第14話 街道の夜
夜が、ゆっくりと、降りてきた。
焚き火のはぜる音と、近くの沢の音と、ときおり遠くの夜鳥の声と。
そのほかは、ほとんど、何もない時間だった。
ふたりは、火を挟んで、それぞれの毛布を肩に羽織って、座っていた。
ステラは、煎じたお茶の最後のひと口を、ゆっくり飲み干してから、ぽつりと言った。
「カゲトさん」
「はい」
「お祖母ちゃんの話、しても、いいですか」
「ぜひ、お願いします」
ステラは、しばらく、空を見上げていた。
ぽつ、ぽつと出始めた星の数を、心のなかで数えているような顔だった。
「私のお祖母ちゃんは、ものすごく薬草に詳しい人で、村ではみんな、なにかあると、彼女に診てもらってました。お医者さんが、村にはいなかったので」
「うん」
「私、子どものころ、外で遊べないことが多くて、ずっと、お祖母ちゃんのそばにいました。本を読んでもらって、薬草の絵を覚えて、ときどき、外に少しだけ出してもらって、見せてもらって」
「いいおばあちゃんですね」
「うん。すごく、いいお祖母ちゃん、でした」
ステラは、過去形のところで、ほんの一瞬、声のへりが揺れた。
それでも、すぐに、自分でその揺れを、ふっ、と抑えた。
「私の、お父さんとお母さんは、もっと早くに亡くなって。私は、お祖母ちゃんに育てられました」
「あ……」
「だから、お祖母ちゃんが、半年前に亡くなったとき、本当に、ぜんぶの家族が、いなくなった、って思いました」
ステラは、毛布のへりを、両手で引き寄せた。
暖かさを求めた、というより、何かを抱きしめた、というふうに。
「亡くなる前に、お祖母ちゃんが、私に言ったんです」
「なんて」
「『ステラ。あなた、銀の星みたいな子だ。ひとりでも、空にぽつんとあれば、誰かの目に止まる。だから、ひとりでも、こわがらないで』って」
ステラの瞳が、焚き火の橙色に映って、薄く、湿った。
そのあとに続けたい言葉を、彼女は、しばらく、口のなかで探していた。
「私は、ぜんぜん、星みたいに、強くないです」
「うん」
「ひとりは、こわかったし、いまも、こわいです」
「うん」
「でも、お祖母ちゃんが、ちゃんと、最後にそう言ってくれたから、ひとまず、村の外には、出てこられました」
ステラは、しばらく、火のなかを、じっと見ていた。
それから、すこし、口の端に、はにかんだような笑みを浮かべた。
「ファールスのギルドに行ったときに、マリエルさんが、こっちにいらっしゃい、って言ってくれて。それから、隣にカゲトさんがいてくれて。だから、いまは、ぜんぜん、ひとりじゃないです」
「うん」
「お祖母ちゃんに、ちゃんと、教えてあげたいです」
ステラの声は、湿ってはいたが、泣いてはいなかった。
ただ、夜の風に吹かれた葉っぱのように、すこしだけ、震えていた。
カゲトは、しばらく、何も言わなかった。
焚き火のはぜる音が、ふたりのあいだに、何度か、ぱちん、と挟まった。
「……僕の話も、してもいいですか」
やがて、彼は、低く言った。
「はい。聞きたいです」
ステラは、両手で毛布を抱えたまま、こちらを見た。
「僕の両親は、僕が、まだ、剣を握れない頃に、亡くなりました」
「あ……」
「父は、流行り病で、母は、その看病で、追いかけるみたいに」
「カゲトさん……」
「あ、平気です。もう、ずいぶん前のことなので。僕、両親の顔、ぼんやりとしか、覚えてないです。だから、すごく悲しい記憶、っていうのとは、ちがって」
ステラは、そっと、頷いた。
急かさない頷き方だった。
「両親が亡くなってから、僕は、村のお寺に引き取られて、そこで育ちました。住職さんは悪い人じゃなかったけど、たくさんの子を、まとめて世話してくれてた感じで。だから、僕は、自分のことを世話してもらえてる、っていう実感が、あんまり、なくて」
「うん」
「身体が弱かったので、村の子たちには、よく、いじめられました。役立たず、って」
ステラの眉が、ほんの少し、寄った。
彼女は何も言わなかったが、何かを我慢しているような顔をしていた。
「だから、剣を始めたんです」
カゲトは、自分の手のひらを、火明かりに透かして見た。
細い指、薄い手のひら。たしかに、力ある男の手では、なかった。
「強くなりたい、って思ったわけじゃ、なかったです。ただ、ぼうっと、自分の手のなかに、何か、あってほしかった。誰にも頼らずに、自分の手のなかに、ある何か」
「うん」
「それが、僕には、剣でした」
焚き火が、ぱちん、と一度、はぜた。
風が、上の枝を、軽く、ざ、と揺らした。
「だから、ステラさんの話を聞いてて、ちょっと、わかる気がしました」
「カゲトさんも、家族、いないんですね」
「いないです。もう、ずっと」
ステラは、しばらく黙ってから、毛布の中で、両膝をすこしだけ抱えた。
そして、上を見上げた。
「カゲトさん、星、見えます?」
カゲトも、視線を、上に上げた。
夜は、もう、すっかり降りていた。
梢の隙間から、ぽつ、ぽつ、ではなく、ばあっ、と、無数の星の粉が、空にこぼれていた。
ファールスの街の上では、こんな数の星は、見えなかった。
「すごい」
それしか、言葉が出てこなかった。
「銀星」
ステラが、低く、つぶやいた。
「お祖母ちゃんは、こういう星のことを、銀星、って呼んでました。色のついた星じゃなくて、白くて、ちょっと冷たい色の星。それが、私の魔法の名前にも、なってます」
「銀星」
カゲトも、口のなかで、その言葉を、繰り返した。
「私の魔法は、お祖母ちゃんからの、贈り物みたいなものです。星の力を借りる、ってお祖母ちゃんは言ってました」
「いい、贈り物ですね」
「うん。でも、ひとつ、お祖母ちゃんには言ってないことがあって」
「なんですか」
ステラは、少しだけ、いたずらっぽく、笑った。
「お祖母ちゃんは、ひとりでも怖がらないで、って言ってくれたんですけど、私、本当は、ひとりが怖い、ってことを、ずっと、伝えられないままでした」
「うん」
「だから、伝えられなかった代わりに、いま、ちゃんと、ひとりじゃないやり方で、生きていけるように、なりたいんです」
ステラの声は、すごく、静かだった。
けれども、決意のようなものが、その底に、芯としてあった。
カゲトは、しばらく星を見たあと、口を開いた。
「僕も、似たような気持ちです」
「うん」
「ひとりで生きていけるように、剣を覚えてきたんですけど、最近、なんとなく、ふたりで生きていく、っていう道もあるんだな、って、思うようになりました」
「うん」
「それは、ステラさんに会ってから、です」
ステラの瞳が、すこし、揺れた。
それから、彼女は、毛布のなかで、ほんの少しだけ、頬を赤くした。
「えへ……」
それしか、言わなかった。
それで十分、というふうに、ステラはふっと、星空に視線を戻した。
焚き火の橙色と、頭上の銀色の星と。
ふたつの光のあいだに、ふたりは、毛布を肩にかけたまま、しばらく、何も言わなかった。
ふしぎな夜だった。
切なさと、温かさが、同じ呼吸の中に、ちゃんと並んで存在している。
そういう夜だった。
見張りは、二交代で決めた。
前半をカゲト、後半をステラ。
ステラを夜中に起こすのは少しかわいそうな気もしたが、彼女自身が「ちゃんと、それも、覚えたいです」と言って譲らなかった。
ステラを毛布にくるんで先に寝かせ、カゲトは、火のそばに腰を下ろした。
剣を、抜き身ではなく、鞘ごと、膝のうえに置いた。
刃を抜いておかないのは、急に振り向いたときに自分や相手を傷つけないためだ、と、村のはずれの夜、誰に教わったわけでもなく、自分で気づいたことだった。
夜は、しんと、深かった。
ステラの寝息が、毛布のなかから、規則的に聞こえてきた。
ふだん起きているときよりも、ずっと幼く、ずっと小さい音だった。
それを聴いていると、カゲトは、なんだか、自分の胸の奥のあたりに、薄く、温い水がたまってくるような感じがした。
守る、という言葉のかたちが、ふだんよりも、はっきりと、彼の中で、輪郭を持った。
焚き火に、ときどき、新しい枝を足す。
そのたびに、ぱちん、ぱちん、と乾いた音がして、火の影が、林の幹に、ふっ、ふっ、と揺れた。
夜鳥が、遠くで、二度、ほうほう、と鳴いた。
それきりだった。
予定の時刻より、すこし早く、ステラが起きてきた。
「ステラさん、まだ、時間ありますよ」
「目が、覚めちゃって」
ステラは、あくびを噛み殺しながら、頭の上の銀色の髪を、両手で、もしゃもしゃと整えた。
毛布のあとが、頬に、ぽよっと斜めについている。
「カゲトさん、長すぎませんか、見張り」
「いえ、まだ大丈夫です」
「ぜったい、ねむいですよね」
「ちょっとは」
「もう、交代です。寝てください」
ステラは、てきぱきと、自分の毛布を肩に羽織って、火のそばの石に、ちょこんと座った。
「あの、毛布、貸してください。私、座って起きてます。横になると、ぜったい、また寝ちゃうので」
「えらい、です」
「えへ。あ、カゲトさん、ぐっすり寝てください。お祖母ちゃんに、夜は神様も寝るって、教わりました」
「神様、寝るんですね」
「お祖母ちゃん談、です」
ステラは、ふふっ、と、小さく笑った。
カゲトは、ゆっくりと、毛布のなかに身体を入れた。
ステラのぬくもりがまだ薄く残っていて、それが、ふしぎに、安心の匂いがした。
目を閉じる前に、彼は、火のそばのステラの背中を、もう一度だけ見た。
毛布の上から、すこし、丸まって座っている、小さな背中。
そのうえを、明け方のすこし手前の、藍色の空が覆っていた。
「ステラさん」
「はい」
「眠くなったら、起こしてください」
「はい。でも、ぜったい起こさないので、安心してください」
「あ、そういう感じなんですね」
「えへ」
毛布のなかで、カゲトは、少しだけ、笑った。
そのまま、眠りに落ちるまで、それほど、時間はかからなかった。
次に、彼が目を覚ましたとき、もう、林の梢の上は、薄白く明るくなっていた。
ステラは、ちゃんと火のそばに座っていた。
焚き火は、もう、ほとんど熾火だけになっていた。
彼女の銀色の髪のうえに、朝もやが、薄く、シルクの幕のようにかかっていた。
「おはよう、ございます」
ステラが、振り向いて、にこっと笑った。
目のまわりが、すこし、赤い。
やはり、眠かったのだろう。
「おはよう、ございます。ちゃんと、起きててくれたんですね」
「ぜったい起こさない、って、約束しましたから」
「ありがとう、ございます」
カゲトは、毛布から這い出して、ぐっと伸びをした。
肩の付け根が、こりこりと鳴った。
夜露で、空気がしっとりと冷たかった。
ステラは、ちょっとだけ、いたずらっぽく口の端を上げた。
「カゲトさん、寝言、言いました」
「えっ」
「『ステラさん、危ない』って」
「……あ」
「えへへ。たぶん、夢のなかでも、私のこと、守ってくれてたんですね」
ステラは、ものすごく嬉しそうに、目を細めた。
カゲトは、自分の頬が、ぼっ、と、薄く熱くなるのを感じた。
それを誤魔化すために、彼は、慌てて熾火に、新しい小枝を一本だけ落として、強引に、火を熾し直し始めた。
「お、お湯、沸かして、出ましょうか。残ったパン、温めて、食べないと」
「はい、お願いします」
ステラは、それ以上いじることはせず、自分も小さく伸びをして、立ち上がった。
片付けは、思ったより、ゆっくりだった。
焚き火の窪みは、ちゃんと、土をかぶせて埋めた。
石は、もとあった場所のあたりに、戻した。
夜、ふたりが座っていた跡だけが、踏み固められた草として、わずかに残っていた。
ステラは、最後に、その場所に向かって、ぺこっとお辞儀をした。
「お世話になりました」
「だれに、言ってるんですか」
「林に、です」
カゲトは、すこし考えてから、自分も、林に向かって、ぺこっと頭を下げた。
「お世話になりました」
それが、ふたりの、最初の野営の、終わり方だった。
街道に戻ると、朝の光が、いつのまにか、もうしっかりと、東の空のほうに上っていた。
雲は、薄かった。
風は、出ていなかった。
井戸のおじさんが言っていたほどには、ひどい夜にはならなかった、ということだ。
ステラが、街道のへりで、すこし背を伸ばしてから、こちらを向いた。
「行きましょう」
「はい」
「リファーラまで、あと、二日くらい、ですね」
「うん。地図で言うと、もう、半分は来ました」
「えへ。なんだか、私、ちょっと、たくましくなった気がします」
「あ、それ、わかります」
ふたりは、ふっと笑い合って、また、街道の土を、たんたん、と踏み始めた。
夜の話は、もう、口には乗せなかった。
けれども、ふたりの胸の奥のほうには、たしかに、ひとつ、銀色の小さな星のようなものが、
ぽつ、と、
あたらしく、灯っていた。




