あの日
それから……あの2回目の人生で、俺たちが殺された「飲み会」の日がやってきた。
お互い出席するのを心底躊躇っていた。だが、俺に花音を抱く気も、花音に抱かれる気も一切ないことは明確だった。それに、合同プロジェクトの大切な打ち上げという手前、断れるような雰囲気でもなかったため、意を決して出席することにしたのだ。
会場に着くと、花音は敢えてなのか、俺から一番離れた遠い席へと座った。
そしてその薬指には、前回の時には嵌めていなかった、優真との婚約指輪が鈍い光を放っていた。
俺ももちろん、職場でも家でも、智哉とのペアリングを外すことは一度もなかった。
怖かったのだ。この指輪を一度でも外してしまったら、自分の中に眠る理性まで一緒に外れてしまうのではないか——そんな正体不明の恐怖があった。
自分が信用できないわけじゃない。智哉を愛しているし、間違いなんて犯さない自信だってある。……そのはずなのに、理由のない冷たい汗が背筋を伝い続けていた。
「一ノ瀬、全然飲んでないじゃん! どうしたの?」
同僚に勧められても、俺はほとんど酒に口をつけなかった。到底飲む気になれなかったし、2回目のあの夜、酒に酔って理性を失い、欲動のままに花音を求めてしまったのは揺るがない事実だったからだ。
遠くの席に目をやると、あんなに「海斗に抱かれる気なんて絶対ない」と堂々と言い放っていたくせに、花音もまた、頑なに酒を断っているようだった。
ウーロン茶のグラスを握りしめる彼女に、酔った須藤さんが「えー? 酒飲まないなんて、まさか妊娠でもしたんじゃないでしょうね〜?」と冗談めかして絡んでいる。
「ちょっと、須藤さんやめてくださいよ! 違いますってば! もうすぐ結婚するから控えてるんです!」
必死に顔を赤くして否定しながら、周りに婚約者がいることをアピールしている花音。2回目の時には隠していた優真の存在を、今回はオープンにしているようだった。
(……俺に抱かれない絶対の自信があるなら、酒で理性が飛んだって平気なはずだろ……)
自分でも驚くほど意地悪で、どこか歪んだ思考が胸を掠める。グラスの氷をカランと鳴らしながら、俺は人混みの隙間から、遠くの席で必死に防壁を固めている花音へと、どこか冷たい視線を走らせていた。
飲み会が終わり、店を出たところで帰ろうと荷物を抱え直していると、後ろから花音が声をかけてきた。
「海斗、二次会行くの?」
「ああ、二次会か……」
そういえば、1回目も2回目も二次会には行かなかった。……花音と二人きりになり、そのままホテルで身体を重ねていたからだ。
どうしようか一瞬迷っていると、
「私は行くから!」
花音は弾んだような明るい声で、きっぱりとそう返してきた。
「わかった……。俺は帰るよ」
「そっか! じゃあまたね!」
正直、二次会に行くか行かないか、俺にとってはどちらでもよかった。ただ「花音の動き次第」にしようと心の中で決めていたのだ。花音が行くなら俺は行かない。花音が行かないなら俺は行く。
互いに被らない選択をして、物理的な距離を絶対に保つ。それでいい。
きっと花音も全く同じことを考えていたのだろう。だからこそ、敢えて人混みを避けて俺に話しかけにきて、自分の動向を事前に伝えてきたのだ。
(早く家に帰ろう……。とにかく、この最悪な記憶の日を無事に終わらせたい)
「じゃあ、またな」
俺は短くそう告げると、二次会へ流れる同僚たちに適当に用事があると嘘をつき、逃げるように駅への路地を急いだ。
◇
家に辿り着き、玄関の鍵を開ける。
部屋の中には、温かな明かりと、いつもの我が家の匂いが溢れていた。
「あ、海斗! お帰り! 飲み会、早く終わったんだね?」
エプロン姿の智哉が嬉しそうにパッと表情を輝かせて出迎えてくれる。
2回目のあの夜、血まみれの包丁を握りしめて冷たい雨の中に立っていたあの智哉は、ここにはいない。目の前にいるのは、俺を心から愛し、穏やかな未来を信じている俺の大切なパートナーだ。
「……ただいま、智哉」
俺は智哉を強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。
「うわ、海斗!? どうしたの急に……酔っ払ってる!?……」
智哉の体温と、彼の背中に回した自分の手。薬指に嵌まった指輪の金属の冷たさを確かめながら、俺は深く息を吐き出した。
乗り越えたんだ。
2回目で俺たちが惨殺された「あの運命の日」を、俺たちはついに、何事もなく無事に回避したのだ。
花音との防衛協定は完璧に機能した。俺たちは一線を越えなかったし、智哉を狂気に落とすこともなかった。
胸を撫で下ろし、智哉の温もりに包まれながら、俺は「これで絶対にやり直せる」と固く確信していた。




