火傷
担任の先生は俺の上着を脱がすと、すぐさま保健室へ連れて行った。騒ぎを聞きつけて隣の教室から駆け込んできた先生は、花音の手を見て顔を青ざめさせ、彼女を抱え込むようにして保健室へ連れて行く。
俺はカーテンで区切られたベッドへ通され、保健の先生から衣服の焦げや火傷がないか念入りに確認された。
そのカーテンの向こうから、シャーーッ……と激しい水の音が響いてくる。
担任の男性教師が、花音の手を水で冷やしながら話している声が漏れ聞こえてきた。
「なんであんなことしたんだ!?」
さっきまではあんなに堂々として見えた花音だったが、今は消え入りそうな声で答えている。
「わかりません……気づいたら、手で消そうとしてました……」
「水道がすぐ近くにあっただろうに……」
先生は呆れたような、けれど無事だったことにどこかホッとしたような溜め息を吐いた。
「水道は遠かったし、布巾は火が燃え移りそうだったし……手なら、火が燃えないかな……って。だって、手に火がつくのなんて見たことないんだもん……」
「手は大火傷するだろ!? 実際、こんなに真っ赤になって……」
「あ、そっか……火傷か……」
カーテン越しに花音の呟きを聞きながら、俺は心の中で静かに同調していた。
そうだよ……確かに、手に火がつくのって見たことないもんな……
服を整えてカーテンを開けると、花音はまだ水道で手を冷やされていた。カーテンから出てきた俺の方を見ようともせず、先生に言われるがまま大人しく手を冷やしている。
その横で付き添う先生は、まるで自分のことのように心配そうで、今にも泣き出しそうな顔をしていたのが印象的だった。
けれど、花音の横顔には不安など微塵も浮かんでいない。
それどころか、どこかキリッとした凛々しい表情で、水に晒される自分の手を見つめていた。
子供ながらに、まるで先生と花音の顔が入れ替わっているんじゃないかと錯覚するほどだった。
俺が出てきたことに気づいた担任の先生が、保健の先生へ俺の身体に火傷や怪我がないかを尋ね始めた。
「大丈夫です、上着が焦げただけで火傷はありませんよ」
保健の先生がそう答えても、担任の先生はまだ信じられないといった様子で、俺にどこか痛いところはないかと何度も重ねて聞いてくる。
「大丈夫です」
俺はまるで呪文のように、何度も同じ言葉を繰り返した。
先生たちは親に連絡をすると言って、バタバタと二人で保健室を出て行った。
そのままここで待っているように言われた俺は、近くのパイプ椅子に腰掛け、先生たちが去っていく様子をぼんやり眺めていた。
ガラガラと引き戸が閉まり、室内が急に静かになる。花音と、二人きりになった。
直後、水道の蛇口が締められる音が聞こえ、俺は立ち上がって花音のそばへ駆け寄った。
「花音ちゃん……本当にごめんね」
花音は小さなハンドタオルで水滴を拭き取りながら、俺にふっと笑みを向けた。
「大丈夫よ、ほら」
そう言って、差し出された右手のひら。そこは、ほんのりと赤くなっている程度に見えた。
それでも信じられず、俺は恐る恐る尋ねる。
「痛く……ないの?」
「うん、全然」
気遣ってくれているんだと思った。少しとはいえ、赤くなっているのは事実だ。どう見てもヒリヒリして痛そうだった。
「海斗君に何事もなくてよかったよ」
その優しい笑顔に触れ、申し訳なさと安心感でまた涙が込み上げてきそうになる。だけど、これ以上泣く姿を見られるのが恥ずかしくて、俺は俯いた。
「ごめんね……っ」
かすれた声で絞り出し、とっさに目を逸らす。
訪れた短い沈黙の中、気まずさを紛らわせようと何か言葉を探していると、慌ただしい足音と共に先生たちが戻ってきた。
「二人とも、親御さんが迎えに来てくれるそうだから、このままここで待ってような」
数十分後、保健室のドアが開き、花音のお母さんが先に到着した。
彼女は俺たちには目をやる暇もなく、一直線に花音のもとへ駆け寄っていく。綺麗で小柄なお母さんで、俺の脇を通り過ぎる時にふわりと上品な花のような香りが漂った。
娘の手の状態を急いで確認すると、「念のために病院へ連れて行きます」と焦りを滲ませながら先生たちに伝えている。
俺はその背中に向かって、深く頭を下げながら声をかけた。
「……本当に、すみませんでした」
すると、ハッとした様子で花音のお母さんが振り向いた。
一瞬浮かべた心配そうな表情は、俺の姿を捉えるとふっと柔らかい笑みに変わる。その温かい笑顔は、どこか花音にとてもよく似ていた。
「ううん……二人とも、大怪我にならなくて本当に良かったわ」
その優しい言葉に救われる思いがして、「はい……」と小さく返事をしながら、俺はもう一度深々と頭を下げた。
当の花音は何ひとつ悪いことなんてしていないのに、お母さんの背しろから、どこか申し訳なさそうな顔で俺をじっと見つめていた。
二人が保健室を去っていく時も、俺は花音の後ろ姿から目を離すことができず、ずっと見つめていた。
けれど、最後まで花音と視線が交わることはなかった。
……その直後、俺の母親が鬼の形相で保健室に乗り込んできて、「何やってんのよ!!」と大目玉を食らったのは言うまでもない。
先生たちの目があったおかげでゲンコツを食らわずに済んだのだけが、せめてもの救いだった。




