第17話 黒い遺跡に刻まれた、忘れられない紋章
青白い斬撃の環が消え去った後も、地下空間には《黒天》の低い共鳴音だけが長く残り続けていた。百体近い魔物は、まるで最初から一体の巨大な生物であったかのようにほぼ同時に崩れ落ち、黒い森の地面を覆い尽くしている。それでいて周囲の木々や調査隊には傷一つ付いておらず、俺が斬ると決めたものだけが、寸分の狂いもなく両断されていた。
異世界では長い年月をかけて身につけた剣技だったが、この世界の探索者にとっては常識の外側にある光景だったらしい。調査隊の面々は武器を構えた姿勢のまま固まり、魔法使いたちに至っては完成しかけていた術式を維持することすら忘れ、呆然と俺を見つめている。
「……今の斬撃、私たちの間を通りましたよね」
「はい。巻き込まないように調整しました」
「百体近い魔物を同時に斬りながら?」
「一体ずつ狙うより早かったので」
俺が答えると、魔法使いの女性は理解を諦めたように目を伏せた。隊長も何かを言いかけていたが、結局は深く息を吐き、先ほどまでとは明らかに異なる態度で俺へ向き直る。
「天城。ここから先、お前を中心に進ませてもらいたい。正直に言えば、我々ではこのダンジョンの危険度を測り切れない」
「構いません。ただし、探索と救助の判断は隊長に任せます。俺はダンジョン調査の経験がありませんから」
戦闘能力が高いからといって、集団行動のすべてを独断で決めていいわけではない。異世界で勇者だった頃も、軍の指揮や負傷者の搬送、補給経路の確保は、それぞれ専門の人間へ任せていた。何でも一人で行おうとすれば、見落としによって守れるはずの命を失うことになる。
「力があるのに、意外と慎重なのね」
背後から聞こえた朱音の声に振り返ると、彼女は周囲に散らばった魔物の残骸ではなく、《黒天》の刀身へ向けて携帯型の計測器をかざしていた。表示された数値を確認する表情は満足そうで、これほどの数を斬ったというのに、剣には刃こぼれどころか魔力の乱れすらないらしい。
「力があったからこそ、慎重になったんです。俺の判断一つで、多くの人が死ぬ立場でしたから」
「……勇者だった時の話?」
「はい」
朱音の手が一瞬だけ止まった。俺が異世界で経験した十年間について、世間では華々しい英雄譚のように語られ始めているが、実際には守れなかった命や、間に合わなかった戦場の方が遥かに多い。どれほど強くなっても、失った者が戻ってくることはなかった。
「だったら今度は、あなた一人に全部背負わせないわ」
朱音は計測器を閉じ、当然のことを告げるように言った。
「剣のことは私が背負う。あなたは目の前の敵だけを斬ればいい」
まだ出会ってから間もない少女の言葉なのに、不思議と胸の奥へ残った。かつての仲間たちも、俺が一人で抱え込もうとするたびに同じような言葉を投げかけてくれた。だからこそ、その優しさに甘えることが怖くなり、最後には彼らを異世界へ残したまま帰還してしまった。
「ありがとうございます」
「お礼は、無事に帰ってから聞くわ」
朱音はそう言って俺の隣へ並んだ。戦えない者は後方へ下がるよう指示されていたにもかかわらず、彼女は《黒天》の状態を確認できる位置から離れるつもりがないらしい。俺も彼女を説得することを諦め、何かあればすぐに守れる距離へ置いたまま、調査隊と共に遺跡へ向かった。
黒い森を抜けた先に広がっていた都市は、かつて人間に近い何者かが暮らしていた痕跡を色濃く残していた。崩れた石造りの建物、道の両側に並ぶ朽ちた街灯、広場の中央で砕けた女神像。どれも日本の建築様式とは異なっており、ダンジョン内部に作られた偽物というより、滅びた都市そのものが空間ごと取り込まれたように見える。
先行部隊の発信機は、都市中央に建つ巨大な神殿から反応していた。
神殿内部へ足を踏み入れると、広間の奥で七人の探索者が倒れていた。全員が生きてはいるものの、魔力を吸い取られたように衰弱し、床から伸びた赤黒い蔦に手足を拘束されている。回復役が救助へ向かう中、俺は蔦の発生源となっている祭壇へ視線を向けた。
そこには、一つの紋章が刻まれていた。
黒い太陽を、三本の剣が貫いている。
俺はその紋章を知っていた。
忘れるはずがなかった。
「どうして、これが……」
「湊?」
朱音が初めて俺を名前で呼んだことにも気づかず、俺は祭壇へ近づいた。異世界アステリオンにおいて、その紋章を掲げることを許されていたのはただ一つ。
魔王を崇拝し、人間の世界を滅ぼそうとした邪教――《終焉教団》。
魔王を倒した際、俺がすべて滅ぼしたはずの組織だった。
祭壇へ触れた瞬間、紋章の中心に赤い光が灯り、地の底から響くような声が広間を満たした。
『見つけたぞ、勇者』
その声は、日本へ帰還した俺を明確に知っていた。
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