初めての彼女
翌日の放課後。一人で帰り支度をしていると、宮崎さんが俺の席へ近づいてきた。
彼女は少し照れくさそうに目を伏せながら、「一緒に帰ろ?」と声をかけてくる。断る理由もなく、「うん」と頷いて二人で教室を出た。
廊下へ一歩踏み出した、その時だった。
目の前から、歩いてくる花音とバタリと出くわした。ドクン、と心臓が一気に跳ね上がる。動揺を隠すように、俺は思わず視線を横へ逸らしてしまった。
けれど、花音は足を止めることなく、すれ違いざまに明るい声を投げてきた。
「バイバーイ」
俺に向けられたのか、それとも隣の宮崎さんに向けら れたのかは分からない。
宮崎さんは「うん、また明日〜!」と、花音と同じように高めの声で笑って手を振り返していた。
――俺だけが声も出せず、ただ通り過ぎていく花音の背中を、固まったまま見送っていた。
それから数週間、二人で一緒に帰る日々が続いた。
学校のこと、友達や家族のこと――そんな他愛もない話をするのが、すっかり日常になっていた。
宮崎さんは長い髪を後ろの低い位置で一つに結んでいる。話に花が咲いて大きくリアクションをとると、その長い髪も一緒にふわふわと揺れた。まるで髪の毛も含めた身体全体で感情を表現しているみたいで、見ていてどこか面白かった。
仕草を見て「可愛いな」と思うこともあったし、一緒にいて純粋に居心地が良かった。彼女は俺の言うことを絶対に否定せず、いつも笑顔で受け入れてくれたから、話もしやすかった。
学校にスマホは持っていけなかったけれど、家に帰ってから寝る直前までメッセージのやりやりをするのが、新しい習慣になりつつあった。
――付き合い始めて一ヶ月ほど経った頃、「日曜日にデートしよう」と宮崎さんから誘われた。特別な用事もなく、断る理由なんてどこにもなかったので、俺は「いいよ」と承諾した。
そして、デート前夜。
ベッドに横になりながら、俺は自分の心がまったく弾んでいないことに気づいて、少し焦りを感じていた。
……楽しみ、だよな? だって、初めてのデートだぞ?
それとも、これが「普通」なのだろうか。初めての彼女だから、俺が感覚を分かっていないだけ?
みんなデートの前なんてこんな感じなのか?
もっとウキウキして眠れなくなる……なんて展開を、漫画やドラマで見た気がするけれど。
今の俺の感覚は、黒木と遊びに行く前日のテンションと何ひとつ変わらなかった。
……大丈夫だよな? 俺は、普通になってるよな……?
闇の中で見えない天井を見つめながら、俺は誰に届くでもない問いを、静かに心の中で繰り返していた。
翌朝、6時前に目が覚めてしまった。待ち合わせは10時。……だいぶ時間がある。
どうにも落ち着かないため、ベッドの中でスマホを開き、適当な動画を流して時間を潰した。
8時過ぎ、スマホから短い通知音が鳴った。
――もしかして宮崎さんから「体調が悪くなった」とか、ドタキャンの連絡だろうか。
心なしか少しの期待と焦りを混ぜ合わせながら、慌てて画面を覗き込む。
通知画面に表示されていたのは、黒木の名前だった。
『デートデビューいいなぁ〜! 俺も早く彼女欲しいわー』
『もしかして今日、チューとかしちゃうんじゃねえの!? どうなったか後で教えろよー!』
好き勝手なメッセージが、連投で送りつけられてきていた。
それを見た瞬間、俺の頭に真っ先に浮かんだのは――
あー……黒木と遊びにいきたいな。
という、あまりにも身も蓋もない本音だった。
……いや、違う。これはただ緊張しているだけだ。
女の子と二人で遊びに行くなんて、人生で初めてなんだから当然だ。別に宮崎さんと行くのが嫌なわけじゃない。嫌なわけがないんだ。
頭の中で、誰も求めていない弁明を必死に組み立ててしまう。自分でも頭のどこかで分かっていた。俺はまた、自分の本音から必死に目を逸らそうとしていることに――




