悲惨な結末
「……山中、さん」
震える花音の声。空気が一瞬で凍りつく。そこに立っていたのは、昼間のスマートな面影を完全に失った智哉だった。濡れた前髪が額にへばりつき、その手にはギラリと鈍く光る大きな包丁が握られている。
「やっぱり、ここにいたんだね。海斗」
完全に感情の切れた、虚ろで深い闇のような声。
なんでここに……!? 前回の時は何度も花音と会っていたからバレたんじゃないのか!? まだ1回目なのになぜここが……。
あまりの衝撃に何と返したらいいかわからず、ただただ喉の渇きだけ感じていく。
「最近、態度が何かおかしいと思ったんだ。念のためにGPS入れといて良かったよ……」
智哉が一歩を踏み出し、水たまりを弾く。包丁の刃先から雨の滴が滴り落ちた。
「智哉、やめろ!! ……やめてくれ……っ!! この子には手を出すなっ……!!」
俺は叫び、智哉へ飛びかかろうとした。だが、狂気に囚われた動きの方が早かった。銀色の凶器が夜の闇を切り裂き、花音へ向けて一直線に振り下ろされる。
「この女——ッ!!」
——ドスッ、と嫌な肉の切削音が響く。
「……っ!?」
花音を守るため、俺は身を投げ出してその刃を正面から受け止めた。
生温かい血の匂いが一瞬で路地裏を支配する。俺の胸元から溢れ出た鮮血が、アスファルトの雨水を真っ赤に染め上げていった。膝から崩れ落ちる俺の身体。
「……あ、あ……」
恐怖に震える花音が駆け寄り、俺を抱き起こす。彼女の手が俺の熱い血で染まっていくのが分かった。血を吐きながら、俺は霞む視界の中で花音を見つめた。最後に残された力を振り絞り、彼女の頬へ手を伸ばす。俺の血が彼女の頬を濡らす。
「……変えられないのか」
俺は歪んだ、けれど酷く穏やかな笑みを浮かべた。
「ごめんな……また、戻れるかな……」
「嫌、嫌よ海斗!!」
叫ぶ彼女の声。死と同時に発動する、タイムリープの血塗られたトリガー。
凄まじいフラッシュバック。皮膚が焼き尽くされるような、小学5年生のあの「炎の灼熱」が脳裏を駆け巡り——世界が白濁していった。
◇
——息が詰まるような感覚とともに、目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、夕陽が斜めに差し込むガラス張りのロビー。耳に届くのは静かなBGMと、行き交う社員たちの足音。
人事部の社員に連れられ、俺はスマートなスーツを着て歩いていた。
(……戻ってきたのか……また……)
壁の時計は、金曜日の終業10分前を指している。
目の前には、大理石の受付カウンター。そこには、俺が巻き戻した世界で、呆然と両手をついて立っている花音の姿があった。
また失敗した。花音を救おうとして、またあの惨劇を引き起こしてしまった。
今度こそ、今度こそお前に近づいてはいけない。他人として通り過ぎなければ——。
そう心に固く誓い、俺は一度も彼女を見ようとせず、他人のフリをして受付の前を通り過ぎようとした。
だが——すれ違うまさにその瞬間。
抑えきれない愛おしさと執着が胸を突き破り、俺の視線は吸い寄せられるように、ほんの一瞬だけ彼女の方へと向けられてしまった。
瞳の奥に宿る、隠しようもない熱くねっとりとした情念。
ふと、花音と目が合う。彼女は自分のブラウスの袖や頬を確かめるように触れた後、ゆっくりとこちらを見つめ返してきた。その瞳には動揺ではなく、すべての記憶を共有した者だけが持つ、妖しくも美しい微笑みが浮かんでいた。
(……花音……お前……まさか……記憶が……!?)
すれ違いざま、背筋を走る狂おしいほどの戦慄と甘美な痺れ。
俺が何度世界をやり直そうと、どれほど逃げようと、この歪んだ運命の螺旋から決して逃れられないことを悟りながら、俺は冷徹な仮面の下で、暗く熱い衝動を激しく燃え上がらせていた。




