01-16-ex. 不器用な男
俺の名はヒューゴ・ジルベール。
物心ついたときからアルド教の養護院で暮らしていた。
親の顔は見たことがないし、名も姓も教会で世話になった人が付けてくれたものだ。
養護院での暮らしは、今思えば窮屈そのものだった。
だが、衣食住に困ったことはなかったし、最低限の学を身につけることができたのは感謝している。
かといって、すべてに素直に馴染めていたかといえば、そんなことはない。
毎日決まった時間に祈りを捧げていたが、俺は「主」という存在をどうしても敬うことができなかった。
「もう、ヒューゴ君は本当に不器用なんだから」
当時、年上でまとめ役だった同じ養護院の奴によく言われていた言葉だ。
だからだろうか。こんな泥沼にはまることになったのは。
「で、案内してくれる余力くらいは残っているわよね?」
全身を強打され、地面に這いつくばっている俺の頭上から、どこか楽しむような声が降ってくる。
どうしてこんなことになったのか。
――時は、一か月近く前に遡る。
俺は王都にある、アルド教の教会へと足を運んでいた。
「……お呼びでしょうか、ゴードン司教」
「ヒューゴ、おまえに頼みがある」
心の中で盛大に悪態をつく。どうせ碌な頼みではないはずだ。
ゴードンは、王都のハスハール地区を管轄するアルド教の司教だ。
俺が養護院にいた頃はまだ一介の司祭に過ぎなかったが、今では地位を上げている。
正直に言って、人間のクズだ。
教会を訪れる信徒には聖人のような顔をしているが、その裏で、俺たちのような身寄りのない子供に……口にするのも汚らわしいことを平気でやっていた。
(どうして「主」は、こいつに罰を与えないのか。一番の謎だろ……?)
こういう奴に限って政治力だけは強く、また保身に敏感だ。
しかるべき場所に訴えたところで揉み消されるのだと、当時の俺でも理解していた。
「なに、簡単な依頼だ。先日、フィセン地区の教会で言葉を交わした子供がいただろう。彼女をこの教会まで連れてきてくれ、それだけだ」
子供?
「……確か、ジルハイム家の令嬢とおっしゃっていませんでしたか。ジルハイムといえば、東の地域の領主では?」
さすがの俺でもそれくらいの情報は知っている。
おそらく、おとなしく連れてこられる相手ではなさそうだ。先日のやり取りを見ていた限り、それは明白だった。
だからこそ、ゴードンは俺に白羽の矢を立てたのだ。
従順な駒として、そして泥をかぶせるのに適任だと判断したのだろう。
「手段は問わん」
「……露見すれば、刑務所に入るだけでは済まないと思いますが」
「心配は不要だ。いざとなれば、こちらで裏から手を回してやる」
「だからといって、リスクが大きすぎます!」
言わば領主の令嬢を誘拐しろ、ということだ。
下手をすれば極刑だぞ。
いくらゴードンの頼みといっても、こればかりは首を縦に振るわけにはいかない。
「ふん、私に逆らう気か? そういえば、お前が裏で支援しているあの養護院、いささか信心が足りていないようだな。今度、わたし自ら出向いてじっくりと教えを説いておこうか」
「……くっ」
養護院の子供たちを人質に取るつもりか。
ゴードンの太った顔が愉快そうににやける。
このクズを一発ぶん殴ってやりたい。
だが――結局、俺は従うことしかできなかった。
「任せたぞ。なるべく早くしてくれ。わたしも暇ではないのだ」
「……承知いたしました」
俺は成人して養護院を出ると、すぐに冒険者になった。
幸い、体力にも魔法の扱いにも自信はあったからな。
魔物が潜む地域へ赴き、討伐報酬や素材を売る日々。
数年で冒険者ランクは「B」へと昇格し、一人で生きていくには十分すぎるほど稼げるようになった。
余った金は、かつての俺と同じ身寄りのない子供たちのために、いくつかの養護院へ寄付している。
――だからこそ、ゴードンに目をつけられた。
アルド教内におけるちょっとした悶着の片付けや、教会や信徒の突発的なトラブル処理に、時折駆り出されたりする。
これまではまだ許容範囲のことだったが、今回ばかりは完全に度を超えている。
ゴードンが失脚してくれればいいのだが、アルド教内における奴の影響力は小さくない。
気乗りしないまま、俺はひとまず情報を集めることにした。
「そういうことか。すると奴の目的は……」
しばらくして、ゴードンがなぜジルハイム家の令嬢を連れてこいと命令したのか、その理由を突き止めた。
アルド教といっても、一枚岩の組織ではなく、内部ではいくつかの宗派が覇権を争っている。
ゴードンが属する宗派――「竜の呪い」を謳い、恐怖を煽ることで自分たちの影響力を強めてきた奴らにとって、「ミリアリア・ジルハイム」の存在は基盤を根底から揺るがす。
だからこそ、ゴードンも必死なのだ。
目的のためなら、どんな非道をしでかしてくるか、想像に難くない。
正直、激しく迷った。
だが、養護院の子供たちを人質に取られている以上、最初から俺に拒否権などなかった。
「まだなのか! 早くしろと言っただろう!」
「あと少し……待ってください」
どうにか彼女と接触し、協力してもらえないかとも考えた。
だが、それ以前に近づくことさえままならなかった。
今日も、王都にあるジルハイム家の屋敷を視認できる、近くの給水塔から見張りを続けていた。
「寒い夜なのに、ご苦労様ね」
「――ッ!」
決して油断していたわけではない。
あろうことか、ターゲット自らこちらへ接触してきたのだ。
千載一遇のチャンス。
(すまない、養護院の子供たちのためだ。悪いが、まずは教会まで付き合ってもらう)
――そう、確実に計画を遂行するはずだった。
だが、俺はこうして地面に無様にうつ伏せに倒れていた。
「敗者は黙って、言うことを聞きなさい」
上から降ってきたその声には、とても十歳そこらの子供とは思えない、圧倒的な威圧感が宿っていた。
なぜか俺は、このとき初めて「主」という存在を信じたくなった。




