休日
休日の朝。差し込む柔らかな光と、キッチンから漂う淹れたてのコーヒーの香ばしい匂いが部屋を満たしていた。
「海斗ー、そろそろ出かけようか」
ソファから立ち上がった智哉が、伸びをしながら玄関へ向かう。俺も上着を羽織り、彼の後を追った。
智哉が「よいしょ」と声を出しながら重い玄関ドアを押し開けた、まさにその瞬間だった。
ドアのすぐ向こう、予期せぬ位置に小柄な女性の人影が立っていた。
「あら……? あの、すみません。この辺りに一ノ瀬って住んでませんか?」
「……母さん!?」
間抜けな声が俺の喉から裏返って跳ね出てしまう。
智哉の肩越しに見えたのは、スーパーの袋を両手に下げた俺の母親だった。
俺は家族にカミングアウトしていない。実家には「会社の同期と二人で部屋をシェアして住んでいる」としか伝えていなかった。だから、別にやましいことなんてないはずだった。コソコソ隠れる必要なんてないのだと自分に言い聞かせる。
だが――リビングへ通し、お茶を淹れようとテーブルを挟んで向かい合った時、母さんの視線がふっと俺たちの手に注がれた。
コン、とお茶の湯飲みがテーブルに触れる小さな音。
その横で並ぶ、俺と智哉の左手。光を反射して静かに主張する、あのシルバーのペアリング。
(あ……)
血の気が引いていくのが分かった。
同じデザインのリングを、男二人で薬指にはめている。それが意味するものを悟ったように、母さんの目が大きく見開かれた。
俺は身体を強張らせ、オドオドと視線を泳がせることしかできない。智哉もまた、何と言って挽回すべきか分からず、困惑と焦りで膝の上の拳を握りしめている。
沈黙が部屋の空気を重く塗り潰していく。いたたまれない静寂の中、母さんがゆっくりと深く息を吐き出した。
「……何よ、それ」
ついに怒りを含んだ声が落ちてくる。俺は視線を下に落とし、罵倒される覚悟を決めた。
「なんで親の私に、一言も相談してくれなかったのよ!」
「……え?」
思わず顔を上げると、母さんは心底不満そうに眉をひそめていた。
「隠されてたのが一番ショックだわ! 友達と住んでるなんて嘘ついて……ずっと一人で抱え込んでたの? 相談くらいしなさいよ!」
「あ、いや……でも、男同士だし……」
「別にいいじゃない、そんなこと! 海斗が自分で選んだ大切な相手なんでしょ? 時代も変わってるんだから、私は全然構わないわよ?」
あまりにもあっけらかんとした母さんの言葉に、俺と智哉は顔を見合わせた。
「あ、でもね」
母さんは湯呑みを持ち上げ、少しだけ真面目な顔をして付け加えた。
「お父さんは根っからの古い人間だから、いきなり話したらひっくり返っちゃうわ。お父さんへの報告は、少し慎重にいかないとね」
「……母さん」
緊張が一気に解け、胸の奥に溜まっていた重苦しい塊が、温かい湯気のように消えていく。
「智哉さん、うちの不器用な息子をよろしくね」
「あ……はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」
胸を撫でおろし、深々と頭を下げる智哉の目には、薄っすらと安堵の涙が浮かんでいた。




