すれ違い
翌週の金曜日。智哉から「今日は職場の飲み会で遅くなる」とメッセージが届いた。
たまにある会社の付き合いだ。「楽しんできてね」と返信を送り、俺は家で彼の帰りを待つことにした。
時計の針が23時を回った頃。翌日は休みということもあり、智哉の帰りを待ちながら、ソファでスマホの動画を眺めながら時間を潰していると、ピーンポーンと静かな部屋に玄関のチャイムが響いた。
(酔っ払って、カバンから鍵を出すのが面倒になったのかな)
苦笑しながら深く考えず、俺は玄関へ向かいドアを開けた。
ガチャリと少し開けた瞬間、ブワッとアルコールの強い匂いが夜の冷気とともに流れ込んできた。珍しくかなり飲んでいるなと思いながら視線を向けると、俺は言葉を失った。
そこにいたのは、ベロベロに酔っ払ってまともに立つこともできず、顔を真っ赤にした智哉。
そして――その智哉の細い肩を、慣れた手つきでガッチリと抱きしめるように支える、ガッシリとした体格の筋肉質な若い男だった。
(なんなんだ、こいつ……。俺がいた頃には、こんなやつはいなかったはずだ)
あまりの光景にあっけにとられていると、その男は屈託のない眩しい笑顔を浮かべ、ハキハキとした声で口を開いた。
「あ! パートナーの方ですよね! 山中先輩からお話は伺ってます! 一緒に住んでらっしゃるって!」
パートナーがいることも伝えてあることに少し安堵しながら、俺が何と返そうか考えていると、それを察したように声が続く。
「あ、俺……最近、中途採用で入った篠山と言います!」
物怖じひとつせず、まっすぐに俺の目を見つめてくる男。
だが、その手はまだ智哉の肩を抱きかかえるようにしっかりと触れたままだ。胸の奥でドロリとした不快感が渦を巻く。
「……ああ、ありがとう。智哉をもらうよ」
努めて冷静な声を出し、男の手から智哉の身体を引き取ろうと手を伸ばす。
「いやぁ、なんかいつもよりすごく飲んでらっしゃって……俺、必死に止めたんですけど全然聞いてくれなくて……」
篠山と名乗った男は、困ったようにハハッと爽やかに笑ってみせた。
「そっか……運んでくれて、ありがとうね」
智哉の重みと体温を自分の腕の中に受け止めながら、俺は負けじと引きつった笑顔を作り直して返した。
(いつも……? 智哉から、こんな男が入社してきたなんて一言も聞いてない。
それに……この男の外見、あきらかに智哉のタイプそのものじゃないか……)
胸を鷲掴みにされるような激しい動悸と焦燥感。俺が花音のことで揺れていた間、智哉の周りにもこんな「脅威」が忍び寄っていたのだ。
「では、俺はこれで失礼します! ……山中先輩、おうち着きましたからね!」
最後に覗き込むようにして智哉の顔に視線を落とすと、篠山は軽快な足取りで夜の廊下を去っていった。
取り残された玄関で、俺は酒臭い息を吐く智哉を強く抱きしめ直した。だが、腕の中の智哉はすっかり意識を失っており、俺の焦りも嫉妬も知る由もなかった。
ぐったりとした智哉の身体を腕の中に抱え込み、引きずるようにしてベッドルームへと運んでいく。
「智哉……大丈夫か……?」
「うぅん……」
智哉は薄く開いた唇からアルコールの匂いを孕んだ小さな吐息を漏らすだけで、重い瞼を開ける様子はない。
そのまま彼の背中に手を回し、ゆっくりとベッドへ倒し込もうとした――その瞬間だった。
(……え?)
智哉の首元から、ふわりと嫌な匂いが立ち上ってきた。
アルコールの匂いに混ざって鼻腔を突いたのは、苦く掠れた――タバコの匂いだった。
一瞬、自分の鼻を疑った。智哉は昔からタバコの匂いが大嫌いだ。俺が吸うこと自体を無理に責めたりはしないけれど、「やめてくれたら一番嬉しいんだけどな〜」と冗談めかして笑っていたのを覚えている。
だからこそ、俺は家にいる時はどんなに寒くてもベランダに出て吸うようにしていたし、智哉に匂いがいかないようずっと気を使ってきたのだ。智哉自身も、喫煙者のいる職場や飲み会から帰る時は、徹底して消臭スプレーをかけてから家に入ってくるような奴だった。
なのに――なんで今、智哉の服からこんなにハッキリとタバコの匂いがするんだ?
脳内で思考が嫌な方向へと高速で回転し始める。
最近の居酒屋はどこも全面禁煙が当たり前だ。タバコを吸わない智哉が、服にここまで匂いが染みつくような場所に本当にいたのだろうか。
そういえば……さっき玄関にいたあの若い男、篠山。あいつのジャケットからも、確かほんのりとタバコの香りが漂っていた気がする――。
(……嘘だろ。まさか、あいつとずっと至近距離にいたのか……?)
不快な想像が、黒い毒のように胸の奥を満たしていく。智哉が自分以外の男と狭い空間で身を寄せていたのではないかという恐怖に、指先が冷えて強張っていく。
「智哉……ベッドに下ろすぞ」
「ん……うん……」
俺の胸を切り裂くような焦りと疑念も知らず、智哉はぐったりとベッドのシーツへと沈み込んでいく。
「……俺の気も知らないで……」
ぽつりと漏れた呟きは、誰に届くこともなく静かな部屋の空気に消えていった。




