受け入れる時
固まった俺の反応を見て、山中は困ったように眉を下げてみせた。
「あ、違ったらごめん! ちょっとそう思っただけだから、気にしないで!」
彼は申し訳なさそうに手を振ると、言葉を継いだ。
「なんかさ、女子社員との距離がちょっと遠いかなー? とか、男同士でありがちなエロい話とか女の子の話をあんまりしてないな、とか……ほんと単純な違和感だから!」
「あ、そう……なんだ……」
安堵からか、喉の奥から小さな息が漏れる。
なんだ、確証があったわけじゃないんだ。隠し通せていたんだと、胸を撫でおろしかけた――その時だった。
山中がソファの上で姿勢を崩し、俺の方へと座り直した。途端に、彼との距離がぐっと詰まる。逃げ場を塞ぐように迫ってきた体温に、背筋が跳ね上がった。
「……俺が、海斗がそうだったらいいなって思ってたから、そう見えただけなのかも」
低く落とされた声が、ダイレクトに耳腔を揺らす。
あまりにも近すぎる距離。室内のライトを反射して綺麗に輝く彼の茶色い瞳から、俺は金縛りに遭ったように視線を外せなくなった。
「山中……?」
「あの飲み会で言ったこと、嘘じゃないよ。俺、海斗のことが気になってる」
瞳の奥にある真剣な熱に射抜かれ、俺の心臓は引きちぎれそうなほど激しく鐘を鳴らし始めていた。
「……でも、自分でもよくわからないんだ。ずっと忘れられない気になる女の子もいたし。それなのに、惹かれるのは男ばかりで……」
自分が何者なのか分からない。そんな混乱と情けなさを吐き出すように呟くと、山中は少しだけ首を傾げて、柔らかく微笑んだ。
「それってさ、バイってことなんじゃない? 両方いける、みたいな」
「え……」
「俺だってさ、街ですれ違う男全員を好きになるわけじゃないよ? 海斗だって『男なら誰でもいい』わけじゃなくて、たまたま好きになった相手が男だったり、気になる相手が女の子だったりしただけでしょ」
あっけらかんとした、けれどどこまでも優しい山中の言葉が、スッと胸の奥に染み込んでいく。
男か女か、普通か異常か。
ずっと自分を分類しては追い詰めていた固定観念が、彼の手によってふわりと解かれていくような感覚だった。
「……そっか。俺、自分で勝手に自分を枠に当てはめて、苦しくなってたのかな」
「そうだよ。だからさ、そんな難しく考えなくていいと思う」
山中はそう言って、膝の上に置かれた俺の手に、自分の手をそっと重ねてきた。
じんわりと伝わってくる彼の温もりに、強張っていた肩の力がゆっくりと抜けていく。
「辛かったね、海斗。……教えてくれてありがとう」
「気持ち悪い」なんて絶対に思わないこと。海斗がこれまで一人で抱え込んできた傷も、葛藤も、全部ひっくるめて愛おしいと思っていること。山中は一つひとつの言葉を丁寧に噛みしめるように海斗へ伝える。
「俺は、海斗の『安全な場所』になりたい。もう一人で怯えなくていいよ」
その温かい言葉と真っ直ぐな体温に、海斗の中でずっと張り詰めていた糸がふっと切れ、気づけば涙が零れ落ちていた。
……そして、どちらからともなく重なった唇。
初恋の拒絶も、過去の無理な恋愛もすべて上書きしていくような、優しくて甘いキス。
それから俺たちは、ごく自然な流れで付き合い始めた。
付き合い始めてしばらく経ったある日のことだ。ふとした会話の合間に、俺は少しだけ口元を緊張させながら呼んでみた。
「……智哉」
「え……?」
今まで「山中」と呼んでいた俺の口から出た恋人の名前に、智哉は分かりやすく肩を跳ねさせ、目を見開いてフリーズした。耳の先まで真っ赤にして動揺する彼のリアクションが愛おしくて、俺は思わず顔をほころばせた。
(ああ、幸せだな……)
心がすーっと解き放たれていくような感覚。
初恋の傷に怯え、自分を偽り、友達という安全圏に逃げ込み続けていた俺が、智哉のおかげで「やっと自分になれた」気がしていた。
お互いの家を行き来する日々を経て、俺たちは良き理解者である高柳に交際を報告した。高柳は一瞬驚いたものの、引きつることもなく「まじか! 応援するわ!」とカラッとした笑顔で祝福してくれた。
それから、穏やかで満たされた時間が数年ほど過ぎた頃。
高柳から「結婚することになった」と報告を受けた。
心から祝福したその帰り道。夜風に吹かれながら隣を歩く智哉が、ぽつりと呟いた。
「いいなぁ、結婚」
「そんなの、たかが紙切れだよ」
俺がそう返すと、智哉はパッとこちらを振り返り、少しだけ尖らせた唇で言った。
「でも、世間に認められるって羨ましいよ。知ってる!? 先進国で同性婚が認められてないの、日本だけなんだよ!? あーあ、恵まれてないな、国に!」
「ハハッ……そんなこと言うなよ」
子どものように悔しがる智哉が愛おしく、俺は歩きながら彼の肩をぐっと抱き寄せた。
「結婚してたって、してなくたって、俺たちは変わらない。だろ?」
「だってさぁ……」
「ん?」
「おとぎ話の中でもさ、王子様の相手はお姫様なんだよ。王子様が王子様に恋する物語なんて、どこにもないんだよ。……なんか、悲しいじゃん」
今まで堂々と自分のセクシュアリティを肯定してきた智哉が、ふと見せた弱音。
社会の「普通」という壁に、彼もまた一人で傷ついてきたのかもしれない。
「……今更『普通』じゃないこと、気にしてんのか?」
「別に……」
智哉はそっぽを向き、小さく呟いた。
俺は抱き寄せた肩に力を込め、彼の瞳を覗き込むようにして静かに笑った。
「『普通』なんて言葉に惑わされるなよ。――俺たちは、『特別』なんだから」
「海斗……」
街灯の光に照らされた智哉の瞳が、切なさと愛おしさに揺れていた。




