第9話 北の薬草
訓練所での朝から、さらに数日が過ぎていた。
ステラ専用の、軽い細身の剣を、街の鍛冶屋でようやく見つけることができた。
刃は子供の腕ほどの長さで、装飾はほとんどない。鞘もごく簡素で、布の帯で背負えるようになっている。
それでも、棚の奥から出てきたそれを手にしたとき、ステラはほんの少しだけ瞳を潤ませた。
「初めて、自分の剣を、買った気分です」
「自分の剣ですよ。買ったのは、ステラさんです」
「あ、はい、そう、ですね……」
そう答えたステラの頬は、しばらく赤いままだった。
その朝、ふたりはまた、ギルドの掲示板の前にいた。
初級冒険者になってからの数日は、これまでの依頼を一段だけ難しくしたようなものを、いくつか繰り返していた。
畑荒らしの獣退治と、護衛と、薬草採取。
それを、もう七、八件はこなしただろうか。
けれども、その日の掲示板に貼られた依頼書のひとつを見つけたとき、ふたりは、ほとんど同時に、足を止めた。
「……これ」
ステラが、銀色の睫毛をすこしだけ寄せた。
依頼書には、こう書かれていた。
――北の森、第三沢から先で採れる、ナイトレース草、二十束。
――推奨:初級三名以上、もしくは中級以上一名と組むこと。
――報酬:銀貨二枚。
「ナイトレース草」
ステラは、その名を、口の中で繰り返した。
それから、ぱっと顔を輝かせた。
「これ、私、知ってます。祖母が、薬の本で『よく効くけれど、採れる場所が悪い』って書いてました」
「採れる場所が悪い」
「夜になると葉のふちが薄く光る草で、群れて生えるんです。けど、生えるのが、魔物の縄張りに近い、湿った土地ばっかりで」
ステラは、依頼書のその一行を、小さな指先でなぞった。
「採れたら、たぶん、街の薬屋で、何人もの人を助けられます」
彼女の声には、控えめに、明らかな熱があった。
カゲトは、依頼書の下にある条件を、もう一度ゆっくり読んだ。
「初級三名以上、もしくは中級以上一名と組むこと」――。
ふたりだけで請けるには、書かれている条件にひとつ足りない。
「マリエルさんに、訊いてみますか」
「はい」
マリエルは、依頼書を逆さに持って、しばらくの間、それを眺めていた。
「これ、ふたりは、無理かもしれない」
彼女の声は、優しかったが、はっきりしていた。
「ナイトレース草が採れる場所は、第三沢を越えた先――、ファールス周辺では、いちばん魔物地帯に近いの。常駐してるわけじゃないけど、よく群れが出るし、ホブゴブリンや、群れの狼が出たって報告も、ここ半年で何度かあった」
「ホブゴブリン」
「ふつうのゴブリンより、ひとまわり大きくて、賢い。槍を持ってる個体もいる」
ステラは、自分の杖をぎゅっと握った。
「あの……でも、二十束って、ということは、人手が要るから、ですよね? 強さの問題だけじゃなくて」
「半分は、たしかに人手の問題よ」
マリエルは、依頼書の隅に書かれた小さな注意書きを指でなぞった。
「採るのに時間がかかるの、ナイトレース草。根を傷めると枯れちゃうから、慎重に。だから、護衛の人数を増やしておきたいって、薬屋は思ってるはず」
「採取の人と、護衛の人を、別にするんですね」
「そう。ふたりだと、片方が必ず採取に専念できないから、両方が中途半端になる」
なるほど、とカゲトは思った。
彼は、ステラを見た。
ステラは、もう、考え込むのをやめていた。
なにか、決めた顔をしていた。
「マリエルさん」
「ん?」
「私たち、行ってきても、いいですか」
マリエルの片眉が、ゆっくり上がった。
「ふたりだけで?」
「はい」
ステラは、すこし口ごもりつつも、続けた。
「私、まだ、自分の魔法の力を、ちゃんと知らなくて。たぶん、いつか、もっと大きな仕事を受けるときに、自分が何ができて何ができないのか、わかっていないと、まわりに迷惑をかけてしまいます」
「ふん」
「だから、私たちが、たぶんぎりぎりまで対処できるくらいの依頼を、いま、受けたいです。命を懸けるところまでは、いきません。ぎりぎり、手前で、戻ってきます」
マリエルは、すぐには答えなかった。
ステラの瞳をじっと見て、それから、カゲトに視線を移した。
「カゲトくんは、どう?」
「同じ気持ちです」
「ステラちゃんを、守れる?」
「守ります」
それは、ためらわずに言えた。
マリエルは、しばらく黙ってから、ふっ、と短く息を吐いた。
それから、依頼書の右下に、自分の判子を、ぽんと押した。
「条件を、こう変えるわ。二十束じゃなくて、十束。残りは、別のパーティに採らせる。報酬は半分、銀貨一枚。受ける?」
「……受けます」
ふたりは、同時に頷いた。
「いい? 第三沢の手前まで。沢を越えるのは、危険を感じたらやめなさい。ナイトレース草は、沢のこちら側にも、まばらに生えてる」
「はい」
「ホブゴブリンの群れ、または狼の群れに出会したら、即、戻る。倒そうとしない。いいわね?」
「はい」
マリエルは、書類の下に、ファールスの北の地図を広げた。
そこには、北の森のなかに、いくつかの小さな線が走っていた。
「これが第一沢、これが第二沢、その先が第三沢。沢を越える前に、いったん休んで、空気を読みなさい。鳥の声がきえてたら、何かいる証拠だから」
彼女は、その地図の端を、指で軽くたたいた。
「気をつけて行ってきなさい。死ぬのは、なし、よ」
マリエルの声は、いつもどおり優しく、けれども、いつもより少しだけ、しっかりしていた。




