01-09-ex. 真の主
「ティアナ、おまえに頼み事がある」
ある日、父に呼ばれ書斎へ向かうと、開口一番そう告げられた。
わたし――ティアナ・ブラントは、背筋を伸ばし、黙ったまま父の次の言葉を待った。
「王都のレオノーラ女学院を知っているな? そこの転入試験を受けてもらう」
「転入ですか……?」
あまりに唐突な父の言葉に、思わず声が漏れた。
「そうだ。来週から家庭教師をつける。必ず合格できるよう勉学に専念するように」
「しかし、あそこはかなりの難関だと聞き及んでいます。付け焼き刃でどうにかなるものでは……」
王立レオノーラ女学院は、ここウィンスフェルド王国でも随一の名門校だ。
国中の才女たちが集う場所であり、その門戸は極めて狭い。
転入ともなれば、求められる水準はさらに厳格なものになるはずだ。
「心配するな。受けるのは来年だ」
「来年? いったいどのような理由で……」
「それはまだ言えん。もしかしたら必要なくなるかもしれんからな」
父の真意は読めなかったが、その厳しい眼差しが、これが単なる気まぐれではないことを物語っていた。
話はそれで終わりのようで、わたしは静かに書斎を退出した。
(これでは、剣術の稽古に割く時間が削られてしまう)
わたしの夢は、アルド教に仕える特別な騎士――「竜騎士」になることだ。
ブラント家はアルド教の信徒の家系であり、代々多くの竜騎士を輩出してきた。
現在は家督を継いで政治に関わる父もかつてはそうであり、一番上の兄もその道を歩んでいる。
わたしもいずれは、と志してきたわけだが、その道筋がにわかに霞み始めた。
翌週から家庭教師がつき、わたしの生活は一変した。
座学に加え、貴族としてのマナー講義も厳しさを増した。
趣味程度に弾いていたヴァイオリンにも高い習熟が求められるようになり、息をつく暇もない。
それでも、僅かな隙間を見つけては、日課の剣の修練だけは欠かさず続けた。
そうして、あっという間に一年が過ぎた。
わたしは両親とともに、王都にあるレオノーラ女学院で転入試験に臨んだ。
筆記試験は事前に聞いていた通りの難関であったが、手応えは十分だった。
礼儀作法の実技や両親を交えた面談も、問題なく終えられたと思う。
その日のうちに合格を言い渡されると、厳格な父からも珍しく褒められた。
祝辞代わりに好きなものを一つ買ってくれるという。
「剣がほしいです! 兄も持っていた腕輪型の魔導具のものを」
「まったく、この子は誰に似たのかしら……」
母には呆れられたが、他にほしいものが思いつかなかった。
銀製の腕輪に刻まれた緻密な術式回路は、魔力を流せば瞬時に刃を形作る。
あくまで護身用の刃引きされたタイプだが、騎士を目指すわたしにとっては、合格の証以上に嬉しい贈り物だった。
そして数日後、父から入学の目的を告げられた。
「ミリアリア様……ですか?」
「うむ。領主であるジルハイム様の末娘の方だ。次期から彼女が入学されることになったのだが、おまえは彼女の従者となり、三年間生活を共にしてもらう」
「承知いたしました」
ミリアリア様といえば、アルド教にとって無視できない存在だ。
彼女は三年前、不治の病とされる亜竜病を発症し、そして、その病を克服したのだ。
「竜の呪い」とも呼ばれる、アルド教にとってはいわくつきの病ということもあり、当時はその真偽を巡って政治的な思惑が絡み、ひと騒動あったらしい。
今では落ち着いたようだが、一時期、父がひどく疲れ切った様子で何かとぼやいていたのが記憶にある。
護衛というのは建前で、アルド教に影響力のあるブラント家が傍に付くことで、ミリアリア様に対して余計な接触をさせないようにしたいのが本音なのだろう。
「亜竜病」と聞くと、わたしは叔母の話を思い出す。
叔母はアルド教の聖地、アルドグラードの出身で、教会の司祭を務める敬虔な信徒だ。
曰く――亜竜病は、竜が与える試練。それを乗り越えた者は、真竜アルドの力を分け与えられるのだ、と。
成長するにつれ、それは単なる御伽話か、信仰上の比喩だと思うようになっていった。
(けれど、もし、本当に……)
否定しきれない予感を頭の片隅に置きながら、わたしはミリアリア様とお会いする日を心待ちにした。
転入を一か月後に控えた時に、ついにミリアリア様とお会いすることになった。
これからの準備期間、ジルハイム家の屋敷で彼女と過ごすことになる。
「ティアナ・ブラントです。未熟者ではございますが、 精一杯お支えする所存です」
「そんなに畏まらなくてもいいのよ。これから一緒に学院へ通う仲なのだから」
緊張気味だったわたしを、ミリアリア様は穏やかな態度で迎えてくれた。
さすがに騎士の礼は大仰だったかと、内心で反省する。
少しだけ肩の力が抜けると、改めて彼女の姿がはっきりと意識に映った。
腰まで届く金色に銀を混ぜたような淡い色の髪、瞳はどこか翳りのある碧を湛えている。
命の宿った人形のような、不可思議な可愛らしさだった。
「長いから、ミリーでいいわよ」
「で、では……『ミリー様』と呼ばせていただきます」
握ったミリアリア様の手はとても柔らかかった。
だが、その穏やかな佇まいとは裏腹に、わたしは彼女に異様な空気を感じていた。
わたしの修める剣術は、武の技巧よりも精神の練達を重んじる。
それゆえ、同年代より落ち着いていると評されることが多かったが、ミリアリア様はそれ以上だった。
静謐で、どこか底知れないほど成熟した精神がそこに宿っているような――。
(叔母様の話は、本当だったのかな……?)
しかし、就寝時にぬいぐるみを抱いて寝る年相応で愛らしい姿に、「やはり気のせいか」とわたしは内心で苦笑し、胸をなでおろした。
ミリアリア様との生活が数日過ぎた、ある日のこと。
屋敷内の鍛錬室で型の稽古に励んでいると、珍しくミリアリア様がお一人で姿を現した。
「どうかしら。私の弟子にならない?」
突然の申し出に、耳を疑った。
ミリアリア様は、これまで剣を握ったことさえないはずだ。
長らく病床にあった影響で、その体躯は同年代よりも華奢で、体力もわたしに比べれば乏しいと把握している。
しかし、わたしを見つめる瞳には真剣な色が宿っていた。
「じゃあ、こうしましょう。私からいくわよ」
「は、はあ……」
生返事をしながら、わたしはどう応じるべきか迷った。
稽古をつけるにしても、怪我をさせないよう細心の注意を払わなければ。
そんなわたしの「油断」は、次の瞬間、無惨に打ち砕かれた。
ミリアリア様が何かを小さく呟いた刹那、肌を刺すような「何か」が大気を震わせた。
(これは……魔力!?)
かつて経験したことのない、恐ろしいまでに強烈な圧力。
生存本能が警鐘を鳴らし、わたしは弾かれたように剣を握る手に力を込めた。
「っ――!」
瞬きした、その一瞬。
視界から消えたミリアリア様が、すでにわたしの懐に飛び込んでいた。
反射的に木剣で防御を図る。しかし、彼女の掌底が触れた瞬間――。
バキっという激しい破壊音と共に、硬い木剣が薄い板切れのように根元からへし折れ、壁へと吹き飛んだ。
「私の勝ちね」
抗う術もなく、細い右手がわたしの首筋にぴたりと添えられていた。
(何が……起きたの?)
思考が現実に追いつかず、わたしはその場に縫い止められたように動けなかった。
「……おおっと」
「ミリー様!?」
直後、彼女の体がふらりとよろけた。
わたしは折れた剣を投げ捨て、咄嗟にその体を支えた。
「大丈夫、ちょっと疲れただけだから」
先ほどまでの覇気は完全に霧散し、ミリアリア様の全身から力が抜けていた。
その姿は、強大すぎる力に幼い肉体が追いついていないかのようだった。
それはまるで――、
『亜竜病は人が背負いし試練なのよ。それを克服した者は、アルド様の力を分け与えられる』
叔母の声が頭の中でリフレインする。
そう、まるでかつて大地に君臨したと言われる竜の力を片鱗。
本当に……ミリアリア様は、あの伝承を体現する存在だというのか。
「で、どうかしら。私の弟子に、なってくれる?」
魂が震えたのを感じる。
この日、わたしは護衛対象としてではなく――生涯を捧げるべき、真の主を得た。




