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第31話 日本最強の四人

 遠雷にも似た轟音と共に落下した稲妻は、迷宮の亀裂から最初に這い出してきた大型魔物の頭部を一撃で消滅させ、その巨体を地面へ縫い留めるように青白い電流を周囲へ走らせた。


 雷撃は標的だけで終わらない。黒く焦げた魔物の肉体を起点として枝分かれし、後方から地上へ殺到していた無数の異常個体へ次々と飛び移っていく。オーガの分厚い筋肉も、骸骨騎士が纏う甲冑も、赤黒く変質した魔石の防御さえ意味を成さず、触れた個体は内部から焼き切られ、その場へ崩れ落ちていった。


 ただし、周囲にいる探索者や協会職員、さらには地面へ散乱している金属製の機材へ電流が逸れることはない。数百体の魔物だけを識別し、必要な威力を個別に調整しながら攻撃している。膨大な出力とは裏腹に、その制御は針の穴へ糸を通すほど精密だった。


 雷が集束した地点へ、一人の女性が静かに降り立つ。


 年齢は二十代後半ほど。長い黒髪を背中へ流し、白を基調とした細身の戦闘服の上から、金色の刺繍が入った濃紺の外套を羽織っている。右手に握られていたのは剣でも杖でもなく、雷そのものを固めたような細長い槍だった。


 国内S級探索者の中でも、実績と戦闘能力の双方において筆頭と評される女性。


 神楽坂紫苑かぐらざか・しおん


 二つ名は――《雷帝》。


「負傷者の搬送を最優先。A級以下の探索者は防衛線より前へ出ないでください。迷宮の出口は私たちが封鎖します」


 決して大声ではなかったが、その声は雷鳴の残響が続く戦場の隅々まで明瞭に届いた。周囲の探索者たちは命令を聞いた瞬間、安堵したように動き始める。彼女が現れたという事実だけで、崩壊しかけていた指揮系統が立て直されていく様子からも、その立場と信頼の厚さが分かった。


 しかし、魔物の奔流は止まらない。


 最初の集団が雷によって焼き払われた直後、亀裂の奥から三体の巨大なオーガが這い出してきた。どれも通常個体の数倍に及ぶ体格を持ち、全身の筋肉には赤黒い魔力が血管のように浮かび上がっている。三体は神楽坂さんを最大の脅威と判断したらしく、地面を揺らしながら同時に棍棒を振り下ろした。


 その瞬間、彼女の前へ巨大な人影が割り込んだ。


 身長は二メートルを大きく超え、岩山を思わせるほど分厚い肉体を、黒銀色の重装甲が隙間なく覆っている。両腕には建物の壁と見紛うほど巨大な盾が装着されており、男がそれらを正面で組み合わせた瞬間、地面から半透明の城壁が立ち上がった。


 三本の棍棒が城壁へ激突する。


 衝撃によって周囲の土砂が吹き上がり、離れた位置の車両まで浮き上がったものの、半透明の壁には傷一つ生じなかった。攻撃を受け止めた男の足元も沈まず、その巨体は大地へ根を張った城塞のように微動だにしていない。


「焦るな。こっちには怪我人がいるんだ。大きな音を立てるなら、もう少し向こうでやってくれ」


 黒鉄玄武くろがね・げんぶ


 二つ名は《不落城》。


 日本国内で最も強固な防御能力を持ち、過去には大規模なダンジョン氾濫から十万人以上の市民を一人で守り抜いたとされる、S級探索者最年長の男だった。


 黒鉄さんが盾を僅かに押し出すと、三体のオーガは城壁へ激突した時以上の勢いで吹き飛ばされる。その進行方向には、すでに燃え上がるような赤髪の男が待ち構えていた。


「ようやく俺の番かよ。遅えんだよ、デカブツども」


 男は防具らしい防具をほとんど身につけていなかった。上半身には赤い戦闘用ジャケットを羽織り、両腕を覆うのは肘まで届く黒い籠手だけ。しかし、その籠手から噴き上がる炎は通常の火ではなく、周囲の魔力さえ燃料として吸収し、触れるものの再生能力や防御術式まで焼き尽くす特殊なものだった。


 九条烈火くじょう・れっか


 二つ名は《紅蓮鬼》。


 九条は飛ばされてきた一体目のオーガへ真正面から拳を叩き込み、その頭部を炎と共に粉砕した。続く二体目の腕を掴み、巨体を振り回して三体目へ衝突させると、重なった二体の胸部へ蹴りを突き刺す。そこから放たれた紅蓮の炎は魔物の外側を焼くのではなく、体内に埋め込まれた赤黒い核だけを探し当てるように侵入し、二体を内側から同時に爆散させた。


「弱えな。こんなもんに手間取ってた連中が、本当に日本を守ってんのか?」


 周囲への配慮をまるで持たない言葉に、助けられた探索者たちの表情が引きつったものの、九条本人は気にする様子すら見せない。実力のない者には興味がなく、強者と戦うことだけを目的としている。そう説明されなくても、獲物を探すように戦場を見回す目を見れば、その性格は十分に伝わってきた。


 残る一人は、三人とは少し離れた場所に立っていた。


 腰まで伸びた銀色の髪と、雪のように白い肌。青みを帯びた長衣を纏い、細い杖を地面へ突いている女性の周囲だけは、夏の山中とは思えないほど気温が低下し、呼吸をするたび白い息が漏れていた。


 雨宮澪あまみや・みお


 二つ名は《氷界の女王》。


 彼女は亀裂から這い出す魔物たちを見つめながら、戦闘よりも観察を優先しているように見えた。しかし、次の瞬間に杖の先端が僅かに持ち上がると、迷宮の出口から半径百メートルの空間が音もなく凍結した。


 魔物の表面へ氷を張りつかせただけではない。


 空気中の水分、体内を循環する血液、赤黒い核を動かす魔力の流れまで同時に停止させている。地上へ出ようとしていた数十体の魔物は、足を一歩踏み出した姿勢のまま氷像へ変わり、雨宮さんが指を鳴らすと、細かな結晶となって崩れ落ちた。


「魔物の核へ流れ込んでいる魔力は、すべて同一波長。個体ごとの暴走ではなく、外部からの一括干渉ね」


 他の三人が圧倒的な力で魔物を排除する中、彼女だけはすでに現象の原因へ目を向けていた。冷淡に見える表情からは感情を読み取りにくいものの、その視線は絶えず迷宮の亀裂、黒龍の亡骸、そして俺の間を行き来している。


『四人そろった!』


『日本のS級四傑だ!』


『《雷帝》《不落城》《紅蓮鬼》《氷界の女王》!』


『この四人が同じ場所にいるの初めて見た』


『一人で災害級を倒した湊と、日本最強の四人が並んでる……』


『戦力過剰じゃないか?』


 視界の端を流れるコメントがさらに加速する。


 四人は個々の力だけでも他の探索者から隔絶していたが、役割が明確に分かれていることで、集団となった時の完成度はさらに高まっていた。神楽坂さんが雷撃で戦場全体を制御し、黒鉄さんが負傷者と防衛線を守り、雨宮さんが迷宮から供給される魔力を分析しながら敵の動きを封じ、九条が強引な火力で核を破壊する。


 俺が手を出す必要はなかった。


 亀裂から溢れ出していた数百体の暴走魔物は、四人が到着してから数分も経たないうちに大半を討伐され、迷宮の出口そのものも神楽坂さんの雷と雨宮さんの氷によって封鎖されつつある。


 日本がこれまで幾度ものダンジョン災害を乗り越えてきた理由を、初めて理解できた気がした。


 俺が異世界にいる間、この世界の人々もまた、与えられた力と知識を使って戦い続けていたのだ。


「天城湊さんですね」


 魔物の勢いが収まったところで、神楽坂さんが俺の前へ歩いてきた。間近で見る彼女からは、先ほどまで空を覆っていた雷の荒々しさとは反対に、研ぎ澄まされた刃のような静かな圧力が感じられる。


「今回の被害を最小限に抑えられたのは、あなたが龍種を地上へ出た直後に討伐したおかげです。国内S級探索者を代表して、感謝します」


「俺がダンジョンの奥へ行ったことが、崩壊の原因になった可能性もあります」


「原因の究明と、救助への貢献は分けて考えるべきです。少なくとも、あなたがいなければ龍種はすでに市街地へ到達していました」


 神楽坂さんは俺の力を警戒しながらも、事実を公平に判断しているらしい。無条件に信用しているわけではないが、配信によって残された記録を否定するつもりもないのだろう。


「私は雨宮澪」


 続いて近づいてきた雨宮さんは、挨拶を最低限で済ませると、俺ではなく腰の《黒天》へ視線を落とした。


「先ほどの龍種を両断した斬撃は、魔力による身体強化だけでは説明できない。攻撃の直前、龍種の防御術式と再生経路が同時に消失していた。異世界では、魔法そのものを剣で破壊する技術が一般的なの?」


「一般的ではありません。俺も身につけるまで何年もかかりました」


「そう」


 雨宮さんは短く答えたものの、瞳の奥には強い探究心が浮かんでいる。俺を英雄として見るのではなく、既存の探索者体系に存在しない技術を持つ研究対象として捉えているようだった。


 一方、黒鉄さんは俺の肩へ大きな手を置き、豪快ながらも穏やかな笑みを浮かべた。


「よく生きて帰ったな。それに、あの二人を連れて崩壊中の迷宮から抜け出したそうじゃないか。強さは敵を倒した数だけで決まるもんじゃない。守るべき人間を無事に連れ帰れる奴は、それだけで立派だ」


「ありがとうございます」


「ただ、少し頑張りすぎる癖があるようだな。若い頃の神楽坂にも似た奴がいたが、自分一人で全部やろうとすると、いつか守られる側が泣くことになるぞ」


 黒鉄さんの視線が俺の後方へ向けられる。そこには朱音とユナが立っており、二人とも俺が無事であることを確認して安堵しながらも、どこか言いたいことを飲み込んでいるような表情をしていた。


 その言葉へ返答するより早く、最後の一人が俺たちの間へ割り込んだ。


「ずいぶん持ち上げられてんな、勇者様」


 九条烈火。


 その声には、明確な敵意が含まれていた。


「配信は見た。あの龍を倒したことも、迷宮の中でよく分からねえ騎士と戦ったことも事実なんだろう。だが、それでお前が俺たちと同じ立場になったとは思うなよ」


「同じ立場になったつもりはありません。俺はまだF級ですから」


「そういう話じゃねえ」


 九条の両腕から、再び紅蓮の炎が噴き上がる。


 周囲の探索者たちが緊張して身構えたものの、神楽坂さんも黒鉄さんも止めようとはしなかった。九条が今すぐ俺へ攻撃するつもりではなく、威圧によって反応を確かめていると分かっているのだろう。


「出自不明。能力不明。ついこの前まで無職だった奴が、突然災害級を斬った。しかも、異世界の勇者だなんて話までしやがる。世間は英雄が現れたと騒いでいるが、俺から見れば、お前自身がいつ災害になるか分からねえ怪物だ」


 九条の言葉は、単なる嫉妬や負け惜しみではなかった。


 俺が人間を守ろうとしていることを知っているのは、配信で映された一部の行動を見た者だけだ。異世界で何を経験し、なぜ魔王を倒し、どのような方法で日本へ帰還したのか。この世界の人間は何も知らない。


 もし俺が嘘をついていたら。


 もし俺が魔王を倒した勇者ではなく、魔王そのものだったら。


 現在の探索者たちにとって、俺の力が脅威に見えるのは当然だった。


「九条さんの疑いは正しいと思います」


「あ?」


「俺自身、この世界のダンジョンに異世界の記憶が流れ込んでいる理由を知りません。俺が帰還したことと関係している可能性も否定できない。だから、警戒されるのは仕方ありません」


 俺が正面から認めると、九条は僅かに眉を寄せた。反発か挑発を返されると思っていたらしく、素直に受け入れられたことが気に入らないようだった。


「ただし」


 俺は燃え上がる籠手へ視線を向けた。


「俺を試すために戦いたいなら、今はやめてください。負傷者が大勢いますし、迷宮も完全には閉じていません」


「……俺が負ける前提みてえに言うじゃねえか」


「勝ち負けの前に、今戦う理由がありません」


 九条の炎が一段階強く燃え上がったが、神楽坂さんが横から肩へ手を置くと、激しく揺れていた火は渋々という様子で小さくなっていった。


「烈火。あなたが警戒していることは全員理解しています。ただし、今ここで天城さんへ勝負を挑むなら、先に私があなたを拘束します」


「冗談だよ」


「あなたの冗談は、過去に山を三つ燃やしています」


 九条は舌打ちしながら俺から離れたが、その瞳から敵意が消えたわけではない。むしろ、いつか必ず実力を確かめると宣言するように、最後まで鋭い視線を向け続けていた。


 やがて、迷宮の亀裂は神楽坂さんたち四人の力によって完全に封鎖された。


 ただし消滅したわけではない。赤黒い光を失った巨大な裂け目は、地面へ刻まれた傷跡のように残り、その奥では今も僅かな魔力が脈打っている。今後再び開く可能性を考慮し、周辺一帯は探索者協会と政府による最重要監視区域に指定されることになった。


 多摩第五ダンジョン崩壊。


 現代へ出現した災害級黒龍。


 人間の言葉を理解し、俺を勇者と呼んだ魔物たち。


 異世界の騎士の記憶を持つ鐘楼の主。


 この日を境に、ダンジョンが単なる資源と魔物の生息地であるという常識は、大きく揺らぎ始めることになる。


 その日の夜。


 俺は探索者協会本部の地下にある、窓のない会議室へ呼ばれていた。


 長い机の向こうには神楽坂さんを中心として、九条、雨宮、黒鉄の国内S級探索者四人が座り、黒瀬さんをはじめとする協会と政府の関係者たちが周囲を囲んでいる。朱音とユナも、多摩第五ダンジョン内部を直接目撃した関係者として同席していた。


 机の中央に置かれた映像端末では、鐘楼の主が俺を勇者と呼んだ場面と、黒龍が死の直前に同じ言葉を発した瞬間が繰り返し再生されている。


「天城さん」


 神楽坂さんが、静かな声で口を開いた。


「私たちは今日まで、あなたが異世界から帰還したという話を、完全に事実として扱うことができませんでした。しかし、今回の迷宮内で確認された言語、剣術、魔物の証言を含め、無視できない証拠が増えています」


 俺は黙ったまま、彼女の言葉を待った。


「魔王を倒した瞬間だけではありません。あなたがどのように異世界へ渡り、何を見て、誰と出会い、どのような敵と戦ったのか。すべてを、最初から話していただけませんか」


 その問いを聞いた瞬間、胸の奥に閉じ込めていた十年間の記憶が、古い扉の向こうから一斉に押し寄せてきた。


 初めて人を殺した日のこと。


 何も知らない俺へ聖剣を押しつけた王国。


 帰りたいと泣いた夜。


 守れなかった村。


 共に旅をした仲間たち。


 黒狼将ガレスとの戦い。


 そして、魔王城で迎えた最後の日。


 異世界での出来事を両親へさえ詳しく話せなかったのは、信じてもらえないと思っていたからだけではない。言葉にした瞬間、必死に心の奥へ沈めていた死者たちの顔と、置き去りにした仲間たちの声が、再び鮮明に蘇ることを恐れていた。


 それでも、現代のダンジョンへ異世界の記憶が流れ込み始めている。


 過去から逃げ続けたままでは、これから現れる敵の正体を知ることも、この世界を守ることもできない。


「分かりました」


 俺は机の上で両手を組み、ゆっくりと息を吐いた。


「ただ、少し長い話になります」


「構いません」


 会議室の全員が俺へ視線を向ける。


 俺は目を閉じると、十年前の記憶を辿った。


「始まりは、俺が十六歳だった日の放課後です」


 まだ剣の握り方さえ知らず。


 魔物も魔法も、物語の中にしか存在しないと思っていた頃。


「その日、俺は学校から帰る途中で、突然足元に現れた光へ呑み込まれました」


 そして俺は、誰にも語ることのできなかった勇者の過去を、初めて話し始めた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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