デート後の余韻
翌日、俺はいつもより遅く学校に到着した。昨日の出来事が気まずくてなかなか家を出られなかったし、学校へ向かう足取りも重く、歩くスピードも自然と遅くなってしまったからだ。
教室に入り、自分の席に鞄を置く。するとすぐに黒木がやってきて、前の席の椅子を反対向きに跨いで座り、俺の顔をニヤニヤとのぞき込んできた。
「お前ー! 昨日どうだったんだよー! メッセージ送っても全然返事しねえから気になってさ〜!」
「……ああ……」
生返事を返しながら、俺は斜め前の席に座るほのかちゃんへ視線を向けた。彼女はいつものように、友達と楽しそうに話をしていた。
昨日、あの公園で別れた後、ほのかちゃんからメッセージが来ることはなかった。そして俺からも送信できなかった。
なんと送ればいいのか、全く分からなかったからだ。キスを拒否したことを無かったことにして普段通り接するべきなのか、それともちゃんと理由を話して向き合うべきなのか。
……分かってる。本当は、自分がどうすべきなのかくらい。
一番いいのは、本当のことを彼女に伝えることだ。「実は男が好きかもしれない」と。そうすれば、彼女が「自分に魅力的がないから拒絶されたんだ」と無駄に傷つくことはない。男が好きなら仕方ないと、諦めもつくだろう。
でも――。
……バレたくない。絶対に、誰にも。
家族はもちろん、今目の前で無邪気に聞いてくる親友の黒木にだって、知られるわけにはいかないのだ。
それから数週間、俺たちが一緒に帰る日は目に見えて減っていった。あれほど毎日続いていたメッセージのやりとりも、時々になり、やがてごくたまに送る程度になっていった。
彼女の心が俺から離れていっていることは、誰の目から見ても明らかだった。そして、それを止める権利も資格もない俺には、指をくわえて離れていく背中を見送ることしかできなかった。
そうして気まずいまま一ヶ月が過ぎた頃。夜、暗い部屋で一人スマホを眺めていると、彼女から久しぶりのメッセージが届いた。
『別れたいです。』
たった一言。余計な飾りも理由もない一言だからこそ、そこに含まれた重みが恐ろしいほど真っ直ぐに伝わってきた。
画面に浮かぶ『別』という漢字を一目見ただけで、心臓が凍りつく。分かっていたはずだった。覚悟していたはずだったのに、喉の奥から吐き気が込み上げてくるほどの激しいショックに襲われた。
――キスすらできないくせに――
自分の都合の良さに呆れる。キスすら拒絶したくせに、俺は彼女にずっとそばにいて欲しいと甘えていたのだ。いつの間にか。
悠真への気持ちとは違っても、少なくとも他のどの女子よりもほのかちゃんのことが好きなのだ。それくらい、自分でも分かっている。
「友達になろう」なんて、これ以上彼女を傷つけるような都合のいい言葉すら言えなかった。
『わかった。短い間だったけど楽しかった。ありがとう。』
精いっぱいの強がりと感謝を込めて、そう返信した。
1分も経たないうちに、すぐに返事が届く。
『ありがとう。』
今夜、彼女が俺にくれた言葉は「別れたい」と「ありがとう」だけだった。
けれど、それだけで彼女の決意と、俺たちが本当に終わってしまったのだという事実が、痛いくらいに伝わってきた。
数日後、終わりの会が差し掛かる頃に背中から突然声をかけられ、俺は振り返った。
そこに立っていたのは、小学校からの同級生である原田結菜さんだった。
結菜さんはぐっと顔を近づけると、周りに聞こえないよう小声で囁いてきた。
「ねえ、海斗。ほのかちゃんと別れたんだって?」
中学生になると、男子と女子は露骨に口をきかなくなる。女子に至っては、気軽に話せるタイプと全く話さないタイプにハッキリと分かれていた。
結菜さんは圧倒的に前者で、そして何より――あの花音の親友だった。いつも花音と一緒に楽しそうに笑っている姿を、俺は遠目からよく眺めていたのだ。
「え……なんで知って……。まさか、ほのかちゃんがみんなに言ったの……?」
「いやいや、ほのちゃんはそんなこと言わないよ。ただ、すごく落ち込んでてさ。仲の良い子一人だけに相談したみたいなんだけど、それが巡り巡って広まった……みたいな」
「え……!? マジで……!?」
背中に嫌な汗が吹き出す。
「……もしかして、理由も広まってる……?」
「あー……うん。『キスしてくれなかった』みたいな……?」
心臓が跳ね上がった。やっぱりそうか。
「そっか……。まあ、否定はしないけどさ……。俺、今頃女子全員から激しく敵視されてそうだね」
俺は自虐的に苦笑いを浮かべて見せた。けれど、結菜さんは思いがけないといった様子で目を見開いた。
「まさか!! 逆だよ、逆!」
「は……? 逆? 逆ってなに?」
「最初のデートで強引に押し倒してくるような奴の方が断然問題でしょ! キス拒否なんてむしろ可愛いもんよ。ウブなんだね〜くらいの笑い話っていうか……まあ、ほのちゃん自身はかなりショック受けてたみたいだけど……」
「そう……いうもんなんだね……」
ほのかちゃんの傷ついた気持ちを考えれば、手放しで喜べるような状況じゃない。
けれど、「学年の女子全員を敵に回して居場所がなくなる」という最悪の事態だけは避けられたのだと知り、俺は胸の奥でそっと胸を撫でおろした。




