『今『あちら』って言わなかった?』
『気のせいか?』
「気のせいです」
危ない。
気を抜くと、すぐにアステリオン時代の癖が出てしまう。
俺は、立ち止まって不気味にこちらを睨みつけるオークを観察した。
「俺が知っているオークという魔物は、非常に鼻が利き、嗅覚が鋭いんです。その代わり、鼻腔を直接刺激するような『強い刺激臭』に極端に弱いという弱点があります」
『へえ、初めて聞いた』
『ここのオークも、同じ性質なのかな?』
「分かりません。だから試してみるんです」
俺はポケットから、昨日、実家の冷蔵庫からこっそり失敬してきた小さな緑色のチューブ容器を取り出した。
「これを使います。『わさび』です」
『は!?』
『わさび!?!?』
『なんでダンジョンにわさび持ってきてんだよwww』
俺は携帯していた布切れにわさびをべっとりと多めに塗りつけ、それを「ふんっ」とオークの足元へ向けて投げつけた。
オークが、自分の目の前に落ちてきた謎の布に気づく。
「ブモ?」
怪訝そうに鼻をフゴフゴと鳴らし、その布に顔を近づけ、思い切り息を吸い込んだ。
そして。
「ブモオオオオオオオオッ!?!?!?!?」
オークが、天を仰いで絶叫した。
両手で自分の豚鼻を激しく押さえながら、涙をボロボロと流し、悶絶して床の上をのたうち回り始めたのだ。
「――よし、効いた!」
『本当に効くのかよ!!!!』
『オークにわさび特効wwwww』
『お腹痛いwww新発見だろこれwww』
『明日から日本のわさびが売り切れるぞwww』
「やっぱり、世界が違っても、生物として共通する部分はたくさんあるんですね……!」
俺は、心の底から込み上げる感動に震えていた。
ようやく。
ようやく、俺が十年間アステリオン大陸で血を吐きながら培ってきた魔物知識が、この現代日本で役に立ったのだ。
ゴブリンの右目弱点は通用しなかった。
スライムの物理無効も違った。
ドラゴンが重力のせいで飛べないことにも絶望した。
だが、オークにはわさびが効く。
「俺の、あの地獄のような十年間が、ようやく報われた気がします……!」
『勇者みたいな壮大なセリフ吐きながら、やってることがチューブわさびなのシュールすぎるだろ』
その時だった。
感動に浸る俺の耳に、迷宮の奥から、突き刺さるような鋭い悲鳴が響き渡った。
「――きゃああああああっ!!」
若い女性の声。
俺は一瞬で感傷を吹き飛ばし、そちらの方向へ視線を向けた。
『またか!?』
『本当にフラグ回収が秒速すぎるwww』
『女の子の悲鳴だ! 誰か襲われてる!』
「近い。通路を二つ挟んだ先、北東の広場です!」
俺は地面を強く蹴り、凄まじい風を巻き起こして走り出した。
瞬く間に通路を駆け抜け、角を鋭角に曲がり、開けた大広間へと飛び込む。
そこには、一人の少女がいた。
年齢は十代後半くらい。
透き通るような白い髪を肩まで伸ばし、人形のように整った美しい顔立ちをした少女だ。
彼女は、見るからに高価そうな装飾が施された魔導杖を両手で握り締め、十体以上のオークの集団に完全に取り囲まれていた。
「くっ……まだ、魔力が……っ!」
どうやら、完全に『魔力枯渇(魔素欠乏症)』を起こしているらしい。
顔色は真っ白で、杖を構えてはいるものの、その足元は生まれたての小鹿のようにふらふらと小刻みに震えていた。
『待て、あの白銀の髪……『白銀ユナ』じゃねえか!?』
『えええええ!? 登録者百五十万人の超人気魔法系配信者だぞ!?』
『なんでユナがソロでこんな低層でピンチになってんだよ!』
どうやら、この世界の超有名人らしい。
だが、今の俺にはそんな肩書きは関係ない。
一体のオークが、動けない少女に向けて、容赦なくその巨大な片手斧を振り下ろそうとしていた。
――間に合う。
俺は、一歩で数十メートルを縮めるアステリオンの歩法を使い、地を這うように肉薄した。
「――伏せて!」
「えっ……!?」
少女が反射的に頭を抱えてしゃがみ込む。
俺はその頭上を軽々と飛び越え、空中で腰の三万八千円の鉄剣を抜き放った。
ただ、一度だけ。
周囲を取り囲むオークすべての首元をなぞるように、円を描く一閃。
――サクン、と軽い音。
直後。
少女を取り囲んでいた十体以上のオークの巨体が、まるでドミノが倒れるように、一斉にドサドサと床へ崩れ落ち、塵となって消滅していった。
「……え?」
白い髪を揺らし、しゃがみ込んでいた少女――ユナが、信じられないものを見るような目で、呆然と俺の顔を見上げた。
『は??????』
『十体以上のオークを、一瞬で……?』
『空中の一振りで全員お亡くなりになったぞ……』
『しかも、白銀ユナを救出した!!!』
『これ、今日のネットニュースのトップ確定だろ……!』
俺は鉄剣を鞘に納め、まだ震えている少女へ向けて、優しく右手を差し伸べた。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「あなた……もしかして……」
ユナは差し出された俺の手を見つめ、それから俺の顔をじっと凝視しながら、小さく唇を震わせた。
「昨日、新宿ダンジョンでミノタウロスを一撃で倒した……あの『天城湊』さん……?」
「あ、はい。そうらしいです」
「そうらしいって、何ですかそれ……」
彼女は少しだけ毒気を抜かれたようにクスリと笑うと、俺の手を小さく握り返した。
だが、立ち上がろうとしたその瞬間。
極限まで魔力を消費していた彼女の身体はすでに限界を迎えており、ふらりと、糸が切れたように前へ倒れ込んできた。
「おっと、危ない」
俺は反射的に、彼女の華奢な身体が冷たい床に叩きつけられるのを防ぐため、その細い腰と背中に腕を回し、お姫様抱っこの形でしっかりと抱き止めた。
「あ……っ、な……!?」
密着した俺の胸元で、ユナの雪のように白かった頬が、一瞬にして林檎のように真っ赤に染まる。
それと同時に、俺のスマホの画面は、本日最大級の超大爆発を引き起こした。
『おいおいおいおいおい!!!』
『白銀ユナをお姫様抱っこしたぞこいつ!!!』
『ユナちゃんのこんなに赤い顔、配信で一回も見たことないんだが!?』
『天城湊! 人生二回目の配信にして、何万人もの男の敵になったぞお前!!!』
『登録者百五十万人のアイドル探索者を秒で攻略すなwww』
「え?」
俺は、何がそんなに怒られているのか分からず、困惑しながらスマホの画面に目を向けた。
同時接続者数。
――三十二万四千五百人。
「……あれ。また、もの凄く数字が増えてるな」
『そこじゃねえよ!!!』
どうやら、俺の人生二度目のダンジョン配信も。
当初の計画にあった『普通で静かな配信』とは、天と地ほどにかけ離れた方向へ、全力で突き進んでしまっているようだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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