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第13話 街道を歩むふたり

ファールスを発って二日目の午後だった。


最初の宿場でひと晩を借り、ふたりは朝のうちに、また街道に戻っていた。

次の宿場までの距離は、地図の縮尺で見ると、徒歩のおよそ一日半。

つまり、今夜は宿場と宿場のあいだのどこかで、夜を明かさなければならない。


「野営、ですね」


歩きながら、ステラがすこし弾んだ声で言った。


「はい」


「私、初めてです、外で寝るの」


「あ、僕も、ちゃんとした野営は、初めてに近いです。村のはずれで一晩、剣を振りつかれて寝てしまったことが、何回かあるくらいで」


「それ、野営、っていうんですか?」


「……野宿、ですね」


ステラは、ふっ、と吹き出した。

彼女の足取りは、出発したばかりのころより、ずっと軽くなっていた。

ファールスを出る朝に湿らせた目元は、もうすっかり乾いていて、目のまわりは、新しい風景を吸い込むためにあるみたいに、ぱっちりと開いていた。



風景は、すこしずつ変わっていた。


ファールス周りの、低い丘と畑が交互につづく景色から、街道の右手のほうに、薄青い山並みがゆるやかに連なる景色へと、地平線が少しずつ高くなっていた。


風には、土の匂いに混じって、若い穂のような、青臭い匂いが乗り始めていた。

麦畑か、それに似た作物の畑が、街道のそばを、ぽつぽつと過ぎていく。


「……知らない景色ですね」


ステラが、しみじみと言った。


「ファールスの北は、何度か行きました。森の奥まで。でも、この方角は、初めてです」


「うん、僕も、です」


「同じ国の、同じ街道なのに、こうも、ちがうんですね」


彼女は、両手を、軽く後ろで組んで歩いていた。

そのリズムが、いま、彼女のいちばん安定した歩き方らしかった。


途中、ふたりは、街道沿いの石造りの井戸で、いちど水を補充した。

近くで畑を耕していた老夫婦が、ふたりを見て、しわのなかから笑いかけてくれた。


「冒険者かい」


「はい」


「リファーラまでかね」


「はい、リファーラまで」


「気をつけて。今夜は風が出るかもしれないから、火、ちゃんと囲っときな」


「ありがとうございます」


ふたりが頭を下げると、老夫婦は満足そうに、また鍬を握り直した。

井戸を離れて、しばらく歩いてから、ステラがしみじみとこう言った。


「街道にいる人、みなさん、優しいですね」


「うん、ですね」


「街道の途中の人って、旅の人を、ちゃんと、旅の人として扱ってくれます」


「あ、それ、わかります」


ステラは、しばらく考えてから、ふっと付け足した。


「村の中でだけ生きてた頃って、旅の人がどんな顔をしているか、考えたことなかったんです。お祖母ちゃんが亡くなったあとに、初めて、旅をしたいって思いました」


「うん」


「いま、旅の人になってみたら、なんていうか、お祖母ちゃんが、生きてた頃にしてくれてた優しさと、ちょっと、似てる感じがします。そういう優しさが、街道のところどころに、あって」


ステラの声は、淡かった。

湿ってはいなかったが、風に吹かれた花びらのように、すこしだけ、心の奥のほうから出ているようだった。


カゲトは、それに、すぐには答えられなかった。

答えるには、自分のなかに、まだ言葉になっていないものが、いくつかあった気がした。


「……夜、お祖母ちゃんの話、聞いてもいいですか」


やがて、彼は、そう尋ねた。


ステラは、すこし驚いたように振り向いてから、ふっ、と微笑んだ。


「いいですよ。あんまり、面白い話じゃないですけど」


「面白くなくて、いいです」


「……はい」


ふたりの足音が、街道の土を、たんたん、と叩いていた。


陽は、ゆっくりと、ふたりの背中の側に傾き始めていた。

野営に向く場所を見つけたのは、陽がまだ、林の梢のあたりに引っかかっていたころだった。


街道から五十歩ほど外れた、低い木立のなかの、開けた場所。

近くに、細い沢が走っていて、水の音が静かに聞こえる。

頭上の木々の枝は、夜風を、ちょうどよくふんわりと遮ってくれそうだった。


「ここ、良さそうですね」


「うん、すごく」


ふたりは、荷物を、開けた場所のへりに下ろした。

それから、カゲトは、まず、ぐるりと一周して、地面の状態を確かめた。

落ち葉、湿りすぎた土、根元の太い木、それから、火を熾しても枝に届かない位置を、目で測る。


「ステラさん、できたら、乾いた小枝、集めてもらえますか」


「はい。どれくらい?」


「両手いっぱいで、二回くらい。あんまり太いのは、いまは要らないです。最初は、細くて短いの」


「わかりました」


ステラは、薄暗くなり始めた林のなかへ、するすると入っていった。

杖は、その細い手にしっかりと握られていた。

離れたところでも、彼女がぱきぱきと枝を折る音が聞こえた。


そのあいだに、カゲトは、開けた場所の中央に、少し深く土を掘った。

石を、近くから二、三個運んできて、掘った穴のへりに、半円に並べる。


彼の身体が、自然に動いていた。

村のはずれの林で、何度か練習したように、火を熾すための窪みは、すぐに形になった。


「これだけで、いいですか?」


ステラが、両手いっぱいに小枝を抱えて、戻ってきた。

ぱっと見ても、ちょうどいい量だった。


「ばっちり、です」


「えへ、よかった」


ステラは、小枝の山を、カゲトの隣にそっと下ろした。

それから、しゃがんで、彼の作った窪みを、興味津々の目で覗き込んだ。


「これ、火、ここで熾すんですね」


「はい。窪みのなかでなら、風に煽られても、すぐ消えにくいです」


「上に石を組んで、囲うとかは……?」


「あ、それ、本当はそうしたほうが安全です。今夜は風が出るって、井戸のおじさんが言ってたから、もう少し、石、追加しましょう」


「私、もうふたつくらい、拾ってきます」


ステラが、ぴょこんと立ち上がって、また林の方へ駆けていった。

やけに楽しそうだった。



火打石が、しゅっ、と乾いた音を立てた。


細い鋼の片に、固い石が斜めに切り込み、小さな火花が、ぱちっ、と散った。

そのうちのひとつが、カゲトが用意していた、薄い乾いた草のかたまりに落ちた。


「あっ、ちっちゃい煙が」


戻ってきていたステラが、しゃがみ込んで、息を詰めていた。

カゲトは、その煙の根のあたりに、ふっ、と息を吹き入れた。

細く、長く、まっすぐに。


薄い赤が、煙のなかに、ちらりと現れた。

もう一度、息を吹く。

赤が、ぱあっと広がって、初めての小さな炎になった。


「うわあ……、上手」


「これは、何度も練習したので」


「私、村でも、火を熾せたことが、あんまり、なくて」


「魔法、使えるなら、火、すこしくらい起こせそうな気もしますけど」


「私の魔法、銀星系で、ぜんぶ冷たい系統なんです。お湯沸かすほうの魔法、まだ覚えてなくて」


「あ、なるほど」


「火、見るの、好きです、でも」


ステラは、しゃがんだまま、両手で頬杖をついて、小さな炎を、じっと見ていた。

炎の橙色が、彼女の銀色の髪に、ふしぎに馴染んでいた。


炎が安定したところで、カゲトは、もう少し太い枝を加えた。

煙は、最初少しだけ立ったが、風が抜けたあとは、ほとんど見えなくなった。


「お腹、減りましたね」


「減りました」


ふたりは、声を揃えて、笑った。



夕餉は、簡素なものだった。


携帯食用の、固焼きのパン。

塩漬けの肉を、薄く切って炙ったもの。

それを、温めた水に浸して、噛みやすくする。


ただ、ひとつだけ、ステラが工夫を加えた。


「あの、これ、入れてみても、いいですか」


彼女は、布の小袋から、乾いた葉と、ねじれた根のようなものを、ぱらぱらと取り出した。


「それ、なんですか」


「お祖母ちゃんに教わった、葉っぱ。煎じると、ちょっとだけ、お茶みたいになります。あと、これは、ジンのように香りがする根」


「魔法も使うし、薬草も詳しいし、料理もしそうな勢いですね」


「料理は、苦手です。ぜんぜん。火加減が、わからなくて」


「あ、料理は、苦手なんですね」


「えへへ……、すみません」


ステラが、葉と根を、温めた水のなかに、ぽちゃんと落とした。

しばらくすると、薄い緑色のお湯から、ふしぎに落ち着く香りが立ち昇ってきた。


ふたりは、それぞれの木の器に、その湯を注ぎ分けた。

ひと口含むと、口のなかに、軽い苦みと、薄い甘さと、そして、どこか草原の匂いに似た香りが、ふわっと広がった。


「あ、おいしい」


「本当ですか」


「ほんと、です。ぜんぜん、お湯、っていう感じが、しないです」


ステラは、自分の器の縁に唇をつけたまま、ちょっと、誇らしげに目を細めた。


「お祖母ちゃんに、ありがとうって、言いますね、あとで」


彼女は、上の空を見上げて、そう呟いた。

焚き火の煙の流れる先のほうに、もう、薄く、星が滲み始めていた。

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