第21話 D級迷宮、再測定不能
コラボ配信の舞台として探索者協会が指定した多摩第五ダンジョンは、過去七年間にわたって危険度の変動が一度も確認されていない、教習用に近いD級迷宮だった。
全十五階層のうち一般探索者へ開放されているのは十階層までで、出現する魔物もコボルトやポイズンバット、下層で稀に姿を見せるオーガ程度に限られている。
探索経路には定点観測用の魔力計測器と緊急転移装置が配置され、協会職員からは、異常さえ起きなければ今回の配信で負傷者が出る可能性は極めて低いと説明されていた。
俺たちはその説明を信じ、入口前で配信を開始した。
ユナは魔法系探索者として戦闘と配信進行を担当し、朱音は俺が携える《黒天》の実戦データを収集する。俺は二人の護衛を兼ねつつ、よほどの事態が起きない限り前へ出ないという役割だった。
昨日まで険悪だった二人も、ダンジョンへ入ってからは私情を持ち込まず、それぞれの専門分野に集中している。感情がどうであれ、命を預け合う場所で判断を誤らない程度には、二人とも優秀な探索者と技術者だった。
「一階層の魔力濃度は正常です。配信映像にも乱れはありません」
「《黒天》も静かね。未登録ダンジョンで見せた反応は出ていないわ」
二人の報告を聞きながら、俺は岩壁に囲まれた通路の奥へ意識を伸ばした。視界に異常はなく、足音も魔物の呼吸も聞こえない。それでも、迷宮へ入った瞬間から胸の奥に小さな引っ掛かりが残っている。魔力の量そのものは資料の数値と変わらないが、流れる方向が不自然だった。本来なら迷宮の中心部から外側へ薄く拡散するはずの魔力が、今は地下へ向かって吸い込まれている。
巨大な何かが、深部で息を吸い続けているように。
「予定を変更した方がいいかもしれません」
俺が足を止めると、浮遊カメラの向こうで流れていたコメントが一斉に増えた。視聴者にとっては何の変哲もない通路に見えるはずだが、俺が警戒を示しただけで空気が変わったことを感じ取ったらしい。
「何かいるんですか?」
「まだ分かりません。ただ、魔力が下へ引かれています。協会へ再測定を依頼してください」
ユナが携帯端末を操作し、地上の管制室へ情報を送信する。その直後、通路に設置されていた魔力計測器が甲高い警告音を発し、正常値を示していた数字が一瞬で跳ね上がった。D級を示す緑色の表示は黄色、赤色へと変わり、最終的には数値そのものが消えて黒い画面へ切り替わる。
『警告。迷宮内魔力濃度が測定上限を超過しました』
機械音声が響いた直後、背後から巨大な石が落ちるような音がした。振り返ると、つい数秒前まで存在していた入口への通路が黒い壁によって完全に塞がれていた。その表面には岩でも金属でもない光沢があり、俺が手を触れる前から《黒天》が鞘の中で低く唸り始める。
「外部通信が切断されました。緊急転移装置も反応しません」
「剣が、この壁を嫌がってる。魔力を吸収する構造よ」
朱音は計測器を壁へ向けながら、表情を厳しくした。未登録ダンジョンの番人が持っていた魔力吸収能力と似てはいるが、完全に同じではない。あの時は魔法や武器から力を奪うだけだったのに対し、目の前の壁は空間そのものを閉じ、地上との繋がりを断ち切っている。
次の瞬間、迷宮全体が大きく脈打った。
床から伝わった振動は地震とは異なり、一定の間隔を置いて二度、三度と繰り返された。そのたびに壁面の色が灰色から赤黒いものへ変質し、天井に灯っていた人工照明が消える代わりに、岩の隙間から血管のような光が浮かび上がっていく。整備されたD級迷宮の面影は急速に失われ、通路の幅も高さも、俺たちが気づかない間に僅かずつ広がっていた。
『ダンジョンの地形が変わってる?』
『これ生配信だよな』
『協会の公式発表で、多摩第五が緊急封鎖された』
『内部危険度、再測定不能になってるぞ』
通信は地上と切れているはずなのに、配信だけは途切れていなかった。むしろコメント欄には外部の情報が流れ込み続けている。何者かが配信回線だけを意図的に残しているのだとすれば、その目的は俺たちを閉じ込めることではなく、内部で起きる出来事を外へ見せることにある。
「俺から離れないでください。この迷宮は、こちらを観察しています」
「迷宮が、人間を?」
「少なくとも自然現象ではありません」
俺が《黒天》を抜いた直後、前方の暗闇から複数の足音が聞こえ始めた。現れたのは、資料上ではこの階層に生息しているはずのコボルトだった。しかし、その姿は通常個体とは大きく異なり、二足歩行の獣というより、黒い甲冑を纏った小柄な兵士に近い。手にした槍も粗雑な石器ではなく、同じ意匠で統一された金属製の武器だった。
数は十二体。
俺は二人を庇うように前へ出たが、コボルトたちは襲いかかってこなかった。先頭の個体が槍を床へ置き、残る十一体も同じ動作を繰り返すと、その場で片膝をつき、俺へ頭を垂れた。
そして、人間の言葉とは異なる、獣の唸りに似た音を発した。
『――ヴァル、エルディア』
意味の分からない言葉だった。
それでも俺には、その発音に聞き覚えがあった。アステリオン大陸の北方で使われていた古い魔族語。その言葉を現代語へ置き換えるなら、意味は一つしかない。
帰還した勇者。
「どうして、その言葉を知っている」
俺が問いかけると、先頭のコボルトはゆっくりと顔を上げた。獣の瞳には敵意ではなく、怯えと期待が入り混じっている。その口が不慣れな人間の言葉を作ろうと何度も動き、やがて掠れた声を絞り出した。
「ユウシャ……オクニ、イケ」
直後、十二体の背後にある壁が左右へ割れ、地図には存在しない下り階段が姿を現した。
その深い闇の底から、俺だけを呼ぶ鐘の音が響いていた。
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