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第34話 初めて剣を振り下ろした日

 セレナと出会ってから、王城での生活は僅かに変わった。


 訓練の内容が軽くなったわけではない。朝から剣を振り、昼には魔法を学び、夜になれば魔物の弱点や各国の地理を頭へ叩き込まれる日々は続いた。バルガスも相変わらず容赦がなく、俺が一つの型を覚えれば、翌日にはそれを破るための技を突きつけてきた。


 それでも、訓練が終わった後に話せる相手がいるだけで、孤独は随分と薄れた。


 セレナは王国神殿に所属する見習い治癒術師でありながら、すでに高位神官を上回る治癒魔法を使えた。ただし本人は、自分の才能を誇ることを嫌っていた。


『傷を治せるだけよ。傷つく前に守れるわけじゃない』


 彼女はそう言っていた。


 俺からすれば、血を流して苦しむ人を救える力は十分に特別だった。しかしセレナは、治療室へ運ばれてくる兵士を見るたび、自分が戦えないことを悔しそうにしていた。


 俺たちは正反対だったのかもしれない。


 戦う力を与えられた俺は剣を振るうことを恐れ、戦えない彼女は誰かを守るための力を欲しがっていた。


 訓練開始から一か月が経った朝、俺は王城の作戦室へ呼び出された。


 中央の机には周辺地域の地図が広げられ、国王、騎士団長バルガス、神殿の司祭たちが集まっている。セレナの姿もあったが、普段とは違い、白い法衣の上から軽装の胸当てを身につけていた。


『北東にあるラグナ村との連絡が途絶えた』


 国王の指が地図上の小さな印を示す。


『斥候の報告では、魔王軍の小部隊が周辺を徘徊している。勇者には騎士団と共に現地へ向かってもらう』


「実戦に出ろということですか」


『いつまでも城内で訓練を続けるわけにはいかぬ』


 予想していた日ではあった。


 それでも、実際に告げられると喉が乾いた。


 これまで訓練場で相手にしてきたのは、木剣を持った騎士や、拘束された魔物だけだった。だが村を襲う魔物は、こちらの事情など考えず本気で命を奪いに来る。


「俺が行って、本当に役に立つんですか」


『役に立つかどうかを確かめるための任務でもある』


 国王は平然と答えた。


 村人の命が懸かっているにもかかわらず、俺の試験として扱っている。その態度へ反発を覚えたが、だからといって行かないという選択肢を取れば、見捨てられるのは村の人々だった。


『私も同行します』


 セレナが一歩前へ出る。


『負傷者がいる可能性があります。治癒術師は必要です』


『危険だ』


 司祭の一人が止めたものの、彼女は退かなかった。


『だから必要なんです』


 その一言によって、同行は認められた。


 ラグナ村までは馬車で半日ほどだった。


 俺は鎧を身につけ、聖剣を腰へ下げていた。服の下に何枚も布を重ねても、金属の防具は重く、馬車が揺れるたびに肩へ食い込んだ。


 同行する騎士は十人。


 全員が俺より年上で、すでに何度も魔物との戦闘を経験している。彼らは俺を勇者様と呼んだが、その視線には期待よりも不安が混じっていた。


 当然だろう。


 昨日まで剣も握れなかった異世界人へ、自分たちの命を預けろと言われているのだから。


『怖い?』


 向かい側に座るセレナが尋ねた。


「怖くないように見えますか」


『全然』


「セレナは平気なんですか」


『怖いわよ。でも、怖くないふりは得意なの』


 彼女は微笑んだ。


 その手が小さく震えていることに、俺は気づいていた。


 村へ到着した時、すでに日は傾き始めていた。


 入口の柵は破壊され、見張り台から黒い煙が上がっている。道には壊れた荷車や農具が散乱していたが、人の姿は見えなかった。


 騎士たちはすぐに陣形を組み、俺とセレナを中央へ置いて進んだ。


 異様な静けさだった。


 家畜の声も、子供の泣き声も聞こえない。


 広場へ差しかかったところで、井戸の陰から小さな物音がした。


 騎士が剣を向ける。


 現れたのは、泥だらけの少年だった。


『助けて……』


 セレナが駆け寄り、少年を抱き留める。


『皆、教会に逃げた。でも、魔物が追ってきて……』


 その言葉を聞いた直後、村の奥から悲鳴が響いた。


 考えるより早く、俺たちは走り出した。


 教会の前では、十数体のゴブリンと二体のオーガが扉を破壊しようとしていた。周囲には倒れた村人と兵士が散らばり、血の臭いが濃く漂っている。


『勇者様、指示を!』


 騎士の一人が叫ぶ。


 指示など出せるはずがなかった。


 敵の数。


 味方の位置。


 村人の安全。


 何を優先し、どこへ動けばいいのか、頭の中で情報が絡まり合う。


 その間にも、オーガの棍棒が教会の扉へ振り下ろされた。


 木製の扉が砕ける。


 中から子供たちの悲鳴が聞こえた。


 俺の足は、勝手に動いていた。


 身体強化を発動し、騎士たちの間を抜けて走る。オーガがこちらへ気づき、巨大な棍棒を横薙ぎに振るった。


 訓練で学んだ通りに踏み込み、聖剣で受け流す。


 衝撃で両腕が痺れた。


 それでも倒れなかった。


 俺はオーガの懐へ入り、無防備になった脇腹へ剣を振り抜いた。


 刃が肉を裂く。


 骨へぶつかる感触が腕まで伝わった。


「グアアアアッ!」


 叫び声と共に、熱い血が顔へかかった。


 手が止まりそうになった。


 だが、背後には教会がある。


 もう一体のオーガが、壊れた扉の奥へ腕を伸ばしていた。


 俺は剣を引き抜き、地面を蹴った。


 首筋へ聖剣を振り下ろす。


 今度は迷わなかった。


 白銀の刃がオーガの首を断ち、巨大な頭部が地面へ落ちた。


 魔物の体が崩れ落ちる。


 俺は剣を握ったまま、その場から動けなかった。


 殺した。


 自分の意思で。


 自分の手で。


『湊!』


 セレナの声で我に返る。


 残ったゴブリンたちが俺へ殺到していた。


 恐怖は消えていない。


 吐き気も、震えも残っている。


 それでも俺は剣を構えた。


 自分が斬らなければ、後ろにいる誰かが死ぬ。


 その事実だけを胸へ刻み、迫る魔物へ向かって踏み込んだ。


 この日、俺は初めて命を奪った。


 そして同時に、守るために剣を振るうという意味を、初めて知った。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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