第23話 言葉を持った魔物と、鐘の向こうの支配者
骸骨の騎士が発したアステリオン共通語は、発音も語順も、俺が異世界で十年間使い続けていたものと完全に一致していた。似た音を偶然並べたわけでも、俺の記憶を読み取って即席で作った言葉でもない。
剣を握る骨の指には長い戦いによって刻まれた細かな傷が残り、その背後に集まる魔物たちも、俺を誘い込んだコボルトとは異なり、明確な恐怖と警戒を抱えながらこちらの反応を待っている。
異世界にいた頃の俺なら、魔物の集団を前にして会話を試みるより先に剣を構えていただろう。魔王軍の兵士たちは人間を家畜としか考えず、降伏を装って背後から襲うような卑劣な罠も何度となく経験した。
しかし、ここはアステリオンではない。姿や名前が同じでも、この世界の魔物たちは生態も能力も異なっていた。ならば、人間と意思疎通を図ろうとする個体が存在していても不思議ではない。
「話を聞きます。ただし、二人へ少しでも危害を加えた瞬間、全員斬ります」
『承知している。今の我らに、勇者と争う力は残されていない』
骸骨の騎士は折れた剣から手を離し、敵意がないことを示すように両腕を広げた。その胸部には淡い青色の結晶が埋め込まれており、周囲の魔物たちにも形こそ違うものの、同じ色の小さな核が存在している。通常の魔石とは異なり、迷宮から供給される魔力を受け取る器官に近いらしい。
『我らは、この迷宮で生まれた。初めから言葉を持っていたわけではない。鐘が鳴り始めた夜、頭の中へ知らぬ記憶が流れ込み、人の言葉と、遠い世界の光景を知った』
「遠い世界?」
『青い月。石の城。黒い旗を掲げた軍勢。そして、光の剣を持つ勇者』
骸骨の騎士の眼窩に宿る青い炎が、真っ直ぐ俺へ向けられる。彼らが見たという光景は、間違いなくアステリオンの記憶だった。しかし、誰の記憶なのかまでは分からない。魔王軍の兵士か、俺と共に戦った人間か、それとも戦場そのものに残った残留思念なのか。
断片だけを与えられた魔物たちは、その中にいた勇者と俺の魂が同じだと判断したのだろう。
『記憶を得た者の多くは狂った。自らを魔王軍の兵士だと思い込み、人間を殺そうとする者。勇者への恐怖だけを植えつけられ、姿を見ただけで逃げる者。そして、鐘の主へ従うことを拒んだ者は、核を黒く染められ、別の魔物へ作り変えられた』
背後にいた灰色の肌の魔族が、震える手で腹部を押さえた。衣服の隙間から覗く青い核の縁には、赤黒い筋が僅かに伸び始めている。未登録ダンジョンで確認した番人や、渋谷第三ダンジョンに出現した災害級魔物と同じ色だった。
迷宮のランクが突然上昇した原因は、外部から強力な魔物が侵入したからではない。内部に生息する魔物たちを、何者かが意図的に作り変えている可能性が高い。
「鐘の主は、どこにいる?」
『さらに下だ。姿は見たことがない。我らへ命令を送る時も、鐘と声だけだった。勇者を奥へ連れてこい。拒めば、すべての核を黒く染めると』
「それで、俺を連れてきたんですね」
『違う』
骸骨の騎士は膝をついたまま、強く首を横へ振った。
『我らは、勇者なら鐘を止められると考えた。主へ差し出すためではない。これ以上、我らが自分ではない何かへ変えられる前に――』
言葉が終わる直前、階段の奥で重い鐘の音が鳴った。
その一音だけで、魔物たちの胸に埋め込まれた核が一斉に赤く明滅し、苦痛に満ちた呻きが空間を埋め尽くした。骸骨の騎士の腕が本人の意思に反して剣へ伸び、灰色の魔族は杖を俺たちへ向けようと必死に抵抗している。鐘の主は、会話を続けることを許すつもりがないらしい。
「湊、核の中へ外部から魔力が流れ込んでる。このままだと全員、さっきの異常個体みたいになるわ」
朱音の計測器には、階段の下から伸びる赤黒い魔力の線が表示されていた。俺は《黒天》へ手を掛けたものの、目の前の魔物たちを斬るつもりはなかった。問題は彼らではなく、核を通して命令を送り込んでいる経路そのものだ。
意識を研ぎ澄ませると、赤黒い魔力は無数の細い糸となって空間の奥へ続いていた。通常の目では捉えられないほど微細ではあるが、魔王の呪いを何度も斬り裂いてきた俺にとって、形さえ把握できれば断つことは難しくない。
「動かないでください。今から、命令だけを斬ります」
俺は《黒天》を抜き、刃へ魔力を薄く纏わせた。強く斬れば核ごと破壊してしまうため、必要なのは威力ではなく精度だった。二十を超える魔物の体内から伸びる魔力の糸だけを見定め、横薙ぎに一度、剣を振るう。
青白い剣閃が彼らの体を傷つけることなく通り過ぎ、赤黒い糸だけを一斉に断ち切った。
鐘の音が途中で歪み、階段の奥から初めて明確な怒気が伝わってくる。
『――勇者』
低く濁った声と共に、探索者端末の危険度表示が再び書き換えられた。
『多摩第五ダンジョン、暫定危険度A級からS級へ変更』
俺は苦痛から解放され、床へ崩れ落ちる魔物たちを背後へ庇いながら、階段の深部を見据えた。
どうやら鐘の主は、俺が想定どおりに従わなかったことで、迷宮そのものを次の段階へ引き上げたらしい。
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