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第30話 災害級黒龍、最後の進化

 災害級黒龍の全身を覆っていた黒紫色の鱗が、心臓の鼓動に合わせて赤黒く明滅し始めた。肩口から噴き出していた血は瞬く間に蒸発し、傷口の周囲から新たな鱗が幾重にも重なりながら形成されていく。ただ傷を塞いでいるだけではなく、先ほど《黒天》によって斬り裂かれた経験を反映し、刃を滑らせるための傾斜と、衝撃を分散させる内部構造を同時に獲得しているようだった。


 さらに背中の翼は大きく裂け、そこからもう一対の小さな翼が生え始めている。前脚の爪は剣のように細長く変形し、喉元から腹部へ続く鱗の隙間には、複数の魔法陣が血管のように浮かび上がっていた。


 黒龍は戦闘によって成長しているのではない。


 俺を殺すためだけに、自分という生物の形を捨て始めていた。


『形が変わってる……』


『龍種って戦闘中に進化するのか?』


『協会のデータにこんな能力ないぞ』


『天城に勝つために、無理やり体を作り変えてる』


『早く倒さないと何になるか分からない!』


 配信画面の端では警告が何度も更新され、危険度を示す数値は測定不能のまま固定されていた。周囲に展開していた探索者たちは俺たちの戦闘へ巻き込まれないよう後退し、防衛線のさらに後方では、黒瀬さんや協会職員が避難誘導を続けている。


 俺の背後には朱音とユナがいる。


 だからこそ、黒龍の最後の進化を観察するために時間を与えるつもりはなかった。


 俺が地面を蹴った瞬間、黒龍は先ほどまでとは明らかに異なる反応を見せた。赤い瞳が俺の踏み込みを捉えるより早く、四枚へ増えた翼を同時に振るい、巨体を上空へ跳ね上げたのである。


 数十メートルもの肉体が風圧だけで木々を根元から引き抜き、黒龍は一度の羽ばたきによって雲の高さまで上昇した。地上では力も速度も俺へ及ばないと判断し、空中から一方的に攻撃する戦術へ切り替えたらしい。


「グオオオオオオオオッ!」


 咆哮と共に、黒龍の周囲へ無数の魔法陣が展開された。


 炎、氷、雷、風。


 先ほど探索者たちから受けた魔法を分析し、自らの属性として再構成したのだろう。色も性質も異なる攻撃が上空を埋め尽くし、そのすべてが地上に立つ俺へ照準を合わせている。


 同時に黒龍の体表から剥がれ落ちた数千枚の鱗が、魔力を帯びた刃へ変化して空中へ浮遊した。それらは単純に降り注ぐのではなく、俺の動きを予測しながら包囲網を形成し、逃げ道を少しずつ狭めていく。


 黒龍は理解している。


 一種類の攻撃では、俺には届かない。


 同じ軌道を繰り返せば、術式ごと斬られる。


 ならば性質も速度も異なる攻撃を絶え間なく重ね、対処できる限界を超えればいい。


 理屈としては正しかった。


 だが、俺が異世界の戦場で相手にしてきた敵の中には、同時に数千の魔法を操る大賢者も、未来を予測して剣を振るう魔将もいた。


 それらを乗り越えるために磨き上げた剣技は、強大な一撃を放つためのものだけではない。


 敵の魔力を読み、術式の起点を見抜き、必要なものだけを斬る。


 剣技・静界によって周囲の時間が引き延ばされたように感じられるほど意識を研ぎ澄ませると、空を埋める無数の攻撃は、一つ一つ独立した脅威ではなく、黒龍の心臓核から伸びる魔力の流れとして見えるようになった。


 炎を維持する線。


 雷を誘導する線。


 氷を形成する線。


 鱗の刃を制御する線。


 それぞれは複雑に絡まり合っているものの、元を辿ればすべて一つの生命へ繋がっている。


「随分、器用になりましたね」


 俺が《黒天》を横へ振るうと、青白い斬撃の環が地上から空へ向かって広がった。


 剣技・月輪。


 本来は多数の敵を一度に斬るための技だが、威力と軌道を制御すれば、広範囲に散らばる魔力の接続だけを断つこともできる。空を覆っていた魔法陣へ斬撃が触れた瞬間、炎も雷も氷も制御を失い、互いに衝突しながら連鎖的に崩壊していった。


 爆発と閃光が雲を吹き飛ばし、黒龍の周囲に生まれていた魔法の包囲網が一瞬にして消滅する。


 それでも鱗の刃だけは止まらなかった。


 黒龍は魔力による遠隔操作を切断されることまで予測し、一枚一枚へ独立した命令を刻んでいたらしい。数千の刃は軌道を変えることなく降下し、地上の俺だけではなく、周囲の探索者や避難施設へも狙いを広げていく。


『範囲が広がった!』


『湊以外も狙ってるぞ!』


『全部防げるのか!?』


 俺は《黒天》を握り直し、地面へ切っ先を向けた。


 無数の対象を同時に斬る剣技・万象断ちを、今度は攻撃ではなく迎撃へ転用する。視界に入るすべての刃を認識し、守るべき人間と建造物を除外しながら、数千の軌道へ一斉に剣閃を重ねていく。


 俺が一度だけ《黒天》を振り上げた直後、地上から空へ無数の青白い光が走った。


 降り注いでいた鱗の刃は、地表へ届くより遥か手前で一つ残らず両断され、黒い粉塵となって空へ散っていく。一本の剣が数千の攻撃を迎撃したとは思えないほど、周囲には一切の破壊が残らなかった。


 黒龍は再び驚愕の表情を浮かべたものの、攻撃を止めることはなかった。


 喉元から腹部へ浮かび上がった魔法陣が一斉に回転し、龍の体内へ存在する膨大な魔力を一点へ集め始める。心臓核の出力を限界以上へ引き上げているため、鱗の隙間から血と炎が同時に噴き出し、巨体の一部が内側から崩壊し始めていた。


 自分の命と引き換えに、俺を含めた周辺一帯を消滅させるつもりだ。


「グオオオオオオオオオオオオオッ!」


 黒龍が口を開く。


 その内部に生まれたのは炎ではなかった。


 光も熱も吸収する、完全な暗黒。


 魔力を圧縮しすぎたことで空間そのものを崩壊させ、触れた物質を別の場所へ吹き飛ばすのではなく、存在ごと削り取る力へ変換している。


 異世界でも、ここまで無謀な攻撃を選ぶ龍はほとんどいなかった。


 知性を持つからこそ、自分が生き残れないことを理解しているはずだ。それでも黒龍は、俺へ勝つ可能性が残された唯一の方法として、自爆に近い一撃を選んだ。


『逃げろ!』


『あれは受けちゃ駄目だ!』


『周辺の魔力が全部吸われてる!』


『避難完了まで、まだ五分以上あるぞ!』


『湊、頼む!』


 コメント欄に流れる言葉を見ながら、俺は黒龍の真下まで歩みを進めた。


 避ければ、地上が消える。


 受け止めるだけでは、圧縮された力が別の方向へ流れて周囲を巻き込む。


 ならば、攻撃が完成するより先に斬るしかない。


 しかし黒龍もそれを理解していた。


 空中で四枚の翼を複雑に動かし、俺との間に何重もの魔力障壁を展開する。炎への耐性、斬撃への耐性、空間干渉への耐性。これまでの戦いで得た情報をすべて使い、俺が接近するまでの時間を僅かでも稼ごうとしている。


 俺は《黒天》を胸元へ引き寄せ、切っ先を空へ向けた。


 目の前に壁が何枚あろうと関係ない。


 剣技・穿界は、敵を斬るためではなく、隔てるものすべてを一本の線で貫くために編み出した技だ。


 足元へ魔力を集中させ、地面が沈むほど強く踏み込む。


 次の瞬間、俺の体は青白い光の軌跡となって空へ昇った。


 一枚目の障壁を貫き。


 二枚目を砕き。


 三枚目の術式を中心から割り。


 黒龍が追加で展開した無数の防壁さえ、《黒天》の切っ先へ触れた瞬間に左右へ押し広げられていく。


「グルァッ!?」


 黒龍の瞳に恐怖が浮かんだ。


 俺の接近を止められないと理解した瞬間、喉元へ集めていた暗黒を未完成のまま放とうとする。しかし、すでに遅かった。


 黒龍の目の前へ到達した俺は、構えを刺突から斬撃へ切り替え、《黒天》を大きく振り上げた。


 剣技・破呪によって暗黒を構成する術式を断ち切り、そのまま剣技・天断へ繋げる。


 青白い一閃が、空を縦に割った。


 黒龍の口内に集められていた暗黒は発射されることなく二つに分かれ、行き場を失った魔力は光の雨となって空へ散っていく。さらに斬撃は黒龍の角、頭部、胸部へ埋め込まれた心臓核まで一直線に走り、強化された鱗も、適応によって獲得した防御も、一切の抵抗を許さず両断した。


 黒龍の動きが止まる。


 四枚の翼から力が抜け、巨大な肉体が空中で傾いた。


 それでも龍は死の直前まで俺を見つめ続けていた。


 赤い瞳に浮かんでいたのは、憎悪ではない。


 自分がどれほど変化しても、どれほど試行錯誤しても、最後まで届かなかった存在への理解と、畏怖だった。


「グル……ユウ、シャ……」


 掠れた声が、確かに人の言葉を作った。


 黒龍もまた、最後には俺を勇者と認識したらしい。


「どうして、その言葉を知っているんですか」


 問いに答える力は残っていなかった。


 黒龍の心臓核が砕け、赤黒く輝いていた全身から光が失われる。俺は落下する巨体の下へ回り込み、地上の探索者たちを巻き込まないよう尾を掴むと、そのまま山林の開けた場所へ軌道を変えた。


 数十メートルを超える黒龍の亡骸が地面へ落下し、山全体を揺らす地響きと共に、巨大な土煙が空へ立ち上った。


 俺は《黒天》を鞘へ戻し、龍の頭部へ着地した。


 周囲には、しばらく誰一人として声を上げる者がいなかった。


 やがて配信画面へ、遅れて現実を理解した視聴者たちのコメントが雪崩れ込んでくる。


『倒した』


『本当に一人で災害級の龍を倒したぞ』


『世界が滅びる映像だと思ってたのに』


『最後に龍が勇者って言った?』


『天城湊、強すぎる』


『これが魔王を倒した人間……』


『登録者、五百万人突破!』


 歓声のような文字を眺め、俺はようやく息を吐いた。


 鐘楼の主との戦闘から続いていた長い戦いが終わり、黒龍も倒した。あとはダンジョン崩壊によって残された魔物を処理し、被害状況を確認すればいい。


 そう思った直後だった。


 黒龍が這い出した巨大な亀裂の奥から、複数の咆哮が重なって聞こえてきた。


 地面へ手をつき、意識を研ぎ澄ませる。


 一体ではない。


 十体でもない。


 崩壊する迷宮内部から、数百を超える魔物たちが地上へ向かって移動している。中にはA級、S級に相当する強大な反応も複数混じり、そのすべての核が赤黒く染まり、まともな意思を失っていた。


「まだ終わっていない……」


 黒龍の亡骸から飛び降り、《黒天》へ再び手を掛ける。


 亀裂の縁から、巨大な腕が姿を現した。


 続いて何本もの角。


 赤い瞳。


 暴走した魔物たちが、黒龍の後を追うように地上へ這い出そうとしている。


 だが俺が剣を抜くより先に、遠くの空から一筋の雷光が落ちた。


 轟音と共に亀裂の入口が吹き飛び、最初に姿を見せた大型魔物の頭部が消滅する。


 上空を見上げると、雲の中から一人の人影がゆっくりと降下していた。


 その身から放たれる魔力は、これまで周囲にいた探索者たちとは明らかに格が違う。


 日本国内に存在する、数少ないS級探索者。


 その一人が、ようやく戦場へ到着した。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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