02-22. 旅の終わり
それはまるで、雷雲の中を駆ける竜にしがみついているようだった。
激しい揺れに体は容赦なく左右へ振られ、態勢を維持するのもままならない。
(くっ……まさかこれほどまでに危険なものだったとは――!)
水飛沫が雨粒のごとく降り注いで視界を奪い、轟音の圧が雷鳴のごとく響き渡って聴覚を狂わせる。
ガクン、と瀑布から落下するような激しい衝撃が急襲する。
ほんの少しでも油断すれば容易く宙へと放り飛ばされ、底なしの濁流へと飲み込まれてしまうだろう。
海竜の胴のように、細長いうねる道のりはまったく先が見えない。
必死に身をかがめ、荒れ狂う水流の揺れに耐え続けるしかないのか。
手に握りしめた武具――いや、このただの木製のオールなど、大自然の猛威の前には何の役にも立たない!
もう駄目か――と思ったその直後、まるで世界が塗り替えられたかのように、穏やかな時間が訪れた。
「はーい、ゴール地点に着きましたよ〜。お疲れ様でした!」
呑気で朗らかなインストラクターの声が響き渡り、私はようやく張り詰めていた肩の力を抜いて、深く吐息を漏らした。
――ふぅ。なんとも刺激的じゃないか、『ライン下り』。
* * *
「思っていた以上に楽しかったわね」
「もう、ミリーったらすっごい真剣な顔だったよ。まるで舞台劇で竜退治の騎士を演じる役者さんみたいだったかな」
アリサにそう指摘され、言われてみれば確かにもう少し子供っぽくはしゃいでも良かったかもしれない、と思い返す。
しっかりと救命胴衣を着用していたし、隣にはティアナが、後ろにはアンリエッタが私を守ろうと目を光らせてくれていたのだから。いやまあ、そこまで過保護にされなくても大丈夫なのだが。
それにしても、川をボートで下るなど穏やかな遊びかと思っていたが、思いのほかスリリングな体験だった。
それこそ海竜の背びれにしがみつき、荒れ狂う大海を渡っているかのような感覚を思い出してしまうほどに。
旅の最終日。
本日は王都へ帰るだけの予定だったが、せっかくなので午前中に観光地の「アクティビティ」とやらを体験することにしたのだ。
参加メンバーは私とティアナ、一晩でしっかり回復したアリサとエマ、そしてアンリエッタだ。
さわやかなフラワーハイキングに、先ほどのスリリングなライン下り。
午前中だけでも存分に満喫したが、これから街の目抜き通りに戻り、締めくくりのチーズ料理体験に向かうところである。
ん? もう一人はどうしたのかって?
「ヒューゴ君、なんだかお疲れなのね?」
「ああ、昨夜ちょっと眠れなくてな……」
「もう、駄目じゃない。お家に着くまでが旅なんだからね」
ヒューゴ一人だけが、猛烈な眠気をこらえている様子だった。
すまんな、昨夜は遅くまで後始末をさせてしまって。
今度お店に行ったとき、何か良い商品でも買ってあげることにしよう。
「おおっ、すごく良い匂い……!」
そうしてやってきたのは、昼食も兼ねたチーズ料理体験のお店だ。
この街の名物というだけあって、店内には実に様々な種類のチーズが並べられていた。
ごく一般的な品から、プルプルと揺れる驚くほど柔らかいタイプ、表面を鮮やかなカビやハーブで覆われた個性的な品々や、琥珀色に熟成された芳醇な一品、果ては保存食のようにカッチカチな塊まで多種多様だ。
そのままでも十分に美味しいのだろうが、ここは料理教室。
厚切りのチーズに直火でこんがり焼き色をつけてみたり、グツグツとスープに煮溶かしてみたり、茹でたてのパスタに手早く和えて濃厚なソースにしてみたりと、実際に自分たちの手で調理を進めていく。
「これは、危険ね」
「はい……どこか背徳感を感じずにはいられません」
「二人ともオーバーじゃないかな?」
中でも、じゅわじゅわと香ばしく溶かしたチーズを、肉や焼き立てのパンにたっぷり絡めて食べるのが一番美味かった。
最後は店自慢のピッツァで締めくくりだ。
どれどれ。
たっぷり数種のチーズがトロリと溶けた一切れを、はむっと口へ。
――うむ、うまい!
「ミリーちゃん、今日はとっても楽しそうね」
「ん? そうですか?」
アンリエッタがカメラを構えながら私に問いかけてくる。
……だから、私が食事している写真がなぜそんなに必要なのだろうか。
「昨日のダンジョン探索より、いい笑顔ね。ふふ、ミリーちゃんもやっぱり子供だなぁ」
「ははは、それはもちろん。まだ十歳ですから」
おっと、そんなに顔に出てしまっていたのか。
まあ、昨夜は最高の一戦をさせてもらったからな。
満たされた心のおかげか、この街を訪れた当初は斜に構えていた「観光地」という場所を、存分に味わってしまっているらしい。ふっ、まだまだ精神の修行が足りないようだ。
「あーあ、もう終わっちゃったな……」
一方で、アリサは旅の終わりに少し寂しげな様子を見せている。
「また皆でどこかへ出かければいいじゃない。もう少し経てば夏の長期休暇に入るのだから」
「うん、そうだね。あっ、次はジルハイム領へ行ってみたいかも」
え、我が家の領地へ?
「ダンジョンはないからね?」
「えっ? 普通の観光地でいいんだけど」
普通? 普通でいいのか。普通か。
「うぅむ、何かあったかしら……」
「ミリー様、一番の観光名所は西大陸最大の湖になります」
「! そうだ、昔行ったことがあるわ。さすがティアナ!」
「もう、ミリーったら」
今回の旅は私の提案だったとはいえ、チェルクリオではゲストの立ち位置だったからな。
我がジルハイム領へアリサが訪れるというのなら、ホストとして最大のおもてなしをせねばなるまい。
食事も終わり、後は魔導車で駅へと向かい、王都行きの列車に乗るだけだ。
明日からは、再び日常に戻るわけだな。
「皆様、お忘れ物はないでしょうか?」
エマの確認の声に、私は頭の隅に追いやってしまっていたことをふと思い出す。
昨夜のダンジョンの最下層で、何者かの視線を感じたこと。
(すっかり忘れていたな。あのダラスとかいう怪しい連中の気配ではないことは確かだが……)
だが、今となっては気のせいだったようにも思えてくる。
(まあ、いいか。なぜか悪い気配ではなかった覚えがあるからな)
そんなことよりも、明日からやらねばならないことが山積みだ。
学院の授業もある。クラブ活動もある。
さらには竜体術の改良について、ティアナの意見も聞いてさっそく手を付けてみるとしよう。
極致へと至った我が魔導ではあるが、まだまだ終わりは見えない。
ふっ、今世もなかなか楽しませてくれるじゃないか。




