密会
結婚式を約1週間後に迎えたその日、金曜日だったこともあり、俺たちは仕事が終わった後も遅くまでオフィスに残って準備を進めていた。
花音の希望は、披露宴の招待客のテーブル一つ一つに、手描きのメッセージカードを置くこと。それも、ただの紙ではなく蝶々の形に切り取った凝ったカードにしたいのだという。
招待客には絶対に秘密のサプライズにしたいからと、フロアから他の社員が誰もいなくなった時間帯を見計らっての作業だった。
お互い、智哉や優真に変な勘違いや怪しまれたりしないよう、外部のレンタルスペースなどではなく、こうして見慣れた職場で堂々と残業として進めるのが一番安全だと判断した結果でもあった。
カッターマットの上で、厚手の画用紙を慎重に蝶の形へ切り抜いていく。
「なあ……これ、既製品買った方が早くないか?」
ハサミとカッターを動かしながら、俺は半ば呆れたように呟いた。
「だって〜、お金かかるしさ。こうやって手作りの方が心こもってる感じするじゃん?」
花音は楽しそうに目を細め、隣で器用にハサミを走らせながら即答する。
「ははっ……俺のどんな気持ちを込めたらいいのか、な……」
「ふふっ……海斗も愛情を込めてね」
「なんだよそれ……」
思わず苦笑いが漏れた。
智哉への愛を再確認した今の俺にとって、この作業はただの友人としての手伝いに過ぎない。花音の冗談めかした言葉にも、胸が波立つことすらなく自然に笑って返せていた。
かつてあれほど恐れていた「夜のオフィスで二人きり」というシチュエーション。だが今の俺たちには、あの日互いを狂わせた怪しい熱情も、冷や汗をかかせるような緊張感も一切存在しなかった。
ただ静かな夜のオフィスに、紙を裁つシャキシャキという規則的なハサミの音だけが、穏やかに響いていた。
その時、静まり返ったフロアに、キィ……とドアの開く重い音が響いた。
「海斗! それ隠して! 誰か戻ってきたみたい……!」
「あ、ああ……!」
サプライズを知られるわけにはいかない花音が、焦ったように声を潜める。俺たちは机の上に散らばっていた厚手の画用紙や、切り終えたばかりの蝶々のメッセージカードを、慌ただしい手つきで素早く紙袋の中へと押し込んだ。
カッターやハサミを机の引き出しに滑り込ませ、何事もなかったかのように平静を装う。
コツ、コツ、コツ——。
静寂の広がる夜のオフィスに、迷いのない規則的な足音が近づいてくる。
ただ残業をしているふりをしながら、俺と花音は思わず呼吸を殺し、足音の聞こえる方角へと視線を向けた。
「智哉……?」
パーテーションの陰から顔を出したその姿に、息が止まった。
「山中さん……」
隣で花音も同じように全身を硬直させている。
俺たちは知っているのだ、この顔を。その恐ろしい表情を。
いつも会議で見せるあのスマートで洗練された表情ではない。ドロドロとした嫉妬と猜疑心にまみれ、暗い情念を宿したその顔を。
忘れもしない、1回目、そして2回目と俺たちの命を奪った、あの時の顔……。
だが、なぜだ……? 今回は一線を越えたりなんてしていない。抱くどころか、触れることすら互いに避けて、完璧に防衛してきたはずだ。なぜ智哉が、またあの時の顔をしてここに立っている……!?
「……なあ、海斗。お前、何回目よ?」
「……え?」
意味が分からず、思考が完全にフリーズする。前回や前々回ならまだしも、今回は一度も……いや、それどころか指一本触れることすらしていない。
「い、いや……お前が思ってるような浮気なんてしてない……!」
俺は慌てて立ち上がり、智哉へと一歩近づく。
その時だった。智哉の右手に、ギラッと鈍い光を放つナイフが見えた。
(ッ……!?)
ぞくっと背筋が凍りつき、一気に過去の悲惨な光景が脳内になだれ込んでくる。全身を切り刻まれた激痛、冷たい廊下、一瞬で溢れ出たあの濡れた血の匂いすら鮮明に蘇る。
「……違うよ、海斗。そうじゃない」
智哉は揺らぐ瞳で俺を見つめ、静かに、だが絶望的な声で呟いた。
「え……?」
「タイムリープだよ」
「……!?」
思考が真っ白になる。
智哉の口から飛び出したあり得ない言葉に、俺も花音も声すら失って立ち尽くすしかなかった。




