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第22話 地図にない階段と、言葉を覚えた魔物たち

 地図には存在しない下り階段の先から響く鐘の音は、耳へ届くたびに迷宮内部の魔力を僅かに揺らし、まるで俺の存在を確かめるように一定の間隔で鳴り続けていた。

 異世界アステリオンで使われていた古い魔族語を話すコボルトたちは、依然として床へ片膝をついたまま頭を垂れ、武器を手放した姿勢を崩そうとしない。敵意がないことを示しているのは明らかだったが、彼らが本当に俺を待っていたのか、それとも迷宮を変質させた何者かに操られているのかは判断できなかった。


 俺は《黒天》を構えたまま、先頭のコボルトへ視線を向けた。粗雑な獣皮を纏う通常個体とは異なり、その体には魔力を含んだ黒い甲冑が装着され、胸部には見覚えのない銀色の紋章が刻まれている。未登録ダンジョンで見つけた終焉教団に似た意匠ではなく、欠けた月を一本の槍が支えているような紋章だった。


「お前たちは、誰に俺のことを教えられた?」


「オシエ……ラレテ、ナイ」


 コボルトは人間の言葉を一音ずつ探るように答えた。その発音は不明瞭だったが、言葉の意味そのものは理解しているらしく、俺の問いに対する返答として成立している。


「では、なぜ俺を勇者と呼ぶ?」


「ニオイ。タマシイ。ユウシャ、オナジ」


 匂いという言葉だけなら、魔力や血の気配を指しているとも考えられる。しかし魂まで同じだと言い切ったことには、見過ごせない意味があった。

 この世界の魔物が俺の姿や剣技を見て勇者と判断したのではなく、俺自身に残る何かを感知しているのなら、異世界で得た力の一部が今も俺の魂へ刻まれている可能性が高い。


「湊、そのコボルトたち、本当に会話しているの?」


 背後から届いたユナの声には、探索者として未知の現象へ向き合う緊張が滲んでいた。配信者として数多くの魔物を見てきた彼女でも、人間の問いへ答える個体に遭遇した経験はないのだろう。朱音も《黒天》と周囲の魔力を計測しながら、普段より険しい表情で数値を確認している。


「少なくとも、こちらの言葉を理解しています。ただ、誰かに命令されている可能性は捨てられません」


「だったら、あの階段を下りるの?」


「俺だけを奥へ誘導したいなら、二人はここで待たせるべきでしょう。ただし、今の迷宮で離れる方が危険です」


 階段の先が罠である可能性は高い。それでも入口が完全に封鎖され、外部との通常通信も切断されている以上、立ち止まっていても状況は好転しない。何より、配信回線だけが残されているという不自然さを考えれば、迷宮へ干渉している存在は、俺が奥へ進む様子を外の人間へ見せようとしている。


 俺たちが階段へ近づくと、十二体のコボルトは一斉に立ち上がり、先頭の個体を残して通路の両側へ移動した。襲撃の気配はなく、むしろ道を開けているように見える。俺は二人を背後へ置きながら慎重に階段を下り始めたが、コボルトたちは追ってこず、その場に残って頭を垂れていた。


 階段は想像していたよりも長く、百段を越えても底が見えなかった。壁面には人工物らしい黒い金属板が埋め込まれ、淡い青色の文字が一定間隔で浮かんでは消えている。その文字はアステリオンのどの国で使われていたものとも異なっており、異世界の知識を持つ俺にも読むことができなかった。


 しかし、朱音は足を止めると、その文字へ計測器を向けた。


「これ、迷宮内部の魔力を制御する術式に似ている。でも自然発生した構造じゃない。誰かが後から組み込んでる」


「人間に作れるものですか?」


「現在の技術では不可能よ。少なくとも、地上で知られている範囲では」


 その言葉が終わるより早く、階段全体へ強い振動が走った。背後の壁が閉じ、足元から赤黒い光が這い上がると、俺たちの探索者端末へ新たな警告表示が浮かび上がった。


『多摩第五ダンジョン、危険度をD級からA級へ暫定変更』


 表示された情報に、ユナが息を呑む。わずか数分前まで教習用に近い迷宮だった場所が、何者かの干渉によって三段階も危険度を引き上げられたことになる。


 同時に、階段の底で鳴り続けていた鐘の音が止まった。


 静寂の中、正面の闇から複数の人影が浮かび上がる。現れたのはコボルトではなく、人間に近い骨格を持つ武装した魔物たちだった。剣を持つ骸骨、杖を抱えた灰色の肌の魔族、鎖に繋がれた小型の鬼。その数は二十を超えていたが、誰一人として俺たちへ襲いかかってこない。


 彼らは傷つき、鎧を砕かれ、何かから逃げてきたように疲弊していた。


 そして俺を見た瞬間、最前列にいた骸骨の騎士が折れた剣を床へ突き立て、ゆっくりと膝をついた。


『勇者よ』


 今度の声は、明確なアステリオン共通語だった。


『我らを殺す前に、話を聞いてほしい』


 魔物が助命を求める。


 その事実だけで、この迷宮で起きている異常が、単なる魔物の強化ではないことを理解するには十分だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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