第4話 弱き剣士と銀星の少女 ゴブリン退治
「ゴブリン退治」
マリエルはそう言って、依頼書をカウンターの上に滑らせた。
「街道の南、岩場のあたりに、小さな巣が出来てるの。三、四匹かな。今のうちなら厄介じゃない。これがふたりの、見習いの締めの依頼ね」
「締め……ですか?」
ステラが、繰り返した。
マリエルは静かに頷いた。
「これをきちんと終えたら、見習い卒業。明日からは、ふたりとも、初級冒険者よ」
言葉は軽かった。
それでも、ふたりの胸には、それぞれの形で重く落ちた。
南の街道は、北とは少しちがう景色だった。
草の色がやや黄土に寄り、岩がごろごろと地表に顔を出している。
風が乾いていて、舌の奥にうっすらとした砂の感じが残る。
ふたりは、依頼書の地図に従って、街道を逸れた。
見習いとしての最後の依頼であることを、互いにあえて口にしないまま、ふたりは並んで歩いた。
「カゲトさん」
「はい」
「もし、私が魔法を外しても、怒らないでください」
「怒りませんよ」
「もし、当ててしまっても、怒らないでください」
「……それは、絶対勘弁してほしいです」
ステラは、つい、ふっと吹き出した。
それから、自分で自分の頬を軽く叩いて、覚悟を決めるように深く息を吸った。
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。詠唱の途中で、ちゃんと、私の中で形にしてから出します」
「うん。守ってますから、慌てずに」
そう言って、カゲトは剣の柄に軽く手をかけた。
重い剣ではない。
彼の身体に、ちょうど合った長さと重さの、ただ一振り。
巣は、岩場の窪みの陰にあった。
焚き火の跡と、噛み砕かれた骨と、雑に積まれた毛皮。
そのにおいが、風下からはっきりと届いてきた。
ゴブリンは、四匹いた。
成体ではない、まだ若い個体ばかりだった。
それでも、棍棒や短剣を握っていることに変わりはない。
カゲトは、岩陰でステラを後ろに置き、息を整えた。
「先に、僕が一匹、引きつけます。ステラさんは、二匹目以降に魔法を」
「……はい」
「焦らなくていいから」
「はい」
ステラの返事は、二度ともとても小さかった。
カゲトは、岩陰から踏み出した。
ゴブリンの一匹が、すぐに気づいて、甲高い声をあげた。
三匹がそれに続き、棍棒を振り上げて、ばらばらに駆けてくる。
カゲトの目に、彼らの動きは、ゆっくりと映った。
速くはない。重心が高い。一歩目が大きく、二歩目で必ず止まる。
彼は、最短の足運びで、先頭の一匹の懐に入った。
剣は、振らなかった。
斜め下から、相手の手首を、剣の背でこつんと撥ね上げる。
棍棒が宙を舞い、ゴブリンが体勢を崩したところに、肘を、軽く、肋の隙間に押し込んだ。
ぐえ、と短い悲鳴。
ゴブリンは膝から崩れた。
「いまっ」
後ろで、ステラの詠唱の最後の音節が震えるように響いた。
白く、淡い光の弾が三つ、彼女の杖の先で結晶した。
撃ち出される。
そのうちの一つが、二匹目のゴブリンの足を払って転ばせ、もう一つが、三匹目の肩に当たって突き飛ばした。
残った一つが――、
ふっと、空中で、ぱちりと弾けた。
「あっ……」
ステラの口から、悲鳴に近い声がもれた。
そして、そのとき。
巣の奥に、もう一匹いた。
棍棒ではなく、錆びた短剣を持ったゴブリンが、岩の影から、ステラめがけて低く飛び出してきた。
詠唱の余韻で動きの止まったステラに、それは、まっすぐ向かっていた。
「ステラさん――!」
カゲトの身体は、考えるより先に動いていた。
細い足が、地を蹴った。
走った、というより、滑り込んだに近かった。
彼は、ステラと、その小さな影との間に、自分の身体をねじ込むように入れた。
短剣の切先が、左の肩のあたりを、すれて、走った。
鋭い音ではなかった。
むしろ、布の裂ける、ささやかな音だった。
それでも、肩のあたりに、しんと冷たい感覚が走り、すぐに熱に変わった。
カゲトの剣は、すでに動いていた。
上半身を逸らしながら、剣の腹で、相手の肘をぱちんと打つ。
短剣がぽとりと地に落ちた。
続けて、足を払う。
ゴブリンは、自分の重さで前のめりに転び、岩にしたたかに頭をぶつけて、動かなくなった。
残りの二匹は、もう棍棒を捨てて逃げ出していた。
風だけが、岩場を撫でた。
「カゲトさんっ」
ステラの声が、後ろから飛んできた。
彼女が駆け寄ってきて、カゲトの肩のあたりに、震える手を伸ばした。
「血が、血が出てます、どうしよう、どうしよう」
「あ、……だいじょうぶです、たぶん」
「だいじょうぶじゃないですっ」
ステラの声は、いつもより少し高く、揺れていた。
肩当ての布をめくって、傷の浅さを確認したあと、彼女はようやく息を吐いた。
切り傷で、出血はあるが、深くはない。
それでも、ステラの瞳は、ふちのあたりが、しっとりと濡れていた。
「私、また、暴発させて」
「二匹は、当てたじゃないですか。すごかった」
「でも、最後の一発が外れて、それで、カゲトさんが」
「ステラさん」
彼は、なるべく穏やかに、彼女の名を呼んだ。
「庇うのは、僕が選んだので。ステラさんのせいじゃ、ないんです」
ステラは、しばらく俯いて、自分の杖の柄を、強く握っていた。
唇を、噛んでいるのが、横からでもわかった。
風が、ゆっくりと、岩場を渡っていった。
ふたりの間に、しばらく、何の音も無かった。
やがて、ステラは、顔を上げた。
瞳は、まだ少し濡れていたけれど、その奥に、今までとはちがう色が、灯っていた。
「……カゲトさん」
「はい」
「私、決めました」
「はい」
「いつか――、いつか、隣に、ちゃんと立ちたいんです」
言葉は、その場で芽吹いた小さな苗のようだった。
形になりきっていない。それでも、根は、確かに地中で張ろうとしていた。
「あなたのその剣に、護られるだけじゃ、いやなんです。私も、護りたいって、思いました」
カゲトは、ステラを見つめた。
ステラの銀色の髪が、岩場の風に、ゆっくりと揺れていた。
夕方近い陽の光が斜めに射していて、その横顔の輪郭が、薄く白く光っていた。
なぜだか、カゲトは、その姿を、一生忘れない気がした。
「……はい」
彼が言えたのは、それだけだった。
それでもステラは、その「はい」を、ぎゅっと握りしめるみたいに、もう一度、深く頷いた。




