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第5話 元勇者、初配信でいきなり規格外認定される

 俺は、地面をそっと蹴った。


 直後。

 配信画面から、俺の姿が跡形もなく消え失せた。


『は!?』

『消えた!?!?』

『おい、どこ行った!? 瞬間移動スキルか!?』

『追尾カメラ仕事しろ!! 天井しか映ってないぞ!』


 コメント欄が、摩擦熱で発火しそうなほどの超スピードでスクロールしていく。


 だが、俺自身としては、何か特別な超常スキルを使用したつもりは毛頭なかった。

 ただ、ほんの少しだけ、いつもより足を速く動かしただけだ。


 俺とミノタウロスとの距離は、およそ十五メートル。

 異世界アステリオンで、超高速移動の魔法を駆使する魔王軍の幹部たちを相手にしていた頃の感覚からすれば、もはや『密着している』と表現しても差し支えないほどの至近距離だ。


 下半身にほんの少しだけ魔力を乗せる。

 そして、ほんの一歩、床を踏み出す。

 それだけで、距離をゼロにするには十分すぎる。


「ブオオオオオッ!?」


 ミノタウロスが、目の前から突如として消え失せた俺の姿を見失い、焦燥の声を上げた。

 そしてパニックに陥ったように、巨大な大斧を闇雲にブンブンと振り回し始める。


 ――遅い。

 というより、隙が多すぎる。


 大振りすぎるし、重心が完全に前へ偏っている。右足にばかり無駄な体重を乗せているせいで、万が一その一撃をかわされた後、体勢を立て直すまでに数秒のロスが発生するはずだ。


 俺が向こうの世界で戦ってきたアステリオンのミノタウロスは、こんな脳筋な戦い方はしなかった。

 奴らは、その野蛮な見た目に反して極めて狡猾で、巨大な体躯に似合わぬトリッキーなフェイントを混ぜ、敵の退路をあらかじめ塞いでから、確実に絶望へと追い詰めてくる強敵だった。


 やはり、こちらの世界のダンジョン魔物はまったくの別物だ。

 姿や名前が同じでも、戦い方も、生物としての習性もまるで違う。


 けれど。


「まあ、遅いことに変わりはないからな」


 俺は、振り回される大斧が巻き起こす暴風を、ただの歩行動作で涼しい顔をしたまま回避し、気がつけばミノタウロスの死角――完全な真後ろへと回り込んでいた。


 腰を落とし、三万八千円のスチール製片手剣を構える。

 昨日の実技試験では、力加減を本気で間違えてしまった。

 床を叩き割り、訓練施設の防壁にヒビを入れて、黒瀬さんたちを真っ青にさせてしまった。


 今日こそは、同じ失敗を繰り返さない。

 今度は、本当に、本当に優しく。

 豆腐の角をそっと撫でるくらいの感覚で――。


「ふっ」


 剣を、横一文字に軽く薙ぎ払う。


 一瞬。

 ミノタウロスの強靭な巨体が、ピタリと彫像のように静止した。


「ブ……ア……?」


 自分の身に、一体何が起きたのかすら理解できていないような、間の抜けた掠れ声。


 次の瞬間。

 その太い首が、胴体から静かに水平にずれ落ちた。


 ゴトッ、と巨大な牛の頭部が石畳の上を転がる。

 遅れて、三メートルを超える漆黒の巨体が、糸を切られた人形のように膝から崩れ落ちた。


 ズウゥゥゥン……!


 広間全体に重々しい地響きが走り、土煙が舞う。


「……」


 静寂。


 俺は軽く手首を返し、剣に付着した薄い血の汚れを払い落とすと、床に沈んだミノタウロスの巨体を見下ろした。


「よし。今回は大成功だな」


 今度こそ、本当に完璧だ。

 床は一ミリも割れていない。コンクリートも無傷。

 これなら、絶対に協会から弁償請求の手紙が届くことはないだろう。


 自分の完璧な力加減に、俺は一人で大満足していた。


『……』

『……』

『え?』

『今、マジで何が起きたんだ???』

『ミノタウロスの首が、一瞬で落ちた?』

『おい待て、戦闘時間一秒にも満たなくね?』

『斬った……んだよな? 剣の軌道が残像すら見えなかったんだが』

『待て待て待て、これ本当に新宿第八の初心者ダンジョンか!?』

『F級探索者が、C級魔物を、初期装備みたいななまくら剣でワンパン!?』

『意味が分からなすぎて脳の理解が追いつかない』


 静まり返っていたコメント欄が、堰を切ったように猛烈な勢いで爆発した。

 それと同時に、画面の隅にある同時接続者数のインジケーターが、先ほどまでの五千前後から、いつの間にか『一万人』の大台を突破している。


「お、急に人が増えたな……」


『そこ驚くポイントじゃねええええ!!』

『反応が薄すぎるだろ! 同接一万人だぞ!?』

『世界中の有名配信者でも一万は一苦労なんだぞ!?』

『ミノタウロスを一撃で両断した感想をくれ!!』


「感想、ですか?」


 俺は剣を鞘にカチャリと収め、少しだけ真剣に考えてみた。


「そうですね……。俺の知っているミノタウロスに比べて、思ったよりもだいぶ動きが遅かったな、というくらいです」


『煽り性能高すぎだろwwww』

『初配信でC級魔物に『遅い』ってマウント取る新人探索者、ヤバすぎる』

『でも、あの剣速なら説得力しかない』


 いや、別に煽ったつもりは毛頭ない。

 本当に感じたことを、ありのままに言っただけなのだが。


 しかし、今は配信のコメント欄と戯れているよりも、優先すべきことがあった。


 俺は倒れている三人の探索者たちのもとへ、素早く駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


「あ、あ……ああ……」


 一番傷が深そうな、最初に俺へ逃げろと叫んだ青年が、呆然とした目で俺を見上げていた。


「お前……今、本当に、あのミノタウロスを、一人で……?」


「はい。綺麗に斬れました」


「いや、綺麗に斬れたって……そんな次元の話じゃ……」


 なぜ彼がそこまで動揺しているのか、俺には今ひとつピンとこなかったが、それより今は治療が先決だ。


 俺は三人の傷の状態を、上から素早くスキャンするように確認していく。

 一人は左腕の骨折。一人は脇腹に深い裂傷。最後の一人は頭部から出血しているものの、幸いにも意識ははっきりしている。


 今すぐ死に至るような致命傷ではない。

 だが、この迷宮の不衛生な床に寝かせておくのは、感染症の危険もあり非常にまずい。


「少し、動かないでじっとしていてくださいね」


「な、何をする気だ?」


「ちょっとした、応急処置です」


 俺は青年の隣に片膝をつき、彼の血で濡れた脇腹の傷口に向かって、そっと右の手のひらをかざした。

 そして、身体の内側を循環する純粋な『魔力』を優しく指先へ集中させ、流し込む。


「――『ヒール』」


 フワッ、と。

 俺の手のひらから、淡く暖かな若草色の光が溢れ出した。


 異世界アステリオンで、生き残るために身につけた最も基本的な初級回復魔法だ。

 俺は本職の神官や聖女ではないため、欠損した部位を完全に再生するような高位魔法は使えない。


 だが、この程度の切り傷や裂傷であれば――。


 ジュウ、と心地よい音がして、みるみるうちに青年の脇腹の裂傷が塞がり、新しい皮膚が滑らかに再生していく。

 出血もピタリと止まった。


「……は? う、嘘だろ……?」


 青年が、自分の血まみれの服の隙間から、完全に治癒した傷跡を触りながら、目玉が飛び出さんばかりに硬直した。


『は????????』

『待て待て待て!!!』

『今、光ったよな!? これ回復魔法!?』

『この壁破壊マン、剣士じゃなかったのかよ!?』

『魔法も使えるとは言ってたけど、まさかヒーラー適性まであるのか!?』

『現代のヒーラーって超希少種だぞ!?』

『しかも詠唱なしで傷が秒で塞がってんだけど!!!』


「いえ、これでもただの初級魔法ですよ」


『初級で内臓に達しそうな傷が瞬時に塞がるわけねえだろ!!!』

『お前の国の初級の基準どうなってんだよ!!』


「海外より遠いところの基準なので……」


『またそれか!!!』


 俺は苦笑いしながら、残りの二人にも同じように『ヒール』を施していく。

 骨折した左腕については、さすがに完全に元通りとはいかなかったが、痛みを綺麗に取り除き、骨を簡易的に接合する程度の応急処置は完了した。


「これで大丈夫です。ただ、体内の魔素のバランスが崩れている可能性があるので、ダンジョンを出たら一度ちゃんと病院で精密検査を受けてくださいね」


「いや……待ってくれ、頼む」

 

 脇腹を治された青年が、俺の腕をがっしりと掴み、まるで幽霊でも見るかのような目で凝視してきた。


「お前……本当に、昨日登録したばかりのF級なのか? どこかのA級以上の有名人が、企画か何かで名前を変えて潜ってるんじゃなくて……?」


「本当に、昨日登録したばかりの正真正銘のF級です。昨日、筆記試験を六十一点でギリギリ滑り込んだ天城湊です」


「昨日……?」


 三人が同時に沈黙した。


 コメント欄も、もはや怒涛の嵐のように流れていく。


『新人初日でC級のミノタウロスをワンパン』

『さらに神業クラスの無詠唱ヒール持ち』

『ついでに昨日は実技試験の壁を破壊』

『盛りすぎだろ、小説の主人公かよ』

『俺たち、とんでもない怪物の誕生を目撃してるんじゃないか?』


 何者と言われても困るのだが。

 俺はただ、お金を稼いで普通に暮らしたいだけの元勇者だ。


 そんなことをぼんやりと考えていると、俺はふと、ミノタウロスの死体を見つめて首を傾げた。


「そういえば、皆さんはどうしてこの一階層でこいつと遭遇したんですか? ミノタウロスって、本来ならもっと深い中層に出る魔物ですよね?」


 すると、三人の顔色がサッと青ざめた。


「分からないんだ。俺たちも、普通にゴブリンを狩ろうとして通路を歩いていたら、突然目の前に光が弾けて、こいつが湧き出てきて……」


「突然湧いた、ですか?」


「ああ。本来、新宿第八には絶対にミノタウロスは出現しないはずなんだ」


 なるほど。

 やはり突発的な異常事態だったらしい。


『これ、ダンジョン変異イレギュラーじゃないか?』

『上層の環境が変わって、深層の魔物が転送されたとか?』

『今すぐ協会に通報した方がいい』


「ダンジョン変異、か……」

 

 コメント欄に流れるその単語を見て、俺は少しだけ眉を寄せた。


 確か、昨日泣きながら読んだ参考書の百八十ページ目あたりに、そんな現象が書いてあった気がする。

 ダンジョン内部の魔素濃度が急激に変化することで、魔物の出現パターンが一時的に狂う現象だ。


「……あ。もっとちゃんと、参考書を真面目に勉強しておけばよかったな」


『筆記試験六十一点の男のリアルな後悔草』

『なぜ俺たちが点数を知っているかというと、昨日の他の受験生がネットに晒してたからだぞ』

『壁を壊した六十一点の男として、すでに有名になってるぞ天城』


「えっ、本当に……? それはすごく困るな。俺は静かに普通の配信者として生活したいんだけど」


 などと話していると、迷宮の奥から、規律正しい複数の重い足音がこちらへ向かって近づいてくるのが聞こえた。


「あ、誰か来ますね。結構な人数です」


『また足音だけで人数まで分かるのかよ!!』


 それから約三十秒後。


 広間の入り口から、黒く頑強なタクティカル装備に身を包んだ五人の探索者たちが、息を切らせて駆け込んできた。

 彼らの胸には、探索者協会のエンブレムが輝いている。


「協会救助班だ! イレギュラー警報を受けて突入した! 負傷者はどこ――」


 しかし、先頭を走っていた大柄な男性隊員は、そこで言葉を完全に失った。


 床に転がっている、ミノタウロスの巨大な首と死体。

 その傍らで、無傷のまま平然とした顔で立っている俺。

 そして、すでに傷が塞がり、ピンピンしている三人の探索者。


「……何が、あったんだ、これは?」


「ミノタウロスが出ました。なので、退治しました」


「それは見れば分かる。……だが、誰が倒した? 救助要請を出した彼らではないだろう?」


「あ、俺です」


「君が……? いや、君のその防具、初心者用の配給品じゃないか。探索者ランクは?」


「F級です」


「……もう一度、言ってもらえるか?」


「昨日合格したばかりの、F級です」


 救助班の隊員五人が、同時に石のように固まった。


『本日、四回目の『静寂』いただきました!』

『そりゃ、プロの救助隊もフリーズするわ』

『救助隊「俺たちの仕事、ないじゃん……」』


 先頭の男はガシガシと頭を掻きむしり、深いため息を吐いた。

 

「君、名前は?」


「天城湊です」


「天城……天城湊!? まさか、昨日の実技試験で、壁と床を粉々にしたあの新人か!?」


「粉々にはしていません。ちょっと傷をつけただけで――」


『壁が真っ二つになってた動画、ネットに転がってるぞ湊www』

『コメント欄は静かにしてください、だってさ(笑)』


 その時だった。


 俺のポケットの中で、スマートフォンがバイブレーションと共に激しく震えた。

 画面を確認すると、広報の黒瀬さんからの直接着信だった。


「あ、もしもし、黒瀬さん?」


『天城さんっ!!!』

 

 電話の向こうから、いつもの知的で冷静な彼女からは想像もつかないような、裏返った焦り声が響いてきた。


『今すぐ! 今すぐに、あなたの配信の『同時接続者数』を確認してください!!』


「同時接続者数ですか? ええと……」


 俺は、浮遊カメラが捉えている配信画面の隅に表示された赤い数字を見つめた。


 そこには――。


「えっ……十二万人?」


 最初は、スマホの表示バグかと思った。

 だが、数字は一瞬たりとも止まることなく、凄まじい勢いで桁を更新し続けている。


 127,642。


『あなたのミノタウロス一撃討伐の切り抜き動画が、凄まじい勢いでSNS上に拡散されているんです! 現在、探索者界隈のトレンド上位があなたの名前で埋め尽くされています!』


「そんなに、大変なことなんですか?」


『大変なことなんですか、じゃありませんっ! 新人が初配信でC級魔物をワンパンして、無詠唱治癒魔法まで使うなんて、前代未聞の国家レベルの大ニュースです!』


 黒瀬さんに、耳がキーンとするほど怒られてしまった。

 画面のコメント欄は、もはや人間の動体視力では読めないほどの速度で流れる光の帯と化している。


『歴史の始まりの瞬間を目撃した』

『F級の概念が今日、崩壊したな』

『チャンネル登録不可避だろこんなの』

『こいつ絶対に世界最強になるぞ』


 俺は、しばらくその光り輝く画面を見つめていた。


「十二万人、か……」


 異世界では、世界を救うために数十万の兵士や民衆の前に立ったこともあった。

 だが――あの時はいつだって、俺は『勇者』という操り人形の役割を演じていただけだった。


 何者でもない、ただの『天城湊』という男を見に、これだけ多くの人間が自発的に集まってくれたことなんて、十年間で一度もなかったのだ。


 胸の奥が、ほんの少しだけ熱いエネルギーで満たされていくのを感じた。


 そして。

 この時の俺は、まだ知る由もなかった。


 この初配信をきっかけに、天城湊という名前が、日本の探索者業界のすべてを揺るがす超弩級の新星として駆け上がっていくことを。


 そして、翌日の朝。

 実家の前に、テレビ局の取材陣と、大手配信事務所のスカウト、そして強豪探索者クランの勧誘員たちが、大挙して押し寄せ、家を取り囲むことになることを――。


 今の俺は、まだ何一つ知らなかった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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