歪んだ恋
智哉は自嘲するような、ゆがんだ薄笑いを浮かべ続けている。
「何? 二人ともなの? その顔は」
俺と花音の凍りついた表情を愉しむように、智哉はゆっくりと首を傾げた。
「俺は3回目なんだよね。海斗もそうなんだろ? じゃあ分かるよな? ……次がないってこと」
「智哉、お前まさか……」
「まあ、俺の1回目がお前らの1回目じゃねえんだけど」
智哉の喉から、低い吐き捨てるような声が漏れる。
「ほんっとしつこいんだよ、お前ら」
「お前……『ら』……?」
「ああ、お前らは1回目……」
智哉は冷ややかな瞳で俺と花音を交互に見据え、決定的な言葉を突きつけた。
「……結婚してたんだ」
「は……? 待ってくれ、俺と花音……が……!?」
信じがたい言葉が脳腔を激しく揺さぶり、全身に激痛のような衝撃が走る。
思わず隣の花音に目をやると、彼女もまた大きく見開いた瞳で俺を見つめ返し、視線が痛いほどにぶつかり合った。
さっきまでの殺意に対する恐怖すら塗り替えるほどの、圧倒的な驚愕。俺もきっと、花音と同じように呆然とした顔をしているのだろう。
だが——智哉の言葉を聞いた俺の胸に湧き上がってきたのは、不思議なほど否定の感情ではなかった。
むしろ、歪んだパズルのピースが完璧に嵌まったかのような、静かな納得だった。
(ああ……そうか。だから俺は、こんなにもこの子に惹かれていたのか……)
過去の記憶を一切持たなかったはずの自分が、なぜあれほどまでに彼女の存在に揺さぶられ、抗えない引力を感じていたのか。その全ての答えが、ここにあった。
「1回目な、出会った時には海斗の薬指にはその女との結婚指輪が嵌っててさ。……それでも俺たちは恋に落ちたんだよ、海斗」
智哉は懐かしむような、それでいて狂おしい眼差しで俺を見つめ、ナイフを握る手に力を込めた。
「その時お前は言ったんだよ。『結婚が出来なくて世間に認められなくても、そばにいたい』ってさ。だから俺、お前たちの生活してる家に行って、その女を消してやったんだ」
狂気に満ちた告白が、静寂のオフィスに淡々と響く。
「でも海斗は喜ばなかった。泣き喚いてさぁ……見苦しかった。醜かったよ。そんな海斗なんて見たくなくて世界から消してやって、俺も後を追ったんだ。……それで2回目は上手くいった。その女と再会する何年も前に俺と出会い、深い仲になった」
智哉の顔から笑みが消え、底知れない執着と憎悪がその表情を塗りつぶしていく。
「……なのに!! またその女の元へ行くなんてな……っ!」
智哉の手にあるナイフが蛍光灯の光を反射し、ひやりとした緊張感が静まり返ったオフィスを満たしていた。薄笑いを浮かべる智哉の瞳には、冷たく暗い影が落とされている。
「……何それ。どういう、ことよ……」
後ろで花音が震える声を漏らした。智哉の口から出た衝撃の告白——「俺の1回目」「お前らは結婚してた」という言葉が、静かな部屋に重く響き渡る。
智哉はナイフを握り直すと、ゆったりとした足取りで一歩前へ踏み出した。
「海斗と二人で幸せになるはずだったんだ。なのに、何回やり直しても……お前らは磁石みたいに引き寄せ合う。俺がいくら邪魔をしても、過去を変えても、結局ここに辿り着くんだよ」
智哉の視線が俺から花音へ、そしてまた俺へと移る。その瞳に宿るのは、激しい執着と、いくら運命を書き換えても拭えなかった絶望だった。
「1回目の時、海斗は言ったんだよ。『生まれ変わってもまた巡り会う』ってさ。……だから俺は試したんだ。お前らの出会いそのものを変えれば、俺だけを見てくれるんじゃないかって。でも違った。指輪を嵌めようが、どんなに距離を置こうが、お前らは互いを見つける」
智哉は自嘲気味に口元を歪め、静かにナイフを持ち上げた。
智哉の口から漏れ出た「……お前らは互いを見つける」という諦念の言葉に、俺は必死で声を張り上げた。
「今まではそうだったかもしれない!! でも今回は本当に何もなかったんだ!! 過ちは犯してない!! 俺は本当に……智哉、お前と生きていきたいって思ったんだ!!」
偽りのない本心だった。智哉と過ごした穏やかな時間も、重ねた愛も、すべて本当の感情だった。だが、智哉はうつろな目で首を振るだけだった。
「……もういいんだ。疲れちゃったんだよ。そんなのどうでもいい。2人が同じ空間にいるだけで嫌なんだ……蘇るんだよ、お前たちが結婚を誓い合った仲だったってことが! そんなの……俺がどんなに努力したって、適うわけないじゃないか……っ! 俺たちじゃ、結婚だってできない……世間にだって認められない……」
智哉の瞳から光が消え、絶望に塗れた声が震える。
「だから……もう終わらせるんだ……」
智哉が素早くナイフを高く振り上げた。
「智哉!! やめ……っ!」
激痛と死を覚悟し、息を呑んだ瞬間——脳裏に稲妻のような不吉な違和感が走る。
(待て……違う。智哉は……)
俺や花音は、過去のループで殺されることでタイムリープを経験した。だが、智哉はどうだ? 1回目も、2回目も……智哉は毎回、自分で自分の命を絶つことで時間を巻き戻してきたというのか……!?
自分自身を殺すことに、この男は『慣れて』しまっている——?
「ダメだ、智哉ーーーーッ!!!」
俺の叫びと同時に、智哉の握る刃先は俺たちではなく、自分自身の胸元へと一直線に向けられていた。




