第12話 元勇者、全世界へ正体を明かしてしまう
「昔、別の世界で勇者をしていました」
その告白が口から零れた瞬間、迷宮に残っていた轟音の残滓さえ消え去ったかのような静寂が訪れた。目の前に立つ神代は、折れた大剣を握ったまま言葉を失い、浮遊カメラの向こうでは百万人を超える視聴者が同じ言葉の意味を理解しようとしている。俺自身、帰還してから今日まで誰にも告げられなかった真実を、よりにもよって生配信中に口にしたのだと理解するまで、ほんの数秒を必要とした。
『異世界?』
『勇者って言った?』
『設定じゃないのか』
『でも今の技を見た後だと否定できない』
『迷宮を斬った人間が言うと説得力ありすぎる』
止まっていたコメント欄が一気に動き始め、文字の濁流によって画面の大半が覆い尽くされた。冗談だと笑う者、配信者としての演出だと疑う者、本気で信じ始める者が入り乱れているが、少なくとも先ほどまでのような軽い空気は完全に消えている。俺が放った一撃によって迷宮の奥まで穿たれた巨大な断層と、左右に両断された災害級の怪物が、告白を単なる妄想として片づけることを許していなかった。
「冗談……ではないんだな?」
神代の問いには、疑念よりも確認の色が強く滲んでいた。俺は折れた剣の柄を握り直しながら頷き、どう説明したものかと僅かに迷ったものの、ここまで見せてしまった以上、中途半端に隠す方が不自然だろうと判断した。
「十五歳の時、突然この世界から消えて、アステリオンという世界に召喚されました。そこで十年間戦って、魔王を倒して、それから日本へ戻ってきたんです」
「魔王を……倒した?」
「はい。戻ったら二十六歳になっていて、職歴も学歴もなくて、コンビニの面接にも落ちました」
『最後の情報いる?』
『異世界救ったのにコンビニ不採用』
『店長、今頃震えてそう』
『勇者でも職歴欄は埋められないのか』
重苦しくなっていた空気が、わずかに緩んだ。俺としては笑わせるつもりなどなく、帰還後に起きた事実を説明しただけなのだが、どうやら世間にとっては魔王討伐よりもコンビニ不採用の方が親しみやすいらしい。異世界では国王や貴族と話す際、言葉一つで国の命運が変わることさえあったが、配信では何が視聴者の心を掴むのか、いまだによく分からなかった。
しかし、安堵している暇はない。先ほど倒した怪物から感じていた異常な魔力は消えたものの、迷宮そのものが受けた損傷は大きく、天井や壁には無数の亀裂が走っている。俺の一撃が原因で広がった裂け目もあるため、これ以上長居をすれば崩落に巻き込まれる可能性があった。
「詳しい話は外に出てからにします。まずはユナさんたちと合流しましょう」
「待て。お前の剣は折れている」
「問題ありません」
神代の視線は俺の手元へ向けられていたが、武器が失われた程度で動けなくなるような戦場を、俺は生き抜いてこなかった。異世界で聖剣を砕かれた時には敵の剣を奪い、武器がなければ拳を使い、それすら封じられれば魔法で道を切り開いた。勇者とは剣を持つ者ではなく、最後まで諦めずに立ち続ける者だと、十年の戦いが俺へ叩き込んでいる。
俺は神代の傷へ回復魔法を施し、歩ける程度まで治療すると、崩れ始めた迷宮の振動から最も安全な経路を探りながら来た道を引き返した。背後では断続的に岩が落下し、通路の一部が崩れ落ちていたが、魔力を薄く広げて周囲の構造を把握すれば、致命的な崩落が起きる場所は事前に察知できる。神代を支えながら瓦礫を越え、塞がれた道は拳の一撃で壁ごと貫き、遠回りをすることなくユナたちの待つ広間へ向かった。
途中で現れたオークの群れは、俺が放った威圧だけで動きを止めた。異世界では魔王軍の大軍を前に何度も使った技術だが、この世界の魔物にも本能的な恐怖は存在するらしく、数十体いた魔物たちは俺と目が合った瞬間に武器を落とし、逃げ道を奪い合うように奥へ散っていった。
『戦わずに追い払った?』
『魔物が怯えてる』
『これが魔王を倒した勇者の圧か』
「無駄に倒す必要はありませんから」
俺がそう答えると、神代は隣で乾いた笑いを漏らした。彼にとっては命懸けで戦う相手でも、今の俺にとっては剣を振るう必要すらない存在だったという事実が、かえって現実味を失わせているのだろう。
やがて元の広間へ戻ると、ユナは俺たちの姿を見た瞬間に杖を放り出し、足をもつれさせながら神代のもとへ駆け寄った。仲間たちも安堵に表情を崩し、無事を確かめ合っている。その光景を見届けた俺は、ようやく胸の奥に張りつめていたものを緩めた。
その時、スマートフォンが激しく震え、探索者協会の黒瀬さんから着信が入った。
『天城さん! 今、どこまで本当なんですか!?』
「全部です」
『全部……?』
「異世界に召喚されたことも、勇者だったことも、魔王を倒したことも」
電話の向こうで、長い沈黙が落ちた。
『……協会本部が、あなたを国家最高機密対象に指定する手続きを始めました』
俺は言葉を失い、配信画面へ視線を向けた。そこに表示されていた同時接続者数は、いつの間にか三百万人を突破している。
秘密にするには、もう何もかもが遅すぎた。
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