第11話 帰る道
ふたりは、しばらく、その場で、動けなかった。
ステラの杖を持つ手が、強く震えていた。
ふだんの暴発のあとの震えとは、ちがう種類の震え方だった。
カゲトの足も、本当のことを言うなら、すこし、震えていた。
彼は、なるべくそれを、ステラに気づかせないように、深く、ゆっくりと息を吐いた。
「……いきましょう」
「はい」
六束のナイトレース草を抱え直して、ふたりは、来た道を戻り始めた。
歩き始めて、しばらくのあいだ、ふたりは、ほとんど話さなかった。
話せなかった、と言うほうが、近かったかもしれない。
森の出口が見えるあたりまで来て、ようやくステラが、ぽつりと言った。
「カゲトさん」
「はい」
「私、いま、剣を、抜こうとしました」
「……ええ」
「最後の一匹が、私のほうに飛んできたとき、左手で、背中の柄を、確かに、握りに行きました」
ステラの声は、自分の手元を見つめながら、低く落ちていた。
「でも、抜かなかったんですね」
「抜きませんでした。詠唱を、続けるほうを、選びました」
「……」
「あれは、正しかったですか」
カゲトは、しばらく、答えに迷った。
答えに迷ったというより、自分のなかで、いちばん本当の答えがどれか、ゆっくり手探りで掬い上げる時間が、必要だった。
「正しかった、です」
彼は、そう答えた。
「もし、あの瞬間に剣を抜いていたら、ステラさんの魔法が間に合わなくて、たぶん、群れを退けられませんでした。逃げ切ることも、難しかったと思います」
「……はい」
「最後まで、信じてもらって、ありがとうございます」
それを言ってから、自分の声が、思っていたよりかすれているのに、カゲトは気づいた。
ステラは、それに気づいたらしく、彼の横顔を、すこし長くじっと見た。
「カゲトさん」
「はい」
「怖かったですか」
「……怖かったです」
「うん」
「正直、ぎりぎり、でした」
ステラの瞳が、すこしだけ、緩んだ。
そして、ためらいがちに、こう言った。
「私も、です。いま、すごく、怖かった、です」
そう聞いて、カゲトは、なぜか少しだけ、ほっとした。
怖かったのが自分だけではなかった、というのは、変に、安心することだった。
森を抜けると、午後の早い時間の陽が、街道を平らに照らしていた。
ふたりは、街道のへりに腰を下ろし、しばらく息を整えた。
ステラは、両手で水筒を抱え、ちびちびと、噛みしめるように水を飲んでいた。
「カゲトさん」
「はい」
「私、もうすこし、強くなりたいです」
それは、初めて、ステラの口から、はっきりと出た言葉だった。
「魔法も、もっと、確実に。それから、足運びも、距離感も。剣は、最後の最後に取るためのものだから、最後にちゃんと取れるくらいの、地力がほしいです」
「うん」
「いまの私だと、もし、最後の一匹が二匹になっていたら、たぶん、間に合いませんでした」
「うん」
「だから、もっと、いろんな相手と戦って、いろんなことを覚えたいです」
ステラの目は、もう、震えていなかった。
森のなかでの震えが、地面の下で、別の形に変わって、彼女のまんなかに、芽吹いてしまったみたいだった。
「……僕も、です」
カゲトも、ほぼ同じように、答えた。
「ファールスじゃ、たぶん、これ以上の依頼は、あんまり貼り出されないです」
「うん。マリエルさんも、そんなふうに言ってましたね、前に」
「そう、ですね。もっと色んな依頼が、もっと色んな人と組める依頼が、貼り出される街に、行ってみても、いい気がします」
ステラは、こくっ、と頷いた。
そして、すこし、口の端に、はにかんだような笑みを浮かべた。
「私、ファールスのほかの街、行ったことなくて」
「僕も、です」
「えへ。じゃあ、いっしょですね」
「いっしょ、です」
立ち上がって、街への道を歩き始めるとき、ふたりの胸の奥には、
いま潜り抜けた森の冷たさと、
これから向かう街の、まだ知らない明るさが、
ふしぎなぐあいに、混ざり合っていた。
ギルドに戻ると、マリエルは、報告を聞き終えてから、長く息を吐いた。
「無事、なのが、一番」
それから、ナイトレース草の六束を、丁寧に確認した。
「立派ね、これだけ採れれば、半額の依頼としては、十分すぎる」
報酬の銀貨を、ふたりに半分ずつ、渡してくれた。
それから、机のうえに肘をついて、ふたりの顔を、ゆっくりと見た。
「で、ふたりとも、決めた?」
「決めたって、なにを、ですか」
「街、出るって決めたか、訊いてるの」
ふたりは、ぱちり、と顔を見合わせた。
言ってもいないのに、なぜ、と書いてあるような顔だった。
マリエルは、ふっ、と、片頬で笑った。
「あなたたちの顔、もう、その顔をしてるから」
「そう、ですか……」
「ええ。ナイトレース草を半分、譲った時点で、こうなる気はしてた」
「あの……、出ても、いいんですか」
「いいに決まってるじゃない。あなたたちの足だもの」
そして、マリエルは、机のうえの大きな地図を、ふたりのほうに、すっと回した。
「次に行くなら、北東のほう。リファーラ。交易の街。ファールスの三、四倍くらいの大きさで、ギルドの依頼の数も、それに比例して多いわよ」
リファーラ。
ふたりは、その名を、声に出さずに、口のなかで一度ずつ、なぞった。
「徒歩で、まあ、四日くらいかしら。途中、宿場が二つあるから、夜道を歩かなきゃいけないことはない」
「ありがとうございます」
「準備できたら、声をかけて。私のほうから、リファーラのギルドに、紹介状を書いてあげる。それがあれば、向こうでいきなり詰まされたりは、しないから」
ステラが、深々と頭を下げた。
カゲトも、すこし遅れて、同じ角度に、頭を下げた。
ふたりが顔を上げたとき、マリエルの瞳は、ふだんより少しだけ、潤んでいるように見えた。
けれど、それを彼女は、すぐに、笑顔のなかに、しまい込んでしまった。




