第7話 弱き剣士と銀星の少女 杖の棒術
ステラに杖を持たせる。
両手で、肩幅と同じくらいの位置を握ってもらう。
それだけのことなのに、彼女はもう少しだけ緊張していた。
「肩、力入りすぎてます。下ろして、楽にして」
「は、はい」
「腕で構えるんじゃなくて、足で立つ感じです。腰を落として、両足の真ん中、おへその下のあたりに、自分の重さを置く」
カゲトの言葉を、ステラはひとつひとつ、噛みしめるように聞いていた。
そして、言われた通りに、腰をすこし落とした。
「あ……」
ふっ、と、彼女の輪郭が変わった。
腰の落ち方に、無駄がなかった。
肩の位置が低くなり、両肘が脇腹から離れすぎず、ちょうどいい角度に収まった。
杖を持つ手も、力んでいない。
カゲトは、一瞬、それを呼吸を止めて見ていた。
「……ステラさん」
「は、はい」
「もしかして、運動、得意なほうですか」
ステラは、ぽかんとしてから、首を傾げた。
「えっ、私、外で遊べないことのほうが多くて。村で同じ年頃の子と、走り回ったりは、あんまり……」
「あー、なるほど」
そう答えながら、カゲトは内心で、首をひねっていた。
それでも、目の前のステラの構えは、たしかに、悪くなかった。
むしろ、人によっては最初の数週間かけても、ここまで自然に腰を落とせない者もいるのを、彼は故郷で何人か見ていた。
気のせいかもしれない、と思った。
「じゃあ、足運び、いきます」
それから、カゲトは、最も基本的な四つの足運びを教えた。
前へ。後ろへ。左右へ。
膝の高さを変えず、軸足を捩じらず、影法師のように、すっと位置を変える。
「これ、何回かやってみてください」
ステラは頷き、ぎこちなく、ふた歩、み歩と、足を運び始めた。
最初の数歩は、たしかにぎこちなかった。
膝が浮いた。軸が後ろに残った。
が――、
三歩目で、彼女はもう、自分のずれに気づいていた。
四歩目で、軸の位置を直した。
五歩目には、ほとんど形になっていた。
「……えっ」
口を衝いて出た声を、カゲトは慌てて引っ込めた。
ステラはこちらを振り向く。
「なに、いまの『えっ』」
「あ、いえ、なんでもないです」
「ぜったい、なんかありましたよね」
「いえ、ほんとに、なんでも」
ステラは、訝しげに眉を寄せたが、すぐに練習に戻った。
今度は、左右への移動。
彼女の軸足が、すっとずれて、もう片方の足が、すっと寄せられる。
重心は揺れていない。
カゲトは、自分の口の中に、薄く乾いた感じが広がるのを感じた。
「次、構えを保ったまま、軽く杖で、空を払ってみてください」
「払う?」
「目の前に、虫がいるとして、それを払うように」
ステラは、こくっと頷くと、軽く杖を払った。
ぶん、と、思ったよりはっきりした音がした。
音の質が、よかった。
細い杖は本来、もっと頼りない音が出るはずなのに、ステラの払いは、その音に芯があった。
腕の力ではなく、腰のひねりと、肩の落としが、ちゃんと先端に乗っていた。
「……ステラさん」
「はい」
「何度か、続けて、払ってみてください」
「はい」
ステラは、続けて払った。
ぶん、ぶん、ぶん、と、音はそろっていた。
段を踏んで荒くなる、というのが、普通の初心者だ。
それが、彼女の音は、最初から最後まで、ほとんど変わらなかった。
カゲトは、ようやく、おそるおそる、こう尋ねた。
「えっと、ステラさん。本当に、武器、持ったの初めてですか」
「初めて、です」
「家で、薪を割ったり、とかも?」
「あ、薪割りは……得意でした。母も祖母も、女の手で割ってましたから、私も、子供のときから、ずっと」
「あ」
「あの、それと、関係ありますか?」
「……関係、あるかも、しれないです」
カゲトは、自分の頬の内側を、舌でちょっと噛んだ。
そこには、薄く、苦笑のような感覚があった。
薪割りは、剣ではない。
けれども、両足の幅を決めて、腰の真上で道具を扱うという点では、じつは剣に近い。
そして、毎日それをやっていた身体は、おそらく、本人が思っているより、ずっと色々なことが、できる身体になっている。
ステラは、自分の手元の杖を、不思議そうに見ていた。
「あの、私、ちゃんと出来てます?」
「……出来すぎてるくらい、です」
「えっ、それ、お世辞ですか?」
「いえ、本気です。本気で言ってます」
ステラは、しばらくぱちぱちと瞬きをしてから、ほんの少し、口の端に笑みを浮かべた。
それは、自慢ではなく、自分でもびっくりしているような、控えめな笑みだった。
「えへ。よかったです」
そんな顔を見せられて、カゲトは、もう何も言えなかった。
言えなかった、というより、言わないことに決めた。
気のせい、ではなさそうだ。
けれども、それは、もう少し、確かめてからにしよう。
七 木剣
「もう少し、続けても、いいですか」
杖の払いを、ひと通り終えたあと、ステラのほうから、そう言った。
頬は、ほんのり汗ばんでいた。
それでも、息はそれほど上がっていなかった。
「……いいですよ」
カゲトは、しばらく考えてから、壁際の木剣のひとつを取って戻ってきた。
両手剣の少し短いほうで、刃の重さも軽い。
本来は、子供や、新人の女性の練習用に置かれているものだ。
「これ、ちょっと、持ってみてもらえますか」
ステラは、おそるおそる、それを受け取った。
両手で握り、すぐに、口元をへの字に曲げた。
「重い、です」
「重いですよね」
「これ、振るんですか」
「いきなり振らなくていいです。まずは、構えてみてください」
ステラは、戸惑いつつも、杖と同じ要領で構えてみせた。
両手の幅、肩、腰の落とし方。
杖よりも木剣のほうが重いから、彼女の身体には少しだけ負荷がかかるはずだった。
ところが、ふたつ呼吸する間に、ステラの軸は、もう、安定していた。
杖を構えていたときと、ほとんど変わらない位置に、彼女の重心はあった。
カゲトは、軽く、息をのんだ。
「あの、ステラさん」
「はい」
「軽く、上から、振り下ろしてみてもらえますか」
「はい……」
ステラは、ぎこちなく、けれど確実に、木剣を上段に持ち上げ、ゆっくりと振り下ろした。
ぶん、と、空気が短く鳴った。
「……うん」
「うん?」
「速度は、まあ、初めてだから、こんなものですけど」
「ですよね」
「軸が、ずれてないんです」
「軸……」
「振り下ろしたあと、剣の先がぶれないように、自分の身体の中心線で止められてるんです」
「あ、そう、ですか?」
「初心者の人、ふつう、振り下ろしたら、勢いで、剣先が大きく前に流れます。それが、ステラさんは、ほとんど流れてない」
「えーと、それは、いいことですか?」
「いいことですし、僕もちょっと、おどろいています」
ステラは、両手で剣の柄を握りしめながら、また、自分の手元を見下ろした。
信じきれない、という顔だった。
「じゃあ、もうひとつ、いきますね」
カゲトは、自分の木剣を、壁際から取った。
彼の身長と腕の長さに合わせて、すこし短めに削られているもの。
重さも、やはり軽い。彼の身体に合わせてあるからだ。
「軽く、僕に、打ち込んでみてください」
「えっ、当たったら、どうしましょう」
「当たらないように、僕が受けます。だから、思いっきり、ではなく、教科書に書いてある通りの、軽い打ち込みで」
「……はい」
ステラは、ふたたび構えた。
今度は、初めての構えのときよりも、輪郭がさらにはっきりしていた。
彼女のなかに、なにかが「これでいい」と告げ始めているようだった。
カゲトは、剣の腹で、軽く受ける構えを取った。
「はい、いつでも、どうぞ」
ステラは、息を吸って、踏み込んだ。
速かった。
それは、カゲトの予想より、半拍ぶん、速かった。
彼女の足が、軸足を中心に、すっと前へ伸び、それと同じ瞬間に、木剣が、上段から、まっすぐ下りてきた。
腕で振っていない。
膝の伸びと、腰のひねりで、剣が動いている。
カゲトは、なんとか、剣の腹で、それを受けた。
ぱあん、と、思ったより硬い音がした。
受けた剣が、ほんの一瞬、彼の手の中で、ぐっと押された。
「……あれ?」
ステラのほうが、先に、自分の打ち込みに驚いていた。
「あ、これ、わたし、いま、ちゃんと、当てられてます?」
「あ、あ、はい、当ててます。当てて、ます」
「わ、わ、ごめんなさい、強かったですか」
「いえ、そんな、です……、もう、一度、いいですか」
「は、はい」
ステラは、また構えた。
そして、また、踏み込んできた。
今度のは、さっきよりも、ほんのわずかに、速かった。
受けたカゲトの腕が、ぐっと、押される。
「もう、一度――」
三本目。
ステラは、もう、迷わずに踏み込んできた。
腕ではなく、足で打つ感じが、ますます正確になっている。
カゲトは、四本目を受けるのに、少しだけ、足を引いた。
五本目を受けるときには、わずかに、半歩ずらして、剣の腹ではなく、刃筋を逸らすように受けた。
そうしないと、自分の手のなかで、剣が浮きそうだったからだ。
六本目。
ステラの息が、すこしずつ、上がってきた。
が――、その息のうえでも、彼女の踏み込みは、衰えなかった。
ぱあん、ぱあん、ぱあん。
音が、訓練所の梁に、はっきりと跳ね返るようになっていた。
奥で槍を突いていた年輩の男が、ちらりとこちらを振り返った。
「……ストップ。ストップ、ステラさん」
カゲトは、自分の剣を引いて、軽く手のひらを上げた。
ステラは、はっと、振り上げた剣を止めた。
「あ、ご、ごめんなさい、まだ、続けるのかと」
「いえ、いえ、十分です、十分、です……」
カゲトは、思わず、その場で、ふっと膝を曲げた。
床に手をつくほどではない。けれど、軽く屈伸を入れて、息を整えなければ、立っていられなかった。
ステラは、それを見て、慌てた。
「あの、カゲトさん、だいじょうぶですか、私、強すぎましたか」
「い、いえ、強さの、問題じゃ、なくて、あの、ええと」
カゲトは、息を整えながら、苦笑にしか聞こえないだろう声で、こう言うほかなかった。
「ステラさんの、剣の才能、ちょっと、すごい、です」
ステラは、ぽかんとした。
それから、わたわたと両手を振った。
「えっ、いえ、いえ、そんな、初めてですし、まだ三本も振ってないですし、わたし、こんな重いの、すぐ手が痛くなって……」
「いえ、初めてで、それです」
「……それ、お世辞、ですよね?」
「本気の、ほうの、声で、言ってます」
ステラは、自分の手のなかの木剣を、しばらく、不思議そうに見つめていた。
それは、本人にも、信じられない出来事のようだった。




