第29話 災害級黒龍、勇者を殺すために進化する
黒龍が後退したことで、戦場を覆っていた空気は一瞬だけ奇妙な静けさに包まれた。
体長だけで数十メートルを超え、現代最高峰の探索者たちによる集中攻撃さえ無傷で耐え抜いた災害級の龍種が、たった一人の人間を前にして警戒を示している。周囲に展開していた探索者たちは武器を構えたまま動きを止め、配信のコメント欄にも驚愕の言葉が濁流のように流れ続けていた。
『龍が怯えてる?』
『天城がまだ何もしてないのに下がったぞ』
『生物としての本能で勝てないって理解したのか』
『いや、さすがに災害級だぞ』
『湊、相手はさっきまで攻撃を学習してた。油断するな!』
黒龍は低く喉を鳴らしながら、俺の全身を慎重に観察していた。その赤い瞳は、単純な怒りに支配された獣のものではない。俺の足運び、剣を構える角度、呼吸の間隔、《黒天》へ流している魔力の量まで読み取ろうとする、戦士に近い知性が宿っている。
先ほどまで探索者たちの攻撃へ即座に適応していたことを考えれば、この龍は戦闘中に相手の能力を分析し、自らの肉体と魔力を変化させる性質を持っているのだろう。
力任せに戦えば、攻撃を重ねるほど敵を強くしてしまう。
「厄介な能力ですね」
俺が呟いた直後、黒龍の喉元が大きく膨らんだ。
紫黒色の炎が口腔へ収束し、周囲の大気と魔力を貪るように吸い込んでいく。先ほど探索者部隊へ放った炎とは密度がまるで違い、吐き出される前から地面が乾燥し、俺と龍の間に生えていた木々が発火することもなく灰へ変わっていった。
俺の防御力を確かめるための一撃。
そう判断した瞬間、黒龍が顎を開いた。
放たれた炎は巨大な柱となって地表を薙ぎ払い、俺の姿を中心として周囲数百メートルを黒紫色の閃光で呑み込んだ。あまりの熱量に空気が爆発し、遅れて発生した衝撃波が防衛線の車両や簡易施設を次々と吹き飛ばしていく。
「防御結界を維持しろ!」
「前衛は伏せろ!」
「天城さんは!?」
探索者たちの叫び声さえ、轟音の中へ消えていく。
黒龍は炎を止めなかった。地中深くまで焼き尽くすつもりなのか、さらに魔力を注ぎ込み、吐息の威力を段階的に上昇させている。俺が避ければ、その後方にいる朱音やユナ、負傷者たちが巻き込まれると理解した上での攻撃だった。
戦闘中に周囲の人間まで利用する。
知性は想像以上に高い。
だからこそ、俺も正面から受け止める必要があった。
黒紫色の炎の中心で《黒天》を垂直に構え、刀身へ魔力を薄く纏わせる。炎全体を力任せに斬れば、左右へ分かれた熱が防衛線を焼き払ってしまう。必要なのは、相手の魔力へ干渉し、構成されている術式そのものを崩すことだった。
「剣技――破呪」
振り下ろした刃が、炎の中心を走る魔力の核へ触れた。
次の瞬間、数百メートルを覆っていた黒紫色の炎が、最初から存在しなかったように消失した。
熱も。
光も。
周囲を押し潰していた圧力も。
術式を維持していた一点を斬り裂かれたことで、形を保てなくなった魔力が風へ溶け、細かな光の粒となって空へ昇っていく。
『消した!?』
『ブレスを斬ったんじゃなくて消したぞ』
『何をどう斬れば炎が消えるんだよ』
『龍の顔見ろ!』
黒龍の瞳が大きく見開かれていた。
自分の最大級の攻撃を受け止められる可能性は考えていたのだろう。しかし、それを正面から無効化されることまでは想定していなかったらしい。
「次は俺から行きます」
地面を蹴る。
爆発的な踏み込みによって足元が陥没し、視界の景色が一瞬で後方へ流れた。黒龍は俺の接近を認識すると、巨大な前脚を横薙ぎに振り払う。その一撃は単なる爪撃ではなく、腕の周囲へ空間を歪める魔力を纏わせ、回避先までまとめて抉り取る攻撃だった。
俺は走る速度を落とさず、迫る爪へ《黒天》を合わせる。
漆黒の刃と黒紫色の爪が衝突し、空気が爆ぜた。
黒龍の巨体が僅かに傾く。
俺の足元も深く沈んだが、腕へ伝わった衝撃は鐘楼の主の大剣より軽い。相手は純粋な力では押し切れないと即座に判断したのか、爪を引くと同時に尾を背後から振り抜いてきた。
建物を一撃で粉砕するほど太い尾が、風を引き裂きながら迫る。
俺は《黒天》を鞘へ戻し、空いた左手で尾を受け止めた。
掌へ鱗が触れた瞬間、地面へ放射状の亀裂が走った。それでも俺の体は一歩も動かず、黒龍の尾だけが空中で完全に停止する。
「グル……?」
困惑する黒龍の尾を掴み、そのまま腰を捻った。
数千トンはあるであろう巨体が地面から浮き上がり、俺を中心として大きく円を描く。翼を広げて姿勢を立て直そうとするより早く、俺は全身の力を使って黒龍を地面へ叩きつけた。
山林全体が跳ね上がった。
衝撃によって土砂が巨大な壁となって吹き上がり、離れた場所にいた探索者たちの足元まで激しく揺れる。地面へ背中から叩きつけられた黒龍は、巨大な陥没の中心で一瞬だけ動きを止めた。
『龍を投げたぞ!?』
『体格差どうなってんだよ!』
『地震速報出たんだけど』
『天城湊が原因の地震とかいう意味不明な状況』
『これが異世界の勇者……』
黒龍は即座に翼を地面へ叩きつけ、土砂を吹き飛ばしながら立ち上がった。背中の鱗は何枚か砕けているものの、骨や内臓へ致命的な損傷はない。異常な耐久力だけでなく、攻撃を受けた直後から損傷した部分の鱗が別の形へ再生し始めていた。
先ほどより厚く。
さらに魔力を通しにくい構造へと。
俺に叩きつけられた経験を元に、衝撃を全身へ分散させるよう肉体を変化させている。
「やっぱり、学習している」
その声が聞こえたわけではないはずだが、黒龍は俺の推測を肯定するように翼を広げた。
今度は飛び上がるためではない。
翼の表面に刻まれた魔力の線が一斉に輝き、無数の黒い刃が空中へ形成される。炎が効かず、接近戦でも力負けするならば、遠距離から物量で押し潰すつもりらしい。
数千にも及ぶ魔力の刃が上空を覆い、太陽の光を遮った。
さらに黒龍は口元へ再び炎を集めながら、前脚を地面へ突き立てる。地中を通して広範囲へ魔力を流し、足元からも黒い杭を生み出していた。
空から刃。
地面から杭。
正面から龍炎。
回避方向をすべて塞ぎ、異なる性質の攻撃を同時に浴びせる。
先ほどまで別々の探索者が使用していた戦術を組み合わせ、俺一人を殺すための形へ改良したのだろう。
『三方向から来るぞ!』
『避ける場所がない!』
『あの龍、湊の動きを封じようとしてる』
『戦いながら成長してないか?』
『早く倒さないと、どんどん強くなるぞ!』
コメント欄の指摘は正しい。
戦闘が長引くほど、黒龍は俺の能力を分析し、対抗策を増やしていく。
だが。
それは、俺が今までの力しか持っていない場合の話だった。
「グオオオオオオオッ!」
黒龍の咆哮と共に、空を埋め尽くした魔力刃が一斉に降り注いだ。
同時に足元から数百本の杭が噴き出し、正面からは地表を焼き尽くす龍炎が迫る。
俺は《黒天》を構えたまま、静かに目を閉じた。
敵の位置。
攻撃の速度。
魔力の流れ。
防衛線にいる人間たち。
地形。
風向き。
そのすべてを一つの景色として認識し、刃を振るうべき軌道だけを選び取る。
「――万象断ち」
俺を中心として、無数の青白い剣閃が咲いた。
一振りだった。
しかし、見る者の目には数千、数万回の斬撃が同時に放たれたように映っただろう。
空から降る魔力刃は一つ残らず中央から断たれ、地面から伸びた杭も根元から粉砕され、正面から迫っていた龍炎は細かな光の粒へ分解されていく。斬撃は周囲の探索者や建造物を正確に避け、黒龍が生み出した攻撃だけを選別して消し去った。
そして最後の一本が、黒龍の右肩を浅く通過した。
厚く変化していた鱗が、抵抗の痕跡すら残さず切断される。
遅れて鮮血が噴き出した。
「ギャアアアアアアアッ!」
黒龍が初めて苦痛に満ちた叫びを上げた。
攻撃へ適応した。
衝撃にも適応した。
魔力への耐性も高めた。
それでも俺の剣は、そのすべてを上回った。
黒龍は傷口を押さえながら後退し、赤い瞳へ明確な驚愕を浮かべている。自分が変化し続ければ、いつか俺へ届くと考えていたのだろう。
だが、理解し始めたはずだ。
自分が一つ対策を生み出す間にも、俺にはそれを越える手段がいくつも存在する。
「まだ続けますか?」
問いかけに対し、黒龍は返事の代わりに翼を大きく広げた。
逃げるためではない。
全身の鱗を赤黒く発光させ、心臓核から溢れた魔力を限界まで循環させている。肉体が耐えられるかどうかすら考えず、持てる能力のすべてを次の一撃へ注ぎ込むつもりらしい。
学習でも、適応でもない。
生存本能が選んだ最後の賭け。
災害級黒龍は、自分より遥かに小さな人間を前にして、ついに命を懸けることを決めた。
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