第17話 ふたつ星の朝
リファーラに着いて、二日目の朝。
宿の主人は、ちらりと、ふたりの装備を見て、こう言った。
「裏に、井戸と、ちょっとした空き地が、ある。ふたりだけなら、稽古、使っていいぞ」
「いいんですか」
「ああ。冒険者は、宿で寝てばかり、ってわけにも、いかんからな」
主人は、にやり、と笑って、大きな手のひらを、ひらひらと振った。
「ただし、刃、振るときは、声、ひと言、かけろ。井戸の水汲みに、来た客に、当てるなよ」
「はい」
宿の裏は、たしかに、こぢんまりとした、土の空き地だった。
四方を、低い板塀と、そのうえに被さる、若葉の枝で、囲まれている。
朝の光が、葉の隙間を、ぽつ、ぽつ、と通って、地面に、薄い斑の影を、落としていた。
「気持ちいいです」
ステラが、両手を、腰のあたりで、ぎゅっと、握り直した。
「うん」
「カゲトさん、まず、何から、ですか」
「えっと、本当に、本当に、最初の、最初から、です」
カゲトは、自分の腰の鞘を、いったん、外して、近くの、低い丸太のうえに、置いた。
「剣、まだ、持たないです。最初は、構えと、足の使い方だけ」
「あ、そうなんですね」
「うん。剣は、構えのうえに、乗るもの、なので。構えがないところに剣を持つと、剣が、持ち主を、振り回します」
「なんか、すこし、こわい、ですね」
「ぼくも、最初、それで、転びました」
ステラが、ふっ、と、すこし、笑った。
カゲトは、空き地の中央に、足を、肩幅より、ほんの半歩だけ、狭く開いた。
「ステラさん、これくらいで、立ってみてください」
「はい」
「足の指、地面を、軽く、掴むみたいに」
「掴む……」
「強く、踏みしめる、じゃなくて、ふっと、軽く、地面に、あるよ、っていう感じです」
ステラは、自分の足元を、しばらく、じっと見ていた。
それから、すこしだけ、腰を、すうっ、と落とした。
「これくらい、ですか」
「あ、はい。ちょうどいいです」
ステラの長い銀色の髪が、肩の前に、すっ、と、落ちてきた。
カゲトは、それを、横に、ちょっと、かき分けてあげようとして、
途中で、自分の手が、ふっ、と止まった。
「ステラさん、髪、後ろに、結べます?」
「あ……えへ、はい」
ステラは、ぱっと、頬を赤くしてから、慣れた手つきで、銀色の髪を、後ろの低い位置で、ひとつに、結んだ。
そうすると、彼女の細い首筋が、すっと、見えるようになった。
カゲトは、それからは、もう、彼女の首筋のほうは、できるだけ、見ないようにして、足元と腰のあたりだけを、まっすぐに、見るようにした。
「次、足の使い方です。前に出るとき、後ろの足から、すうっと、押すんじゃなくて、前の足を、まず、半歩だけ、ずらします」
カゲトが、自分の足で、軽く、見本を見せた。
地面に、彼の靴底のあとが、すうっと、薄く、引かれた。
「あっ、すごい。音、ぜんぜん、しないんですね」
「それが、コツです。音、なるべく、立てない。立てたら、立てたぶん、相手に、こちらの動き、知らせちゃってます」
「うん、なるほど、です」
ステラも、まねをしてみた。
最初は、ぱた、ぱた、と、靴底の音が、すこし、立った。
何度か、繰り返すうちに、その音は、すこしずつ、薄くなって、
最後には、ふっ、ふっ、という、息のような音だけに、なった。
「上手」
「えへ……」
ステラの頬が、ほんのり、上気していた。
朝の冷たさのなかに、彼女の身体だけが、すこしずつ、温まっていくのが、見えるようだった。
「次、手の置き方、です。これは、剣、握るときの、形なので――」
カゲトは、近くの細い木の枝を、ひとつ、拾った。
「いったん、これで、やってみましょう」
ステラが、その枝を、両手で、受け取った。
「両手は、こうです。下の手は、握る。上の手は、添える。下が力を出して、上が、向きを、整えます」
「はい」
「ぐっと、握りすぎないでください。卵を、握る、くらい」
「卵、を、握る」
「強く握ると、すぐ、疲れます。あと、剣が、自分の言うことを、聞いてくれなくなります」
「卵、卵」
ステラは、口のなかで、繰り返しながら、枝を、構えた。
朝の風が、彼女の細い枝の先を、ふっ、と、撫でた。
枝の先が、ほんのすこし、揺れた。
それは、まだ、剣ではなかった。
ただの、若い枝、だった。
けれども、ステラの目は、もう、その枝の先を、剣の切っ先みたいに、まっすぐに、見ていた。
カゲトは、それを、すこし離れたところから、見ていた。
なぜか、自分の胸の奥のあたりが、ほんのすこしだけ、温い感じがした。
枝での構えを、ひと通り、繰り返したあと。
「じゃあ、本物の剣、すこしだけ、握ってみますか」
「いいんですか」
「うん。ぼくの剣、軽いほうなので、最初の感じだけ、覚える分には、ちょうどいいと思います」
カゲトは、丸太のうえから、自分の剣を取って、鞘ごと、ステラに、両手で、差し出した。
「鞘、抜かないで、持ってみてください。重さだけ、覚えるので」
「はい」
ステラが、両手で、その鞘を、ぎゅっ、と、持った。
「……あ、思ったより、重い、です」
「ですよね。鋼って、見かけより、ずっと、重いんです」
「これ、カゲトさん、片手で、持って、戦ってるんですか」
「片手の時間は、ほんの一瞬、です。基本は、両手です」
「なるほど」
「じゃあ、構えて、みてください」
ステラは、両手で、鞘ごと、剣を、軽く、構えた。
カゲトの教えてくれたとおり、足を、半歩、狭めに開いて、卵を握るくらいの力で、柄を、握って。
しばらく、その姿勢で、立っていた。
そして、すこし、首を、ふっ、と、傾げた。
「あの、カゲトさん」
「はい」
「これ、なんか、私には、ちょっと、短い、ですか?」
「あ……」
カゲトは、すこし離れたところから、ステラの構えを、しばらく、見ていた。
ステラは、カゲトより、ずっと、背が高い。
腕も、彼女のほうが、長い。
そのステラが、カゲトの、彼の背丈に合わせて選んだ剣を、構えると、
剣の切っ先が、彼女の身体の前で、すこし、内側に、寄りすぎているように、見えた。
腕が、まだ、伸びきっていない、というか、
剣が、彼女の腕の長さの、ぜんぶを、使えていない、という感じだった。
「……ですね。ちょっと、短いです」
カゲトが、低く、言った。
「ぼく、これ、自分の身体に、合わせて、選んだので。ステラさんが構えると、腕に、すこし、余りが、出ます」
「あ、やっぱり」
「ステラさんは、たぶん、もうすこし、刃の長いほうが、合います」
「ロングソード、ってやつですか」
「うん、たぶん、それくらい」
「ロングソード、私、振れますかね」
ステラが、すこし、不安そうに、自分の細い手のひらを、ぱっと開いた。
カゲトは、しばらく、その白い手のひらを、見ていた。
「振れる、と、思います」
「ほんとですか」
「うん。重くて、振り回されない、ようには、しなきゃ、いけないですけど。ステラさんの、腕の長さなら、刃の長さ、ぜんぶ、使えます」
「使えるんですね」
「うん。あと、ステラさん、いずれ、魔法と、剣、合わせるかもしれないので。刃が長いほうが、魔力、乗せる場所、ひろくなります」
「あ……」
ステラの目が、ふっと、明るくなった。
「それ、ちょっと、いいかも、です」
「ぼくの剣の振り方、ステラさんが真似するときも、たぶん、刃が長いほうが、自然です。届く距離が、長くなる分、相手を、ちょっと、ずらすのが、ぼくよりも、楽になります」
「カゲトさんの剣を、私が、伸ばす感じ、ですか」
「うん。そんな、感じ、です」
ステラは、両手の鞘を、ぎゅっ、と、握り直してから、
「カゲトさん」
「はい」
「街、出ましょう」
「いま、ですか」
「はい。鋼って、見ないと、わからないって、お祖母ちゃんが、言ってました。武具屋さん、近くに、ありますよね、たぶん」
「うん。昨日、ギルドの帰りに、看板、見かけました。広場の、東のほう」
「行きましょう」
ステラは、カゲトの剣を、丁寧に、丸太のうえに、戻した。
それから、ぱたぱた、と、髪結びを、解いて、銀色の髪を、肩に、ふっ、と、戻した。
朝の光のなかで、解かれた髪は、ふしぎに、いっそう、淡く、銀色に、輝いて見えた。




