第6話 弱き剣士と銀星の少女 訓練所の朝
見習いの札が銅の札に変わってから、三日が経っていた。
ふたりはまだファールスにいた。
次の街へ向かう装備を整えるのに、それだけの時間が要ったし、街を出る前にカゲトには、もうひとつ、どうしてもしておきたいことがあった。
ギルドの裏手には、低い屋根の付いた、横長の建物があった。
訓練所と呼ばれている場所だ。
石を敷いた基礎の上に、木の梁を組み、屋根は板葺き。
壁の一面は風通しのために大きく開かれていて、朝のうちはまだ陽の差し込まない、薄青い空気がそこに満ちている。
床には粗く目の細かい砂が薄く撒かれていて、靴の裏が小さく擦れる音を立てた。
壁際には、使い込まれた木剣、訓練用の槍、ボロボロの藁束の的が、所定の位置に整然と並んでいた。
ぴんと冷たい空気のなかに、汗と、油と、木と、砂のにおいが、薄く重なっている。
「……ここ、ですか」
ステラが、訓練所の入り口で、少しだけ足を止めた。
「はい」
「私、来たことなくて」
「僕も、初めてです」
そう答えて、カゲトは少し笑った。
ふたりとも、訓練所が初めてだというのは、なんだか可笑しい話だった。
朝のこの時間は、人がほとんどいない。
奥の隅で、年輩の男がひとり、藁束相手にゆっくりと槍を突き入れているくらいだ。
彼は、新しく入ってきたふたりに一瞥をくれて、また自分の練習に戻っていった。
カゲトは、入り口に近い隅の、空いている広場のような場所まで歩いた。
そこに荷物を下ろし、ステラに振り返る。
「あの、ステラさん」
「はい」
「先日のこと、覚えてますか」
「先日……」
「ゴブリン退治のあとに、ステラさんが言ってくれたこと」
ステラは、それを思い出すのに少しだけ時間がかかったらしい。
瞳が一度、内側へ向くようにふっと止まり、それから、ぱちっと色を変えた。
「あ……はい。覚えてます」
「いつか隣に、ちゃんと立ちたいって」
「はい」
「あれ、嬉しかったんです」
カゲトは、なるべく軽く、それを言った。
言ってから、自分の頬がほんの少し熱くなるのを感じて、急いで先を続けた。
「だから、その、ステラさんが本気で言ってくれたなら、僕も本気で応えたいなって、思って」
ステラは、銀色の髪を耳の後ろにかけながら、少し驚いたように彼を見ていた。
それから、ゆっくりと、こくんと頷いた。
「うれしい、です」
「だから、街を出る前に、せめてひとつだけ、覚えておいてもらいたいことがあるんです」
「なんですか」
「武器がないときの、立ち回り、です」
そう言って、カゲトは壁際に立てかけてある自分たちの装備のほうへ、軽く視線を投げた。
ステラの杖。細くて、両手の幅ほどの、銀の装飾が控えめに巻かれた、おそらく祖母の遺品の杖。
「ステラさんの一番怖いのは、たぶん、詠唱の途中で誰かに踏み込まれることです」
ステラは、こくっと、はっきりと頷いた。
それは、彼女自身も気づいていることだった。
「魔法は強いですけど、出すまでに時間が要ります。出している最中は、隙だらけです」
「はい。あの、本当に、そう思います」
「だから、撃てない瞬間に、相手から距離を取れるようになっておきたいんです。攻めるためじゃなくて、逃げるために」
「逃げるため」
「そうです。ちゃんと逃げられるなら、ステラさんはたぶん、戦場でかなり強い人になります」
ステラは、その言葉に少しだけ眉を寄せた。
あまり、聞いたことのない理屈だったらしい。
「逃げるのが、強い……?」
「魔法使いは、生きてる時間が長ければ長いほど、強いんです。詠唱できる時間が増えるから」
「あ……」
ステラは、なるほど、というように口を小さく開けた。
それから、すこし照れたようにうつむいた。
「私、てっきり、剣を握らせるのかと思いました」
「いきなりは、しません。最初は、武器のないときの立ち回りからです」
「うー、よかった……剣を急に持たされたら、たぶん私、自分の指を切ります」
ステラの正直な感想に、カゲトは思わず、ふっと吹き出してしまった。
「だから、まず――、その杖を、武器に見立てるところから、始めます」




