02-04. 初等魔術学
一か月程の休暇期間が終わり、領地の屋敷から王都へと戻ってきた。
春の訪れとともに、王立レオノーラ女学院では後期の日程が開始される。
「ふふふ〜ん、ふ〜ん♪」
「ミリーったら、随分と嬉しそうだね?」
鼻歌を奏でながら次の授業の教室へと向かっていると、隣を歩くアリサが不思議そうな顔を向けてきた。
「次はいよいよ、一番楽しみにしていた授業だから、ついね」
「へぇ、そんなに楽しみにしてたんだ」
「数日前から、ずっとこのようなご様子でして……」
私の斜め後ろを隙なく歩くティアナは、珍しく少し疲れ気味の表情をしていた。
すまないな。期待が募るあまり、昨晩の修行には少し力が入り過ぎてしまったのだ。
なぜ胸を躍らせているかって?
ふふふ、後期の日程にはな、必修科目として「初等魔術学Ⅰ」があるのだよ!
その名の通り、魔術に関する授業である。
履修科目表を確認した時から、今日という日を待ち焦がれていたのだ。
楽しみにしないなどという選択肢があるだろうか、いやない!
まあ、前世で魔導の極致に至った私からすれば、いまさら魔術の基礎など幼児向けの絵本を読むようなものだ。
しかし、現代の魔術理論というのは、それはそれで好奇心を掻き立てられる。
私の知り得ない異なる視点から魔術を学び直すことで、新たな発見や、我が魔導のさらなる進化に繋がるかもしれないからな。
さらにさらに、午後には「初等魔法実技」という実際に魔法を扱う授業も控えている。
ははは、もはやテンションは限界突破だ。
さーて、まずは座学からである。
予習は完璧だ。それでは、現代の教師のお手並み、拝見させてもらおうか。
「はーい、みんな〜! 臨時教師の『アンリエッタ』でーす。こんにちはー♪」
……ん?
「私のことは『アンリ先生』って呼んでね♪」
……え?
「あれれ? みんなの返事が聞こえないぞ〜?」
……。
見知らぬ教師の奇怪な言動に、教室は水を打ったように静まり返っていた。
まるで、言葉を発した瞬間に竜の息吹に焼き尽くされるかのような緊張感が漂っている。
「んんん? みんな、お昼前だからお腹が空いて元気がないのかしら?」
そんなわけないだろう……。
臨時教師と名乗ったアンリエッタは、本気で不思議そうに首を傾げている。
おかしいぞ。事前の調べでは、魔術学を受け持つのは前期に数学を教えていた教師のはずだ。
もしかして教室を間違えたのだろうか。それとも、魔術の授業は明日だったのか?
「あ、ちなみに初等魔術学の授業になるよー。みんな教科書は忘れていないよね?」
どうやら何も間違えてはいないらしい。
うそ、だろ……。
「なんか……癖の強い人だね……」
隣に座るアリサが、苦笑いしながら沈黙を破った。
癖が強いというか……第一印象がぶっ飛んでいないか?
その後、アンリエッタは何事もなかったかのように、ごく自然な流れで自己紹介を始めた。
アンリエッタ・ヒュルゴール。
どうやら本来の担当教師が急遽転勤になったため、代わりに赴任することになったらしい。
一応、この学院の卒業生でもあるとのことだ。本当に?
「まずは半年間、よろしくねー!」
やる気満々な彼女の姿を、一番教壇に近い席から観察する。
ウェーブのかかった長い金色の髪に、朗らかで人当たりの良さそうな表情。黙っていればかなりの好印象を与えただろうに。
姿勢も良く、佇まいにはどこか気品がある。清潔感のある白を基調とした服装は、教師というより聖職者を彷彿とさせた。
年齢は教師としては若い部類だろう。二十代前半……あるいは、ギリギリ十代に見えなくもない。
常ににこやかに細められたその目からは、いまいち真意が読み取れなかった。
「あ、ちなみに私は、キラキラの二十二歳でーす」
いや、聞いてないけれど。
あと、何がどうキラキラなのだろうか……。
「それじゃ、さっそく授業を始めるねー」
ドン引きする周囲の空気など一切気にすることなく、アンリエッタはごく普通に教科書の一ページ目から解説を始めた。
凄まじいメンタルである。これが鋼の心――いや、もはや竜の心臓に違いない。
レオノーラ女学院の教師陣は誰も彼もが真面目な人格者だ。
とっつきにくいところもあるが、皆優秀で教え方も上手い。
さすがは王立を冠する教育機関だけのことはあり、それゆえ生徒にも高いレベルが求められる。
それを考慮すると、アンリエッタには正直「こいつ、大丈夫か?」と思わざるを得なかった。
そして、生徒たちが固唾を呑んで見守るなか始まった授業は――。
「魔術というのは広義の言葉で、その中に魔法や魔導という狭義の定義が――」
いたって普通だった。
(教え方は普通なのか!)
性格こそ個性的だが、臨時とはいえこの学院に赴任するだけのことはある。知識も教え方も確かで、教師としての能力は非常に優秀なようだ。
「――であるからにして、体内を流れる魔力を使って……」
とはいえ、肝心の内容はやはり初歩の初歩。
私にとっては、この学院に編入する前――試験勉強のために、主治医のヒルデガルデから教わった内容のおさらいに過ぎなかった。
「科学の発展とともに、今では魔導具を使うことが当たり前に――」
魔術や魔法の基礎理論自体は、前世の時代とさほど変わっていない。
大きく変化したのは、その「汎用性」だ。
現代では科学技術の進歩と相まって魔導技術が飛躍的に発展している。街を走る魔導車や、大勢の人間と物資を運べる魔導列車などが良い例だろう。
その発展を支えているのが、魔法の使用を補助する「魔導具」と呼ばれる便利なアイテムの存在だ。
個人の素質によって千差万別な魔法技能を、魔導具は型にはめたかのように、誰もが等しい結果として出力してくれる。
おかげで、物語に出てくる魔女のように怪しい鍋をぐるぐると混ぜたり、奇声を発する植物を引っこ抜いて毒々しい液体を作ったりする必要もない。そもそも、私が生きていた前世の時代にだってそんなものは存在しなかったがな。
「でもね、魔導具なしでも魔法を使えることは、便利だから。できるようになって損はないのよ」
アンリエッタが指をパチンとはじくと、バチリと雷の魔法がその場で発生した。
(おっ、意外に器用だな……)
などと感心していると、ふとアンリエッタと目が合った気がした。
気のせいか……?
あっという間に、臨時教師の真面目な授業は終了の時間を迎える。
最初はどうなるかと思ったが、十分に満足な内容であった。
「それじゃあ、午後の実技の時間もよろしくね〜」
あ、実技もこの人なのか……。




